第34話 勝たなきゃ……誰かの養分……!

 ……は?


 お金?


 意外な返答をされ、呆気にとられた俺。

 そんな俺に微笑み、婦長は懐から札束を取り出した。

 ざっと50万円はありそうだ。


「な、な、なんだその札束は……!?」

「過去最高倍率でしたからね。大勝負に出た甲斐がありましたわ」

 そう言い、ホクホク顔の鳥山婦長。

 という事は、つまり……。


「婦長、試合を止めなかったのは……」

「過去最高倍率の試合が反古ほごなんて、面白くもなんともありませんでしょう?」

「猿飛が勝つという確信は……」

博打ギャンブルとは信じる力が肝要ではなくて?」


 つまり、鳥山婦長は猿飛に賭けていたから試合をやめさせなかったし、勝つという確信はただの願望というかギャンブラーの勘だったというわけか。


 なるほどなるほどそういうことか。

 婦長が札束を手にしていると言うことはもう払い戻しは始まっているわけで、そう言えば俺が猿飛に3万賭けた投票券は犬飼に預けていたな。

 つまり犬飼は婦長から払い戻しのことを聞いて急用とか言ってダッシュで向かったのは払い戻し窓口でわかりやすく言うとあいつ金持って逃げたな!!


「ちくしょおおおおおおッ!」

 迂闊だった!

 セル並みに『ちくしょう』が出てしまうほど迂闊だった!!


「犬飼いいいいい!」

 もう今さら間に合わないとわかっていても俺は犬飼を追わずにはいられない!

 猛烈ダッシュで部屋を出て犬飼を地獄の底まで追いかけようとしたが、ドアを開けたら有仁子が立っていたのでマジで焦ったというか、有仁子!?


「ゆ、有仁子!! なんだお前、なんでここに!?」

「オメーに用はねぇ。猿飛愛子は居るか?」

 何をしに来たのか、有仁子の指名は猿飛だった。



 有仁子はとてつもない仏頂面で仁王立ちしていた。だるまクンの敗北が余程精神的、経済的に堪えたのだろう。

 本来なら指を差して大爆笑してやりたいところだが、王者の器を持つ俺は軽い嫌味に留めておいてやることにした。


「一億円ドブに捨てたも同然の人を見る目が全然ない阿呆が猿飛に何の用だ」

「うるせえ馬鹿野郎オメーはすっこんでろ。それに一億は成功報酬だ。契約書にもそう書いてあンだよ!」


 有仁子は懐から契約書の控えを取り出し、俺の目の前に突きつけた。

 確かに一億円は成功報酬だとの記載があるが、虫眼鏡で見ないと読めないぐらいの小さな文字でしかもわざと難解な言い回しで書いてある。


 自分の勝利しか考えていなかったであろうだるまクンがこんな面倒くさいモノをじっくり読むとも思えないし、その辺は有仁子も織り込み済みに違いない。

 姑息や卑怯を通り越して清々しさを感じるクズっぷりだ。


「ンな事はどーでもいい! 猿飛あいつはいるのかいねーのかどっちだ!」

わめくなやかましい。見れば分かるだろ。いな……」

 い、と言いかけたところで猿飛がひょっこり顔を出したので驚いた。


「あ、いたいた。金沼くん」

「さ、猿飛……休んでいなくて大丈夫なのか?」

 あれだけの死闘を繰り広げておきながらも猿飛はうん、と事も無げに頷いた。

「健康だけが取り柄なんで」

「健康じゃなくて頑丈だろう……」

 俺のツッコミに「てへへ」と呑気に笑う猿飛。

 気絶したまま病院送りの憂き目にあっただるまクンが浮かばれない……。


「……ところで猿飛」

「ん、何?」

「――いや、なんでもない」

 試合中、様子がおかしかったが……と訊こうと思ったが、やめた。


 彼女は試合中、鬼岩城の時もそうだったがまるで別人のようになってしまった。

 テンションが上がってしまって意外な一面が垣間見えた、というレベルではないに、俺は一抹の不安を覚えていたのだ。


 だが、今ここでこのまま問い正しても何の利益も無いだろう。

 何せ、眼前には鬼の化身の様な女が禍々しい形相で異様な殺気を放っているのだ。

 先ずは目の前の不安をなんとかせねば……と思った矢先、有仁子が口を開いた。


「おい、猿飛愛子」

 ほぼ無視されていると感じたか、有仁子がドスを利かせて呼び掛けると猿飛はビクッと肩を震わせた。

「は、はいっ」

 戦闘中の時とは別人のような猿飛に、有仁子はフン、と鼻を鳴らして言った。

「こんなちんちくりんが、よりによってだるまクンを倒しちまうんだからムカつくぜ」

「え、ええと……すいません」


 ペコリと頭を下げる猿飛に、有仁子はため息混じりで肩をすくめた。

「随分楽しそうだったじゃねえか。あいつ、強かったか?」

 お前は一体なにしに来たんだ? と横槍を入れかけたが、猿飛が見たことのないくらい良い笑顔で頷いたのでタイミングを完全に外してしまった。

「はい! 今まで闘った人の中で一番強かったです!」


 ……部活の試合に勝った中学生みたいな顔で言う猿飛に、俺も有仁子も二の句が出てこない。

 今まで闘った人の中で一番と言うが猿飛よ、お前は地下格闘界で世界一強い男に勝ったんだぞ。


 有仁子は相変わらず不機嫌を絵に描いたような顔をしていたが、猿飛に悪態をつくような雰囲気ではない。

 いつものこいつなら相手を散々罵倒して場の空気を最悪にして去っていくだろうに。

「……次はマジで覚悟しとけよ」


 だるまクン以上の相手が居るのか疑問だが、有仁子はどこか自信ありげに言う。それを聞いた猿飛は目をキラキラ輝かせ、

「はい! 楽しみにしてます!」

 と、本気で言っているから困ったものだ。


 すると有仁子は一瞬、ほんの一瞬、本当に僅かに、薄っすらと微笑んだ……ように見えたのは俺だけか。

 あの外道の最たる有仁子があんな笑顔を?


「なに見てんだ総国。張り倒すぞてめえ」

 つい、見たくもない有仁子の顔を凝視してしまっていた。

「え、いや、別に」

 俺は取り繕うように咳払いで誤魔化した。


「……じゃあな、猿飛愛子。死ねクソ愚弟」

 そう吐き捨て、有仁子は去っていった。



「なにしに来たんだ、あの馬鹿姉は」

 奴の不審な行動に俺が首を捻ると、猿飛はどこか嬉しそうな顔で言った。

「有仁子さんってちょっと怖いけど、そんなに悪い人じゃないんだね。私、好きかも」

「………………え?」


 俺は我が耳を疑った。

 正気か猿飛!?


「何を言っているんだ猿飛、やっぱり試合中に頭を打ったな? 大丈夫か? 大きな病院行くか?」

 本当に心配だったので頭をわしわしと撫でてみたが異常無し。

 それどころかイヤだやめてと、すげなく手を振り払われてしまった。


「猿飛、言っておくが有仁子は本物の鬼畜だぞ。地球が滅亡するとしたらその原因は温暖化でも核戦争でもない。有仁子だ!」

「……ふーん」


 俺の確信に満ちた予言を猿飛は全く相手にせず、ふーんのひとことで一蹴した。

 そして彼女は俺の予言……というか忠告など全く気にする様子も無く、

「ああ〜、次の週末が楽しみだなぁ」

 なんて、危機感のまるで無い満面の笑みで呟くのだった。


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