最終話 春よ、来い

『留年』と聞くとどうしてもネガティブなイメージがあるが、ちょっと待ってほしい。


 学生の本分である勉学を疎かにし、怠惰なサボタージュを繰り返しての留年ならばそれは【ネガティブ留年】だ。


 しかし、例えば闘病であったり家庭の事情が理由の留年ならば、それはやむを得ない事であり、いわば【ポジティブ留年】と言えるのではないだろうか。


 全治3ヶ月の大怪我を負い、リハビリを含めた長期の欠席を余儀なくされた俺は卒業に必要な出席日数が得られないことが確定し、やむなく留年という運びとなったのだ。


 これは完全にポジティブ留年の条件を満たしている。

 つまり、俺の留年はポジティブ留年に該当するのである。



 以上が俺の今回の留年に対する考察なのだが、反応は様々だった。


 犬飼は「そうですか」と大して興味がないといった無礼な態度をとり、有仁子は「何がポジティブ留年だ馬鹿かアホか」と俺を罵倒し、鳥山婦長は「おいたわしや……」と涙し、愛子は「もう一回3年生やれるならラッキーじゃない?」と前向きだった。


 そう、ラッキーなのだ。

 なぜラッキーなのかは後程。


「とりあえず今は怪我を治すことに専念してね」

 怪我をさせた張本人のくせに、愛子はにっこりと微笑んで俺を励ましてくれた。

 流石は愛子。俺の恋人なだけの事はある。


 あらかじめ言っておくが、俺たちはもう付き合っているというか彼氏彼女の関係というか、とにかく、そういう関係だ。


 衆人環視の中、あれだけ派手に告白しあったんだぞ? これで付き合ってないわけがなかろう。


 ちなみに試合が終わった後、会場にいた観客全員が俺達を大いに祝福してくれたそうだが、俺は完全に失神していたので全く記憶に無い。


 あれ以来、より一層関係を深めて今もなお現在進行系の俺達はお互いの事を名前で呼び合っている。

 俺は猿飛を『愛子』と呼び、愛子は俺を『総国くん』と呼んでいる。


 愛子に「総国くん」と呼ばれると恋子にそう呼ばれている気がして少し妙な気分になるが、俺は彼女とこうして名前で呼び合える事が嬉しかった。



 ここで、あれから何があったのかを話しておこう。



 俺と愛子の死闘から三日後、強敵乃会に警察のガサ入れが入った。

 賭けに負けて大損した馬鹿が、強敵乃会の事を警察にタレ込んだのだ。


 有仁子の前に捜査令状を携えた刑事数人が押し掛け、賭博開帳の容疑で家宅捜索を行ったのだという。


 普通なら観念してお縄につくのだろうが、相手が悪かった。

 世界屈指のド外道・金沼有仁子の事を警察はなにもわかっていなかったのだ。


 有仁子は涼しい顔で家宅捜索を受け入れ、捜査にも協力的だった。

 しかし賭博開帳を裏付ける証拠は一向に出てこない。

 刑事たちは情報提供者から地下闘技場の情報も得ていたので有仁子立会いのもとで総国公園の捜査も行われたのだが、公園をいくら探しても地下闘技場のも出てこなかった。


 令状まで取った捜査が無駄足に終わり、肩を落として帰っていく刑事たちを有仁子は自室の窓からワイングラス片手に眺めて「能無しどもが」と吐き捨て、この世の物とは思えない邪悪な笑顔を浮かべていたという。


 ……なぜ捜査が空振りに終わったのか。

 もう言うまでもないと思うが、有仁子は事前に捜査の情報を得ていたのだ。


 普段から堂々と大型拳銃を持ち歩いている有仁子にとってその程度の情報は天気予報と同じレベルの情報に過ぎず、その対応も雨が降りそうなら傘を用意する、という程度の物なのだ。


 彼女は捜査の情報をキャッチすると即座に証拠の類を安全な場所へ移動させ、公園のエレベーターを撤去し、強敵乃会に関わる全てを徹底的に隠ぺいした。

 そして後日、警察にタレ込んだという男を見つけ出して……まぁ、そのあとはご想像にお任せする。


 兎にも角にもその場は切り抜けたものの、捜査を受けた事は事実だ。有仁子は暫く試合を中止せざるを得ないと判断し、下僕を使って情報収集に徹していた。

 つまり、全体としての状況はあまり芳しく無かったのだ。


「警察もバカじゃねーからな。あたしらの周りを色々調べてるらしいし、お前のその怪我も怪しまれるかもな」

 有仁子は強制捜査の後で俺の病室を訪れ、ベッドの上でミイラ男と化した俺をニヤニヤと眺めて言った。

「しかしひでぇ怪我だな。愛子ちゃんも容赦ねえなあ」


 自分でもよく生きているなとしみじみ思う。とにかくボコボコにされたのだ。

 どれだけボコられたのかと言うと『龍虎乱舞3回分』くらいだと犬飼は言った。


 龍虎乱舞が分からない人はYouTubeで検索してくれ。ボッコボコだから。


「……おい総国、今回は慎重になっといて損は無ェ。お前の怪我も交通事故で上手く処理してやっから、口裏ァ合わせろよ」

 そう言い残して有仁子は去って……行く前に、大きな紙袋を俺に突きつけた。

「なんだこれは?」

「警察の捜査資料だよ。目ェ通しとけ」

 有仁子にしては珍しく、大した嫌味も言わずに「じゃあな」とだけ言い残して彼女は病室を後にした。


 有仁子が帰った後で紙袋の中身を見てみると、中には確かに捜査資料か入っていた。

(つーかコレ、の資料だろ……)

 どこから手に入れたのか疑問だが、お陰で警察がどこをどう探して何を欲していたのか良く分かる。


 相手の出方が分かっていれば対処は格段に楽になる。

 今後、俺にまで捜査の手が及ぶかどうかは分からないが、これは有り難い資料である。


「……ん、なにか入っている……?」

 紙袋の底には小さな包みがあり、中にはうまい棒のコーンポタージュ味が一本だけ入っていた。


 まだ小学生の頃、よく有仁子と屋敷を抜け出して駄菓子屋へお菓子を買いに行った。

 俺はうまい棒のコーンポタージュ味が大好きで、そればかり買っては有仁子に呆れられたものだ。


 そうか、これは手土産に違いない。

 あいつは警察の捜査がどうのこうのと言いつつ、きっとお見舞いに来てくれたのだろう。

「素直じゃないな。馬鹿姉め」

 俺はうまい棒をかじりながら幼かったあの頃を思い出し、なんだかちょっとだけほっこりとした気分だった。



 長期間の入院生活は退屈だったが、愛子が毎日見舞いに来てくれたのでそれほど苦ではなかった。

 怪我も順調に回復し、俺は夏の終わりにめでたく退院することができたのだが、そこで一つ問題があった。


 俺の謹慎は絶賛継続中だったのだ。


 容赦なく厳しい人・お父様の教えは「有言実行」である。

 彼はやると言ったら絶対にやり遂げるおとこなので、謹慎も俺が一千万円を耳を揃えて用意するまで解除するつもりは無いというのだ。


 鳥山婦長は恩赦を求めたが認められず、犬飼もブーブー言いながらも方々に手を回してくれたが父の意見を曲げることはできなかった。

 だが、本当の問題はそこではない。 真の問題は『進路』なのだ。

 謹慎解除の条件は一千万円を用意することと、『卒業後の進路を決定すること』だったからだ。



 実は、一千万円はもう用意できていた。

 俺は愛子に敗北したにせよ、その前に乱子と鳥山婦長(有仁子による無効試合)の代替試合であるだるまクンとの試合に勝利している。

 有仁子はそれを条件達成と認め、約束は約束だからと外道なりに義理を守り、俺たちに一千万円を支払っているのだ。


(ちなみにその試合の払戻金については有仁子が警察の捜査を完全に揉み消すために使うとのことで、俺はそんな汚れた金に関わる気は毛頭ないので全額有仁子に任せることで落着していた)


 ということで、俺と愛子は札束を前にしてかなり悩んだ。

 いざ一千万を獲得したらしたで、これをそのまま自分のために使ってしまうのは愛子に申し訳ない気がしてならなかったのだ。

 ここまで一番頑張ったのは愛子であることは疑いようもないんだし。


 しかし愛子は『こんな大金無理無理無理絶対無理』と受け取りを断固拒否し、俺に使ってしまえと押し付けてきたのだ。

 まぁ、そういう事なら……と札束に触れた瞬間、思い出してしまったのだ。


 進路決定という条件を。



 退院後、リハビリも一段落した俺が学校に復帰したのは10月半ば。もちろん未だに進路は決めていない。ていうか、忘れていた。


 留年の関係で一旦棚上げになったとは言え完全に忘れていたというのは論外だろう。父に知れたらマジで切腹5秒前。


 俺はその切腹の申し付けが今この瞬間にでも来るのではないかと恐々としていたが、怪我の理由(有仁子の手配でダンプカーとの接触事故として処理済)により学校側もポジティブ留年と受け止めていた事と、どこで見ていたのか知らないが俺の『金山』の出来に父が好感を抱いた事で、とりあえず即座の切腹は免れた。

 結果、俺の謹慎は継続されたものの進路決定の条件は次年度へと持ち越しとなったのだ。


 その決定の裏側には父の猿飛親子や乱子に対しての温情というか友愛の念というか、そういうものもあったに違いない。


 

 その裁定は俺が退院してすぐ、超多忙な父に代わり鳥山婦長から金沼家の『謁見の間』にて言い渡された。


 大事な息子の人生に関わる重要事項を人伝ひとづてにするなんて……と、父の碇ゲンドウ並の放任主義に怒りを覚えるも、この病み上がりにいつサイコガンを抜かれるかひやひやしながら面と向かって話をするよりはなんぼかマシかとも思い、とりあえずは納得することにした。



「……あの、総国様」

 父からの裁定を伝え終わった後、鳥山婦長は恭しくこうべを垂れて言った。

「この度の事、お礼もお詫びも、なんと申し上げて良いか………」

「や、やめてくれ婦長。顔を上げてくれ」

 俺は涙目で震える婦長の肩を両手でしっかりと、励ますように掴んだ。

「俺は大丈夫だ。謹慎継続も気にしていない。むしろこの程度で済んで運が良かったと思っているよ」

「しかし……」

「もういいんだ婦長。それより、愛子に打ち明けていないのか? 例の事を……」


 婦長は自分が実の母であることを、まだ愛子に告げていなかった。

 試合後の混乱とその対応に追われ、タイミングを逸していたのもあるだろう。

 しかし、婦長は婦長なりに思う所もあるようだ。


「あれから何度か打ち明けようかと思ったのです。でも、出来ませんでした。あの子は今、とても大事な時期ですし、私にもまだ勇気が足りないようで……」

「そうだな。あいつの受験が終わって、落ち着いてからでもいいんじゃないか?」


 婦長は弱々しく目を伏せ、ぽつりと零すように呟いた。

「あの子は、私を受け入れてくれるでしょうか」

 その深みのある表情に彼女の不安は見てとれる。

 しかし、俺は心配ないと断言した。

「愛子は見掛けによらず度胸もあるし、芯の強い人間だ。あいつならきっと、大丈夫だよ」

「……総国様。真実を打ち明ける時が来たときは、お力添えを願えますか?」

「勿論だよ、婦長」

 俺が頷くと、婦長はまるで愛子がそうするように、にっこりと微笑んだのだった。



 そして秋が深まる頃。

 前述のラッキーで命拾いしたものの留年しようが季節が変わろうが俺は相変わらず家なき子だったので、そのまま猿飛家にご厄介になっていた。

 俺は単なるぐうたらな居候にならないように愛子の受験勉強をサポートするべく積極的に家事を手伝い、同時にリハビリも続けて体力の回復に努め、金山のさらなる研鑽にも勤しんだ。


 そうこうしているうちに年が明け、愛子は志望校に見事合格し、文字通りに『春』が来たのだった。


 そう、季節は春。

 今日は我が母校の卒業式の日である。


 天候にも恵まれ、穏やかな陽気の中で卒業式はつつがなく終了した。

 俺は留年が決定している切ない身の上だったが、これはこれで悪くはなかった。

 なぜならを在校生として見送るなんて、そうそう出来る事ではないからな。(超プラス思考)


「おめでとう、愛子」

 胸にかわいらしい花飾りを付け、卒業証書を誇らしげに持つ愛子に俺は拍手を送った。

「ありがと。えへへ」

 はにかむ笑顔に胸が高鳴った。

 その可愛さを目の当たりにする度、俺の鼓動が早くなる。

 今の俺のステータスは間違いなく【胸キュン】であろう。


「ん? どうかした? 総国くん」

「い、いや。なんでもないよ」

 誤魔化すように目線を逸らしたが、勘のいい彼女は俺の動揺に気が付いている事だろう。


 家へと帰る道すがら、桜並木の川沿いを歩きながら彼女は卒業証書の入った筒を眺め、『4月から大学生かぁ』と呟いた。


「なんだ? 何か不満でもあるのか?」

 俺が問うと、彼女は困ったような笑顔でううん、と首を横に振った。

「不満は無いけど、総国くんがいないもん。つまんないかも〜って、思ってさ」


 なんて可愛らしい事を言うのかと、俺は感動に打ち震えた。

「まぁ、一年我慢しろ。俺もお前の大学を目指すから」

「ええ~? 結構難関だよ? 大丈夫ぅ?」

 茶化すように笑う彼女に俺も不敵な笑みで返してやった。

「お前が家庭教師をしてくれれば何とかなるだろう。ほら、英語の小テストの時のように」

「小テストと入試はだいぶ違うけど……うん、協力するよ。頑張ろうね!」


 彼女はそう言って、いかにも頑張るぞ! という風に握り拳を作り、満面の笑みで答えてくれた。

「……それはそうと総国くん。今日の夜の話だけど」

「ああ、有仁子が強敵乃会会場に来いって言ってる話だろ? なんでもお前の卒業パーティーをするだのなんだの」

「うん。それなんだけど、余興で総国くんがエキシビジョンマッチするって……聞いてない?」

「は? 何も聞いてないぞ!?」

「あー、やっぱりね。なんかそんな気がしてたんだぁ」


 謹慎が解けないままの俺に代わり、強敵乃会は有仁子が運営を続けていた。

 あのガサ入れの後、有仁子は自慢の人脈コネクションを駆使して警察の捜査を打ち切らせ、当該事案を迷宮入りにさせた。

 そして以前の様に堂々と賭博開帳を続け、売店の売り上げと共に増収増益を更新しているそうだ。


「だいたいエキシビジョンマッチといっても相手は誰なんだ?」

「蛇之目さんだって。いつもみたいに賭けもやるんだって」

「はぁ!? 蛇之目ぇ? つーかなんでお前が知ってて俺が知らないんだ!?」

「私もさっき知ったんだよ。ほら、有仁子さんからのメール」

 愛子はスマホの画面を俺に向け、有仁子からのメールを見せてくれた。


『今日の総国の相手は蛇之目に決定! あのこけし野郎、殺す気で行くってさ。総国によろしく!』

 文末はドクロが笑っている絵文字で飾られていた。


「あンの馬鹿たれ……」

 俺がわなわなと震えていると、愛子はにっこりと微笑んで言った。

「総国くんのカッコいいところ、見たいな~」

「そんなこと言ってもお前、相手はあの蛇之目……」

 言いかけたが、めた。

 恋人の期待に応えたいという思いもあるし、今の俺は『金山』を解禁されているのだ。


 今後は実戦でその輝きに磨きをかける事、という理由で父から直接封印解除を許されたので、今度は遠慮なく金山を使えるのだ。


「ふん、上等だ。いつか蛇之目とはケリをつけなければと思っていたからな。俺の金山で今度こそ泣きべそをかかせてやる!」

「わあ! カッコいい!!」

「今月の小遣い全部俺に突っ込めよ。卒業記念のお祝いだ。豪華ディナーにご招待してやるよ」

「おお~! 自信満々だね!」

「当たり前だ。俺を誰だと思っている? 日本が誇る次世代王者の金沼総国だぞ?」

「ふふふ、頑張ってね。総国くん!」



 蛇之目ごときに後れを取るようでは金沼家を継ぐことも、謹慎解除も夢のまた夢だろう。

 俺にはこの日本と、愛子の未来を守り抜くという使命があるのだ。


 だからこんな所でつまづくわけにはいかないし、そのつもりもない。

 むしろ、あの男が相手なら腕が鳴るし血も騒ぐというものだ。


 俺は自信に満ちた余裕の笑顔で愛子に誓った。


「俺に任せておけ。お前の為にも、俺は必ず勝つ!!」



 拳を天高く突き上げ、堂々の宣言をする俺に微笑む愛子。


 俺は確信していた。

 そして断言できる。

 俺達の未来は明るい!


 もちろん俺ひとりではダメだ。

 愛子が側にいてくれなくては。

 今も、これからも、ずっと。


「さあ行こう、愛子。俺について来い!」

「うん! 総国くんっ!」

 互いに手を取り、ふたりで歩いていく俺達。


 桜舞う川沿いの道は薄桃色に彩られ、俺達ふたりに一足早い祝福を贈っているようだった。



               【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の大事な地下闘技場が同じクラスの前の席の女子に荒らされているんだが おしやべり @osiyaberi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画