第6話 猿 VS 元大関・鬼岩城
言われなくとも、この地下闘技場『
猿……いや、『猿飛愛子』はそれを改めて鬼岩城へ示したのだ。
見るからに格下が、見るからに格上に対して『
これ程明確な挑発があるだろうか。
『『『おおおおおおっっ!!!』』』
会場は沸きに沸いた。
そりゃそうだ。
観客的には面白すぎる展開だろう。
圧倒的体格差を度外視して、ちんちくりんのジャージ猿が横綱クラスの力士を挑発しているのだ。
これが痛快でなくて何だというのか。
当然、それは鬼岩城の逆鱗に触れた。
彼はさっきまでの舐めプな表情を一切消し去り、視線だけでもハッキリ分かるほどの殺意を猿飛に向けていた。
「……あの猿、殺されますよ」
犬飼が息を飲む。
「……かもな」
主催者として、そしてクラスメイトとして、俺は背筋がバリバリに凍っていた。
(えー、ちょ、まっ……え? 猿飛って地味なフリして実はサイコパスなのかな???)
普通、この状況であんな挑発するか?
しかも当の猿飛はその右手を隠そうともせず、まるで鬼岩城を煽るように胸を張っているのだ。
あれは自信の現れか?
それともヤケクソか?
俺はこの戦いで猿飛の実力を量りたいと考えていた。ある意味で『テスト』のつもりだったのだ。
だから展開がヤバそうなら試合を止めようとも考えていた。
今回の試合がデスマッチにならないように、鬼岩城には試合の決着がノックダウンのみではなくTKOの可能性もあると伝えてあるし、それ込みでの高額な依頼料だ。
借金まみれの彼なら、金次第である程度のコントロールが出来ると俺は考えていたのだ。
それに、万が一に備えて医療班も人員増強の上、バックヤードに待機させている。
もちろん、それが機能すること無くすべてが済めばそれに越したことはないのだが。
しかし、この状況はそれら全てを
鬼岩城の性格を鑑みれば、彼が契約を守る保証はこれで無くなったも同然なのだ。
甘かった。
つーかこんなもん予想できるか。
俺が自らの浅慮さに愕然としていたその時、犬飼のスマホが鳴った。
「総国様」
ディスプレイを見たままで犬飼がゴクリと生唾を飲み込んだ。
「猿への賭け金が鬼岩城を超えてしまいました……」
「ぇぇ……」
つまり、お客の半分以上が猿に期待し、支持しているという事だ。
これで試合中止の線も消えた。
そんな事をしたら機会損失云々よりも、暴動が起きかねない。
俺の脇がじわじわと湿っていく間にも試合の準備は進んでいく。
実況は客を煽り、客は勝手にボルテージを上げていく。
それにつられるように会場の空気が張り詰めていく。
試合開始が迫っている。
追い立てられる様に、時間だけが過ぎていく。
「総国様。この試合は中止すべきです」
犬飼の声が真剣だった。
「ある程度の損失はやむを得ません」
これは『命のやり取り』になると、犬飼も直感したのだ。
「観客には何かしらの対価で納得してもらうしかありません。このままではそれ以上のものを失います」
そうだ。
さすがに無理だ。
猿飛は鬼岩城をただの『元力士』程度に考えているのだろう。
もしそうならそれは大きな間違いだ。
鬼岩城は、例えるなら『獣』。
それも、限りなく野生に近い猛獣……!
「……仕方ない。お客には割増しで賭け金の払い戻しを――」
そこで言葉が止まった。
リングの上の猿飛と目が合ったのだ。
正確には猿のお面と目が合った。
それでも俺には素顔の猿飛の、その瞳が見えた気がした。
俺の言葉を止めたのはそれだけが原因ではない。
猿飛が右手で象ったピストルの銃口が、俺に狙いを定めていたのだ。
そして俺は撃ち抜かれた。
彼女はその小さなピストルで、俺の胸を一撃で撃ち抜いたのだ。
その心持ちをどう表現すれば良いのか。
思い当たる言葉が見つからない。
もし、それでもと言われれば、『ときめいた』という言葉が最も相応しいのかもしれない。
しかし、
「……っ!」
俺はある種の感動により行動停止に陥っていたのだ。
「……総国様?」
犬飼が俺をじっと見つめて声を掛けた。
「総国様! お早く!!」
彼は俺を促す。
そうだ、もう時間がない。
決断せねば。
俺はマイクを引き寄せ、会場の黒服に指示を出した。
「試合開始だ! ゴングを鳴らせ!!」
ワッ!!
歓声が吹き上がる。
その歓声と熱気に試合開始を肌で感じた鬼岩城が身を屈め、両手を前方に低くつき、眼光鋭く本物の獣のように構えた。
その仕草は相撲の『仕切り』。
つまり、『立ち会い』の構えだ!!
その凄まじい威力を知っている犬飼が俺の判断に唖然としている。
しかし、俺に迷いは無い。
俺の考えている通りなら、この判断は間違っては……!
『カァン!!!』
試合開始のゴングが――!!
タンッ!
ゴングと同時に仕切り、鬼岩城が猿飛に向かってぶちかました!!
力士の立ち会いは自動車事故と同等の破壊力だというが、彼に至ってはダンプカーだ。
しかも
目にも止まらぬ早業で、猿飛との距離を一気に詰めた鬼岩城!!
そして……
バキィィッッッ!
激しい衝突音に思わず目を覆う犬飼。
しかし、俺はこの目で
目撃したのはバラバラに砕け散った猿飛の無惨な姿――ではない。
猿飛の放った渾身の
猿飛は、やはり狙っていた。
彼女は必ず
そう推察する根拠はある。それは猿飛が鬼岩城に対して行った『挑発』だ。
彼女はあの『ピストル』で、鬼岩城を誘ったのだ。
何に?
言うまでもなく、『相撲』に誘ったのだ。
ここはなんでもありの地下のリングだ。
ファイトスタイルも自由。
武器の使用すら認められている。
実際、鬼岩城は様々な『ルール無用の地下格闘』で戦いを重ねるうちに多くの格闘技術を吸収し、自己の流儀を確立していった。
そして現在の彼の流儀は相撲をベースにしつつも総合格闘技に近い、ある意味喧嘩殺法的な、自己流のファイトスタイルであった。
そんな事を猿飛が知る由も無いと思うが、彼女はあの『ガチンコ』のサインひとつで鬼岩城の流儀を『相撲』に固定してしまったのだ。
鬼岩城は『相撲』を自らの精神的支柱に据えている。
それを証明しているのは、かつての四股名を今も使い続けているという『未練』だ。
猿飛はそれらを見透かした上で、その自慢の『過去の栄光』を
全ては鬼岩城に『立ち会い』をさせるため。
どうしようもない身長差を埋めるために猿飛は鬼岩城を屈ませたのだ。
そして試合開始と同時に突っ込んで来るのが分かっていたからこそ、彼女もタイミングを合わせて踏み込み、全身全霊のハイキックを放った。
結果、渾身の蹴りは約束されていたかのようにベストポジションへやって来た鬼岩城の横っ面で炸裂したのだ。
しかも、猿飛は自分のようなちんちくりんの蹴りなど避けるまでもないと、鬼岩城が
なんという格闘センス……いや、喧嘩のセンスだろうか。
しかし。
だがしかし。
身長差は埋まったが、体格差は埋まらない。体重差も埋まるはずがない。
そんな小細工では根本的な『肉体の差』が埋まる訳が無いのだ。
猿飛の蹴りはものすごい音を響かせた。
観客が言葉を失うほどの鮮烈さだった。
だが、その残響音が消えきらないうちに鬼岩城が打たれた顔をぐいいと戻し、ニヤリと笑った。
効いていない!!
いくらクリーンヒットだとはいえ、あんな小さな蹴りでは鬼岩城にはダメージを与えられるはずがない!!
会場がざわめく。
それはこれから始まる一方的な展開を予想したからか?
違う。
それは最初で最後のチャンスだったあの蹴りが不発だったというのに、猿が逃げもせずにその場で突っ立ったままだからだ。
あまりのショックに立ち尽くしているのか。
或いはすべてを諦めしまったか。
鬼岩城は棒立ちになった猿に対してニヤニヤと下卑た笑みを浮かべつつ、この哀れな猿をどう料理しようかと考えながらゆっくりと体を起こして前進した……が。
ぐらり。
鬼岩城の巨体が傾いだ。
そして、
ドスン!!!
その巨体が膝から崩れ、彼は両手両膝をキャンバスに突き立てたのだ。
――ダウンだ!!
『『『おおおおおッッッ!!!』』』
観客が大喝采を上げた。
それはまさしくジャイアントキリング。
あんなに小柄な猿の蹴り一撃で、圧倒的巨漢が
張り裂けんばかりの歓声の中、鬼岩城は倒れてはいないものの余程のダメージなのか、それとも現状把握に難儀しているのか、直ぐには立ち上がれないでいた。
そして猿はそんな鬼岩城を見下ろすように佇んでいた。
先程、猿飛がなぜ何もせずに突っ立っていたのか。
それは、『見ていた』のだ。
それ以上何もする必要がなかったから、勝手に崩れ落ちる鬼岩城をただ眺めていたのだ。
彼女は確信していたのだ。
自分の強さを。
この地下闘技場にはテンカウントはない。
決着はノックダウンか降参のみ。
今回に限りTKOもあり得たが、それはこちらの都合だ。
それに闘技者が戦える状態であれば、試合を止める理由にはならない。
鬼岩城はまるで浮上する潜水艦のようにずずず、と立ち上がった。
当然ノーダメージという事は無いが、戦闘続行に支障は無いと言いたげに闘志をむき出しにする鬼岩城。
その姿に観客は声援を送り、同時にもう鬼岩城に一切の余裕が無い事も意識していた。
殺気というよりも殺意。
そんな鬼気迫る鬼岩城に観客達は息を飲むが、猿飛は全く動じることもなく目の前で再起動した巨漢を眺めていた。
中途半端な攻撃が逆効果になってしまったか……。
俺はむしろ状況が悪化している様な気がして胸がざわついたが、突然響いた予期せぬ声に意識をすべて持っていかれた。
その声はリングサイドに設置されたマイクが拾った声だった。
『さすがに一発じゃ無理だってぇ。あたしの言ったとおりじゃん』
それは猿飛の声だった。
そして彼女は続けた。
『じゃ、次はあたしの番ね!』
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