第7話 ひとりよりふたり?

 独り言か?


 猿飛の声だが、が別人だ。

 それに、その内容が独り言とは思えない。


 だから俺はリングサイドにいるお客の会話を偶然マイクが拾っただけかと思ったが、異変はその直後に起きた。


 トン、トン、トン。


 猿飛の履いているスニーカーが軽快な音を立て、リズム良く跳ねたのだ。


 トントントン、

 ザッザッザッ。


 それはボクサーの様な足捌きだが、ダンサーの様でもある。

 実に軽快で、華のあるフットワークだった。


 それまでの猿飛は前傾姿勢に近い猫背で、ひどく興奮するように肩で深く息をするエヴァンゲリオン初号機の様な構えだったが、今の猿飛は身軽さを誇示する様に身体を揺らしている。

 それだけを見ると、まるで別人だった。


 その異変に犬飼も食い入るように見入っている。もちろん、俺もだ。

「な、何が起きているのでしょうか……」

「分からん……だが」


 楽しそうだ。

 俺には猿飛の軽快なステップが、お客を意識している様に思えたのだ。

 そして、それは間違いでは無かった。

 猿飛が客を煽り始めたのだ。


 彼女は自分のステップに合わせて両手を上げ、会場に向かって『盛り上がれ!』とでも言いたげにジャンプした。


 ワッ……

 ワッ…

 ワッ!


 猿飛のステップに合わせて会場から手拍子と歓声が弾ける。

 この殺伐した地下闘技場がまるで東京ドームにでもなったかのような明るい雰囲気になってしまった。

 猿飛がそんな空気を創り出したのだ。


 彼女はそれに満足したようで、少しズレてしまった猿のお面を片手で直し、真正面で殺気立つ鬼岩城に向かって右手を差し出してその手のひらの揃えた指をくいくいと軽く2度曲げた。


 つまり、『かかって来な』と言っているのだ。


 わあああっ!!!!


 会場が歓声で震えた。


 本日2度目の挑発に会場は過去に類を見ない盛り上がりを見せたのだ。

 そして鬼岩城が間違いなく勝つだろうと踏んでいた観客達も、この頃には猿が勝つかもしれない、と本気で思い始めていたという。


 それを鬼岩城は肌で感じていた。


 ……彼が誇るかつての栄光は、地下に堕ちても色褪せなかった。

『強さ』の普遍性を証明するような連戦連勝は、以前よりも彼を特別な存在へと変えていった。


 しかし、それもここまでだ。

 自分に対して絶望的な体格差の、しかも猿のお面に芋ジャージというふざけた格好の相手に舐め切られ、しかもダウンまで喫した。


 ――傷つけられたプライドの代償は、相手を再起不能にすることでしかあがなえない。


 荒くれ者の鬼岩城がそんな短絡的な発想に至るのは自然で、その後の彼の行動も容易に想像できた。


『殺してやる』


 そんな意気で拳を構えた鬼岩城に、最早もはや隙は無い。

 先程の蹴りは不意打ちだったと捉えた彼は、ガードを上げてじりじりと猿飛との間合いを詰めたのだ。


 鬼岩城は冷静さを取り戻し、確実にを仕留める事だけを考えている。

 これでもう小細工は通用しない……!

 ここから先は本当の意味での実力勝負だ。

 観客達がそう息を飲んだその時!


 ダッッッ!!


 猿飛のスニーカーが鳴った。

 この状況で、なんと彼女は踏み込んだのだ!


 後ろへ!!



 え、

 と皆が唖然とした。

『猿』が鬼岩城に背を向けて全力で走り出したのだ!!



「はぁ!?」

 俺は思わず叫んだ。


 おいおいここまで煽っといて逃げるとかあり得ないだろーこのあとお客と鬼岩城の後始末つけんの誰だと思ってんだよー!


 なんて、ケチな事を考えたのではない。


 後に伝え聞いたところによると、観客も鬼岩城すらも『猿が逃げ出した』のだと思ったそうだ。


 だが、俺はそうではないと分かっていた。

 だから思わず叫んでしまったのだ。



 猿飛は猛然と駆け、リングからの脱出を目指したのではない。

 逆だ。

 猿飛が目指したのはリングを囲むロープだ。

 彼女はロープの直前でくるりと反転し、自身の加速とロープの反動で更に加速し、リングへと舞い戻る様に鬼岩城目掛けて突っ込んだのだ!

 そして……跳んだ!!


 ゴチュッッッ!!


 鈍い音が鬼岩城の顔面で爆ぜる。

 猿飛の揃えた足の裏が、鬼岩城の顔面を蹴り飛ばしたのだ!!


 それは御美事おみごととしか言えない、お手本の様な『ドロップキック』だった。


地下闘技場ここでプロレスをやる気か!?」

 ちなみに俺が発した先程の「はぁ!?」は、この言葉に繋がる。


 まさか……いや、そのまさかだ。


 猿飛はドロップキックを決めた直後、揺らぐ鬼岩城の巨体を素通りするように再び疾走し、先程よりも勢いをつけてロープに身を預けた。そして――!


 あっ!!


 観客の声すらも遅れて聞こえるほどはやく、猿飛は跳躍んでいた。


 しなやかで伸びやかな跳躍ジャンプは鮮やかで、彼女は言葉の通り『ましらの如く』鬼岩城に飛び付くと、その勢いを更に加速して自分の両足首を鬼岩城の太い首に挟み込んで拘束クラッチ

 そしてぐるりと素早く旋回したと思うと、なんとその反動で鬼岩城の巨体をぶん投げてしまったのだ!



「『ティヘラ』だと!?」

 俺の声が震えた。


 あれはプロレス技の『ヘッドシザーズホイップ』。

 しかし、彼女が使用した技は少し違った。


 あの華麗な回転を多用したアクロバティックなヘッドシザーズホイップは、空中戦の鮮やかさで名高いメキシカンプロレス『ルチャ・リブレ』で言うところのそれ……つまり、それが『ティヘラ』なのだ。

「あいつ、マジでプロレスをやってやがるぞ!」


 嘘のようなまことの出来事とはまさにこれだ。

 小柄な猿の華麗な妙技で鬼岩城ほどの巨漢が宙を舞い、頭からリングへと投げ飛ばされてしまったのだから。


 会場はもうプロレスの試合会場だ。

 この一体感は『悪役ヒールを倒すヒーロー』に期待する空気感バイブレーション

 圧倒的な声援を受け、猿飛が今まさに起き上がろうと顔を上げた鬼岩城に突進した!

 その時。


『カッコよくキメちゃえ! 愛子!!』


 再びリングサイドのマイクが声を拾ったのだ。


 それが何かを考える時間は無かった。

 その時には既に猿飛は鬼岩城の眼前で深く踏み込み――!


 バキィィィッッッ!!


 物凄いミドルキックが鬼岩城のこめかみをぶち抜いていたのだ。

 

 ワッッッッ!!


 ……歓声が追いつかない!!

 その頃には猿飛の左右の脚が矢継ぎ早に蹴り込んだ2連撃のクリーンヒットで鬼岩城の頭部をサンドバッグよろしく大きく跳ねさせていた。


 ウワッッッ!!


 またしても歓声を置き去りにし、鬼岩城の顔面をサッカーボールの様に思い切り蹴り上げた猿飛……そして!


 おおおお!!


 猿飛が片脚を天高く上げたその時、ようやく歓声が追い付いた!


 あれは、踵落とし!

 ……ではない!


 彼女の脚が上がりきる頃、鬼岩城は顔面からキャンバスに崩れ落ちていた。


 猿飛の狙いはその後頭部。

 振り下ろされるのは――その小さな足の裏!

 あれは踏み付けストンピング!!


 いや、違う!

 猿飛は大きく振り上げた右足の、その膝のあたりに右手を添えていた。

 あれは……あの格好は!


四股しこ』だ!!



 ドッガァァッッッ!!



 ……まるで交通事故だ。


 そんな、鈍く激しい音。


 猿飛の四股は、まるで悪鬼を踏み潰すいにしえの力士のように鬼岩城の後頭部に振り下ろされ、で彼にとどめを刺したのだ。



 1秒、2秒、3秒……。


『カァンカァンカァンカァンカァン!!』


 ゴングの前の黒服が我に返った様に飛び上がり、ゴングを打ち鳴らした。


鬼岩城は失神し、ピクピクと痙攣している。火を見るより明らかな決着だ。


の勝利だ!!



 あまりに衝撃的な光景に唖然としていたのか、ゴングを鳴らす彼はそれを隠すように、同時に歓声を煽るようにゴングを乱打していたのだった。


「か、勝っちまった……!」

俺は震えた。

感動すらしていた。

「猿飛……お前は、一体……」


降り注ぐ歓声の中、猿飛は鬼岩城の頭に足を乗せたまま先程のように肩を大きく上下させ、ゆっくりと深い呼吸を繰り返していた。



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