第75話 百発百中の恋子
翌日、俺は寝不足で回らない頭をふらつかせながら登校し、授業はほとんど(いつものように)上の空で昨夜の事を反芻していた。
そうしていたらいつのまにか六限目も半ばに差し掛かっており、今日も一日学生としての本分を全うできなかったことは
はぁ……と、アンニュイな溜め息が漏れる。
昨夜の事を思い出す度、弱々しい吐息が零れ落ちるのだ。
あの後、鳥山婦長は別れの挨拶も早々に道場を後にした。
俺達は迎えにきた犬飼に家まで送ってもらったのだが時刻は既に深夜3時を回っており、俺は一気に襲ってきた睡魔に勝てず家に入るなり膝から崩れ落ちるようにして爆睡した。
あれから恋子がどうしたのかは分からないが、俺が目覚めたときには既に登校した後であったし俺の分の朝飯を作ってくれていたし、洗濯も全て済んでいたので俺の様に醜態を晒すことなくいつも通りの朝を迎えたのだろう。
彼女の自己管理能力には本当に頭が下がる思いである。
それが火曜日の話だ。
その後水曜、木曜と同じ様に何事もなく過ぎていったが、俺の心のモヤモヤというかソワソワ感は増すばかりだった。
ついに最終戦である。
まさかここまで辿り着くとは。というのが正直な心持ちだが、それは考えもしなかった様な運命的な巡り合わせでもあった。
愛子と乱子、そして婦長の全てを賭した激突となるであろうこの戦い。
その直前にしては、恋子はいつも通りの日常を過ごしていたし、愛子は不在だし、乱子も出て来ない。
俺はひとりだけあれやこれやと考えて、勝手に悶々としているようで正直阿呆の様だった。
そうしているうちにあっという間に金曜日がやって来てしまった。
決戦前日である。
俺の席の前でいつものように真面目に授業を受ける
その小さな頭が黒板と手元を行ったり来たりしているのを眺めていると、明日の夜に文字通り運命を変えるような戦いが控えているという現実こそが
もしかしたらこのまま何事もなく、普段通りの日常がこれからもずっと……。
(ああ、そういえば前にもこんな事を考えたな)
それに気がついて、俺は現実逃避を
猿飛と出会ってから怒濤のような毎日で、もう何年もこの激流に飲み込まれている気がするが実際は
(だが、それももうすぐ終わってしまうのか……)
明日の夜、色々な物事が決着を迎える。
俺の処遇。
猿飛の未来。
恋子や乱子の存在。
そして鳥山婦長の決意。
どのような結末になるにせよ、そこから何かが始まるにせよ、明日の夜に1つの終わりが来る。
正直、俺は既に自分の処遇なんてどうでもよかった。
それ以上に重くて、大きくて、自分ではどうしようもない運命を背負って戦う猿飛と婦長に比べれば、俺の処遇云々なんて放屁みたいなものだ。
俺は傍観者だ。
傍観者のくせに、心のどこかで『今のままでいい』なんて考えている。
変化を恐れているのだ。
その原因は様々だが、何がどう変わるかが見当もつかず、それによって自分の何かも大きく変わってしまうかもしれないという不安を恐れているのだ。
特に何をするでもなく、ただ見ているだけなのに。
我ながら身勝手なものだと、この狭量さを恥じ入るばかりである。
ふと気がつくと、目の前の小さなからだの左脇から紙切れが顔を覗かせていた。どうやらメモ書きのようだが……。
彼女は俺に背を向けたまま右手を左脇腹に深く突っ込み、右手に摘まんだその紙切れを俺に向けて差し出していた。
それはルパン三世の次元大介が背後の敵を撃つ時にするような格好で、恋子はその2つに折り畳まれたメモ書きを俺に手渡そうとしているのだ。
はて、授業中になんだろうか。
緊急に知らせたいことでもあるのだろうかと気を引き締めてメモを受け取り、恐る恐る開くと……
『今日の放課後、ひま?』
小さなメモにこれまた小さな文字でそう記されていた。
いきなり何だ?
なぜ俺の予定を訊くんだろうか。
俺の放課後に予定など無い事は知っているはずなのに……。
俺は彼女の真意を計りかねたが、ここはとりあえず正直に返答することにした。
『暇だ』
そう力強く
30秒もしないうちに再び同じルートで2通目のメモ書きがやって来た。
『じゃあ、5時に駅前の噴水で集合ね』
メモのやり取りはそれっきりだった。
(……待ち合わせ? 何のために? )
謎が謎を呼ぶ事態だ。
かといって今すぐ解明に動き出せるわけでもない。
結局、俺は授業が終わるまで訳もわからず目の前の小さな頭を眺めることしか出来なかったのだった。
そして授業終了。
俺は恋子に事の真相を尋ねたかったが、彼女は友人数人と何処かへ行ってしまったので俺は完全に放置状態となってしまった。
(参ったな、居場所がない……)
所在の無い俺はそそくさと学校を後にしてとりあえず駅前へと向かうことにした。
……それにしても恋子は5時から何をする気なんだろうか。
彼女の指定した駅前の噴水はこの町のメインストリートでありランドマークだ。そんなところで待ち合わせて何をしようと言うのか。
まさか明日の決戦に備えてウォーミングアップがわりに辻殴りでもしようとしてるんじゃないか?
(いやいや、乱子なら有り得るが……)
もしそうなら俺は単なる巻き添えだが、流石にそれは無いだろう。乱子ならともかく恋子はそこまでクレイジーではない。
ならなんなんだ?
わからない……どうしよう……なんか怖い。
漠然とした不安感に苛まれながら俺は指定時間より30分も早く駅前に到着し、恐る恐る噴水を遠目に眺めていた。
「恋子はまだ来ていないな……」
完全に腰が引けている自分に気付き、情けなくて泣けてきた。
何にしてもビビっていては格好もつかん。
例え時限爆弾がセットされていたとしても百獣の王・ライオンならば堂々と待ち合わせ場所に向かうことだろう。
ライオンに出来て俺に出来ない道理は無い!
(逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ!)
そう自らを鼓舞し、俺は自分でも驚くほど悠然と歩を進め噴水前へと歩み出た。
時間は5時ジャストである。つまり30分もうじうじしていたのだが、そんな事はもう無かった事だ。
(いざ
気合十分、俺は噴水前まで歩み出て胸を張った……その時だった。
「あらら総国くん、もう来てたの? 待たせちゃった?」
背後から恋子が突然現れたのでかなり焦った。
しかし今の俺はライオンにすら勝てるし初号機にだって乗れる覚悟を完了している。
「いや、今来たところだ」
30分前からこの付近に居たにも関わらずしれっと言い放ち、しかも平然を装う余裕すら今の俺にはあった。
「それにしても恋子、一体何の用だ? こんなところで待ち合わせまでして」
俺が問うと、恋子は何の臆面も無くさも当然のように、にっこりと微笑んで言った。
「デートしようよ、 総国くん」
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