第68話 適度な運動すら続かないんですけど?
突然ですが皆さん。運動、してますか?
適度な運動は健康維持にも体力増強にも精神衛生上にも良いのはご存知の通りだが、金銭面にも良い影響があるのを諸兄はご存じだろうか。
俺も正直なんでそうなのかは知らないが、経済的に成功した者の多くは普段から運動やトレーニングを欠かさないという。
運動することで体力が付いてより多く働けたりだとか、運動の最中に良いアイデアが浮かんだりだとか、そんな理由があるようだ。とはいえ、はっきりとした因果関係が証明されているわけではない。
しかし、我が金沼家は当然のように古来から運動が経済面に良い影響を与えることを察知しており、【金沼家十家訓】のひとつに「鍛練怠るべからず」というものがあるのだ。
歴代の金沼家当主はその掟を脈々と守り抜いて健康そのもので天寿を全うし、病魔に蝕まれこの世を去った軟弱者は皆無だと言うから体を動かすことが生命維持及び一族繁栄にとっていかに重要かが手に取るようにわかろうと言うのもだ。
勿論、俺も金沼家を継ぐ者としてその教えを守っている。
今まで語ることはなかったが、実は、俺は毎日ロードワークを欠かさないでいた。
主に夜、或いは早朝。適度と感じられる程度ではあるが、何年も走り込みを続けているのだ。
……『なんで黙ってたんだよ』とか『後付けくせー』とか思われそうだが待ってくれ。だいたいこんなことをわざわざ語る必要がなかったし、敢えて言うのもイヤらしいではないか。
『頑張ってるアピール』など、本物の王者には不要なのである。
「というわけで行ってくる」
夕食後、ジャージに着替えた俺はほぼ修繕が完了した居間でテレビを見ながら煎茶を啜る恋子にそう告げた。
時刻は間もなく午後8時だった。
「毎日偉いね総国くん。帰りに牛乳買ってきて」
「御意」
俺は恋子から二百円を受け取り、玄関でランニングシューズを履いた。
数年以内に内閣総理大臣を遥かに凌ぐ権力を手にするであろうこの俺様がお使いなど本来なら断固拒否なのだが、今の俺はただ飯喰らいの居候だ。
臥薪嘗胆とはこの事で、克己心を養うためにも敢えて牛乳だろうがなんだろうがお使い上等の覚悟なのである。
さあ、行くか。
俺がうんと伸びをして玄関のドアノブに手をかけたその時だった。
玄関の
「夜分に失礼します。総国様はおられますか?」
ドアの向こうからの声は鳥山婦長だったので驚いた。
ちなみに猿飛家のインターホンは元々壊れていたが、ゴールドメンバーズ戦で猿飛家はめちゃくちゃになってしまっていたので、恋子はどさくさに紛れてインターホンも有仁子の下僕に修理をさせていた。彼女も中々のちゃっかり者である。
台所付近にあるインターホンのモニターで婦長の来訪を知った恋子が玄関までやってきた。
「鳥山さん?」
恋子が呼ぶと、婦長は『はい』と優しく応えた。
「……恋子さんですか?」
「うん。声だけでよくわかるね。さっすが鳥山婦長〜っ」
「恐れ入ります」
……確かに乱子の可能性だってあるだろう。
だが、婦長は迷わず恋子であることを看破した。2択、或いは3択問題だが、そのあたりは婦長の鋭敏さ故の正解なのだろう。
恋子がドアを開けると、婦長はいつもの割烹着姿で深々と頭を垂れた。
「こんな遅くにお邪魔して申し訳ございません」
「まだ8時だし。ぜーんぜん遅くないから気にしないでよ〜」
「お気遣い、痛み入ります」
婦長はゆったりと微笑んだ。
先日とは別人のような、というかいつもの婦長らしい笑顔だった。
1日置いて、彼女の心境に良い変化があったのだろうか。
「総国様、今からロードワークに行かれるのですか?」
婦長はジャージ姿の俺を見て言う。
「ああ。でも別に今すぐじゃなくてもいい。せっかく来たんだ、上がってくれ」
俺は相変わらず自分の家でもないのに婦長を家の中へと招き入れようとしたが、婦長は首を横に振った。
「いえ、またの機会にいたします」
婦長はすすっと
「えーわざわざ来たんじゃん。お茶でも飲んで行ってよぉ」
恋子の人懐っこい笑顔が婦長の気を引いたのか、彼女は迷うような素振りを見せた。
「で、ですが……」
「いいからいいから。さあ、入って」
婦長の手を取る恋子。
そのまま居間にでも行くだろうと思って俺はランニングシューズを脱ごうとしたが、様子がおかしい。
婦長は玄関で靴を脱ごうとせず、上がり
「……恋子さん、お気持ちはとても嬉しいのですが、もう夜も更けて参りましたし、後日改めさせて頂きますわ」
「またまたぁ。てか、あたしは全然気にしてないよー」
「総国様のトレーニングのお邪魔ですし」
「別にいーじゃん。総国くんもいいって言ってるし。ねえ?」
恋子が俺をチラ見した。まあ、恋子の言う通りだ。
「俺は一向に構わないぞ」
「……と、申されましても……」
なんだか妙だ。
婦長は空気の読める人なので余程の事がない限り人の厚意を無下にしない。
婦長は金沼家の新年会でも勧められた酒は絶対に断らないので、元旦は毎年昼から泥酔して色々大変なのだ。
そんな鳥山婦長が恋子の誘いをここまで固辞するのは何故だ?
当然、何か理由があるのだろうが……。
「なあ、恋子。またの機会にしないか?」
見かねた俺がそう提案すると、恋子は不満そうに口を尖らせた。
「えー? せっかく来たのに? あたし鳥山さんとゆっくりお話ししたいな〜」
婦長の手をきゅっと握り、無邪気に笑う恋子。
そんな彼女に、婦長は申し訳なさそうに微笑んでいた。
「……婦長にも都合があるんだろう。それに、無理強いするのは良くないんじゃないか?」
「そーだけどぉ。でも、それならなんでわざわざこんな時間に来たの? なんか話があってきたんでしょ? 試合の事とか。ねえ、鳥山さん。そうでしょ?」
恋子の質問攻めに婦長は頷いたものの、肝心の内容を話そうとしない。
「仰る通りなのですが、実はその件で総国様にお話がございまして……」
婦長らしくない、煮え切らない態度だ。
(何か裏がありそうだな……)
とりあえず話を前進させるためにも俺は助け船を出すことにした。
「ははーん、なるほど。どうせ有仁子のアホがまた無茶苦茶な条件を出してきたんじゃないのか? それで、婦長はその
というふうに、少々わざとらしく言ってみた。
すると婦長も何かを察したらしく、
「ち、近からず遠からずです。有仁子様のお申し付けで、このお話は総国様だけにお伝えするようにと……」
流石は鳥山婦長。上手く乗ってきた。
すると恋子は婦長から手を離し、腕を組んで思案するような素振りを見せた。
「そっかぁ、有仁子さん絡みかぁ〜」
恋子も有仁子の恐ろしさとウザさを充分に弁えているのでこれ以上の無理強いは自分のためにもならないと判断したらしい。
「そーゆーことなら残念だけどまた今度ね」
と言って、残念そうに笑って見せた。
「……でも、それって次の試合が決まったってことだよね。鳥山さんとあたし達、やるんだ?」
恋子の言う通りだ。話の流れがあちらこちらに行ってしまって本筋を見失ってしまったが、そういうことになるだろう。
「そうなのか? 婦長」
俺の問いかけに婦長は少し俯き加減にこくんと頷き、はい。と呟くように答えた。
「……今週土曜、午後7時。私と猿飛様の対戦が決定致しました。その件に関し、総国様にお伝えしたい事がございます」
改まってそう告げる鳥山婦長の表情は真剣なものだったが、僅かに陰が差して見えた。
俺はその時、それは単なる思い過ごしだと気にも留めなかったが……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます