第64話 はい、ここで猿飛シスターズの事をお話し致しまぁす
え?
いや、ちょっと待って。
何で婦長は何も言わないの?
ちょっとちょっと、みんなもどうしたのよ黙りこくっちゃって。
あ、そうか。婦長の目付きが怖すぎてなんも言えないんだね!
わかるわかる。
俺もだもん!!
俺は突然訪れた出処の分からない無言空間に凄まじい精神的苦痛を感じていた。
しかも婦長のあの目付きはなんなんだ?
普段穏やかな人だけに意味不明な怖さがすごい。
学校でぼっちになろうとも実の親に謹慎を命じられようともエヴァンゲリオンの結末が思っていたのと違っても平然としていられるこの『鬼メンタル総国』がマジで胃袋に鈍痛を感じる程である。
そんなセキセイインコ程度なら即死を免れないであろうこの
一体全体なんなんだ?
つーかさっきからおかしいよ鳥山婦長。
……嗚呼、早く帰りたい。
帰って布団を頭まで被って泥のように眠りたかった。
沈黙が始まってからおよそ1分。
その短いながらも謎の高密度のせいでクソ長く感じる沈黙を破ったのは鳥山婦長のか細い声だった。
「……愛子さんの思い出、というのは例えば楽しかった事や悲しかった事、といったものでしょうか」
これまでの語気が嘘のような、弱々しい声色だった。
乱子もその変化を感じ取ったのか、何かを窺うような瞳で婦長を見詰めていた。
「思い出、といっても愛子の記憶そのものではない。先程も言ったが、わたしは愛子の意識の一部だ。もっと言えば、骨や筋肉、神経や血液に混じった『何か』だ。感情は別物さ」
乱子の言葉は最早難解を通り越してミステリーだった。
ある意味興味深いが、それは単に興味本位でそう思うだけで真面目に受け取れば意味不明の噴飯ものであろう。
しかし婦長の顔にその手の感情は見受けられず、むしろそれらを真正面から受け止めているように俺には思えた。
と、その時。
黒い胴体に
つまり、有仁子だ。
「わけわかンねぇ。馬鹿にしてんのかよ」
突然の暴言。この状況の中、こんなに無神経な言葉を吐き出せるなんて、流石は有仁子だ。(もちろん褒めてなどいない。)
有仁子は理解の追いつかない話の内容に思考停止続行中といった間抜け面のままだったが、口元だけはお馴染みの凶暴性を覗かせるように歪んでいた。
「さっきっから聞いてりゃ意識だの記憶だの思い出だの。なにひとつ分かりゃあしねえ。むしろますますワケが分からなくなるばっかりだ。いい加減ムカつくぜ」
これぞ有仁子と言わんばかりの口汚さだ。肉親として穴があったら入りたいほど恥ずかしいが、言いたいことを代弁してくれたと言えなくもない。
ただ、言い方というものがあるだろう。
「乱子ちゃんよ、オメーが何者か、あたしにはどうでもいいよ。無茶苦茶強ええってのも蛇乃目をコテンパンにのしちまったからもう説明要らねぇ。二重人格だの三重人格だのも関係ねえ。あたしが知りたいのは『愛子ちゃん』だ。愛子ちゃんはどうなってんだよ。なんで全然出てこねーんだ? このままだと愛子ちゃんはどうにかなっちまうんじゃねーのか?」
有仁子の目つきは凄まじい獰猛さだったが、それは威嚇や挑発が目的ではないと誰もがわかっていた。
有仁子は有仁子なりに
俺だってそうだ。鳥山婦長も犬飼も、みんなが知りたいのは猿飛愛子の事なのだ。
それを察してか、乱子は静かにスプーンを置いて一寸目を閉じた。
「……その事だが」
彼女の表情からはある種の逡巡が窺えたが、彼女は迷いを振り切るようにしてその薄い唇を開いた。
「このままでは、愛子は消えてしまうかもしれない」
その一瞬の沈黙は静寂と言えた。
それは、その表現が同一ではなかろうとも皆が想定し得たであろう最悪の事態。
それが現実に起こりうる可能性を、愛子に最も近しい者から示唆されてしまった。
その事実は非常に重い。
「……な、な、なんだああああとおおお」
いの一番に立ち上がって吠えたのは当然のように有仁子だったが、乱子がそれを制した。
「そんな馬鹿なことがあってたまるかぁぁぁ!!」
「待て、有仁子さん。話はまだ終わっていない」
別段大きな声では無かった。
ただ、驚く程落ち着いた声色だった。
座ったまま、右手をかざして有仁子を促す乱子。たったそれだけの所作だったが猛烈な威圧感があった。
なにしろ冷静さを失って懐から愛銃・デザートイーグルを抜いてその銃口を乱子に向けるほど取り乱した有仁子が、ただそれだけで
有仁子は何かに
震える銃口は何も出来ず、引き金に掛かった人差し指は凍りついたように動かない。
「……座ってくれ、有仁子さん」
そう言われてようやく体が動いたか、有仁子はゆっくり頷いて銃をホルスターに仕舞うと、崩れるように着席した。
彼女の顔面にびっしりと浮かんだ汗の粒と顎先から滴るその雫から、彼女の感じた威圧感が生半可なものではないことは察するに余りあった。
「済まねえ、続けてくれ……」
有仁子らしからぬしおらしい台詞だが、それだけ乱子が只者ではないという証左だろう。
乱子は小さく頷くと、俺達全員を見回すようにして「本筋から少々外れるが、聞いてくれ」と断りを入れてから続けた。
「……先程恋子が話した内容の補足になるが、愛子のコンプレックスはその強さだ。大の男を一撃で倒してのける程に、愛子には武の才覚がある。それ故に腕試しをしたいという本能的な感情があるが、それ以上に普通の女子でありたいという気持ちが強い。だが闘争欲求は抑えきれない。だから愛子は無意識のうちに自分の『強さ』を抑圧し始めた。それがわたしだ。言い換えれば、わたしは愛子の実力の根源……彼女の真の
「実力そのもの? では恋子は実力ではないというのか?」
俺は思わず割って入ってしまったが、乱子は淡々と続けた。
「恋子は愛子の作り出した『なりたい自分』だ。引っ込み思案で大人しい愛子は活発な人間になりたいという願望があった。それが強さの抑圧や闘争欲求に対する葛藤を繰り返すうちに
『眉唾』という感覚が未だにぬぐい去れないが、だからと言って今の一言を聞き逃すほど俺は鈍感ではない。
「……闘争欲求を満たす『程度』の強さだと?」
俺が
「浜崎や鬼岩城を下したのも、今さっき仰られたその程度の範疇であったと?」
犬飼も半信半疑といった風で訊く。
しかし乱子は『何か変な事を言ったかな? 』とでも言いたげな顔だった。
「そうだ。ただ、だるまと蛇男を仕留めた時は別だ。奴らは中々の手練れだった。愛子と恋子では少々手に余ったので、わたしが手を貸した」
「……へ、へぇ〜。そうなんだぁ」
「なんだ総国? その微妙な反応は」
「べ、別にぃ……」
俺には強敵之会の
実際、だるまクンはプロの格闘家でも手に負えないレベルだろうし蛇乃目に至っては荒事専門の傭兵だ。
その水準を前にして『全力じゃなかったよ』的なことを言われると正直ショックだが、愛子・恋子・乱子の強さを目の当たりにしてしまうと何も言い返せない。
それに、だるまクンと蛇乃目は別格と認めている点で
加えて、そのふたりとの戦いに彼女が顔を出したという事実は俺の中にあった仮説に裏付けをもたらすものだった。
特にだるまクンを仕留めたのが乱子であったという事を確認できたのは大きな収穫と言えた。
「……で、 結局どーすれば愛子ちゃんを助けられンだい、乱子ちゃん?」
有仁子は腕を組んでふんぞり返っていたが、いつもの威嚇するような気配は無い。
有仁子なりに真摯にこの件を考えているのだろう。
乱子はチョコサンデーを食べ終え、スプーンを静かに置いて手を合わせて『ごちそうさま』をしてから続けた。
「愛子は今、とても稀薄だ。いつもなら手が届く場所に居るが、今は気配を感じる程度。呼び掛けにも応じない」
「だからそれでどうすりゃいいんだよ」
「無理矢理引っ張り出すしかあるまいな」
「だからどーやって」
「うむ。愛子が……」
乱子がその言葉の続きを言う前に、鳥山婦長が口を開いた。
「闘いたくなるような強者と
すると乱子は鳥山婦長に顔を向け、頷いた。
「鳥山さんの言う通りだ。そして試合う。それでどのような結果になるかは保証しかねるが、少なくとも愛子を引っ張り出す事はできるだろう」
それを聞いた犬飼は『なるほど』と目を細めた。
「日本書紀の岩戸隠れの伝説のようですね。お祭り騒ぎをして天岩戸に隠れてしまった天照大神の気を引くという……」
俺もその手は名案だと思った。
ただ天岩戸伝説よりも酒の臭いでヤマタノオロチを誘い出した伝説の方が近い感じはしたが。
しかし、ここで大きな問題があった。
「で、誰と闘うんだよ」
有仁子が口を尖らせている。
その問題とはまさにそれなのだ。
「現時点で愛子ちゃんより強ええ奴なんて思い付かねーよ。地下格闘の世界チャンピオンをぶっ潰すわプロの傭兵軍団を全滅させるわ……もう相手になる奴いねーんじゃね?」
確かにそうだ。だるまクンを半殺しにしたような奴とは誰も試合をしたがらないだろうし、それでもやるという命知らずを今から探す時間も無い。
困ったな、と手をこまねいていると、乱子が不敵な笑みをこぼした。
「居るだろう」
何の事かと見やれば、その目線は鳥山婦長に向いていた。
「わたしの目は節穴ではないぞ」
乱子は椅子を引いて立ち上がり、何をするかと思えば――!
「なあ、鳥山さん!」
突然目の前のテーブルに飛び乗ると、乱子は鳥山婦長目掛けて襲い掛かったのだった!!
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