第5話 賭博相撲・地下場所

 そして日曜日がやってきた!



 ちなみに猿飛と話をしたあの時からこの日曜が来るまで、彼女が俺に話しかけてくることは無かった。


 少し期待していた俺はシンプルに悲しかったが、彼女も俺を意識しているからだと自分に言い聞かせ、今日までの数日間の精神こころの平静を保ってきた。


 そして今日。その努力もようやく報われようとしているのだ。

 俺は地下闘技場の司令室でまたしてもククク、と薄笑いを浮かべていた。



「総国様。いかがなさいましたか?」

 犬飼がどこか怪訝な顔をして俺に問うてきた。

「いや? 別に」

「……」

「なんだよ犬飼。言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

「……では申し上げますが、総国様は何故『鬼岩城』を呼びつけたのですか? 対戦相手を明かさないままでの試合依頼オファーを受けて頂くのに随分と足元を見られましたし、その交渉に私もかなり時間を割かれましたよ」


 それは『鬼岩城に試合を受けさせるのしんどかったし依頼料が結構高くついたんだけどー』という軽い嫌味だが、なんとか依頼を受けさせてくれた犬飼には嫌味を言う権利があるだろう。


「まぁそう怒るなよ犬飼。今日のメインはな、鬼岩城クラスでないとダメな対戦相手ヤツなんだよ」

「……そろそろ教えて頂けませんか? 今夜の『闘技者』が誰なのか」

「当ててみろよ」

「……なんとなく予想はつきますが、まさか」


 その名を口にしなくても、犬飼の予想は的中している。

 俺の不敵な笑みを見た犬飼も、それを察したようだ。


を突き止めたのですか?」

「まぁな。言質げんちを取った訳では無いが、あの反応は間違いないよ」

「それならそうと、どうして私には教えてくださらなかったのです?」

「……多分、お前は反対するだろうからさ」

「反対?」

「というより、叱られそうだったからな」

「意味が分かりません」

「全部終わったら、ちゃんと話すよ」


 俺が時計を指差す。

 時刻は午後9時だった。 



 ワッ!!


 突如、会場が沸いた。

 どこからともなくが現れたのだ。


 ジャージ姿に猿のお面。

 先週末と同じ出で立ちで、ヤツは現れたのだ。

 いや、と言うべきか。



 それを見た犬飼が息を飲んだ。

「……猿! やはり、猿だったのですね!」

「時間通りだな」

 あいつは待ち合わせの類には遅刻しないタイプだろうと踏んでいたが、思った通りで良かった。

 とりあえず、俺は安堵していた。


 もしあいつが来なかったら、肩透かしを喰らった鬼岩城をなだめるのにカネもヒトもかなり消耗しそうだからな。



 元大関・鬼岩城。

 恵まれた体格と運動神経、そして良くも悪くも気性の荒い性格でデビュー以降白星をあげまくり、一躍相撲界の綺羅星として名を馳せたスター力士だ。


『かつての』というのも、彼は生来の博打ギャンブル好きが仇になり借金を重ね、その借金返済のために反社会的勢力と組んで八百長を敢行。横綱昇進を目前にそれを週刊誌に抜かれ、角界を追放されたのだ。

 それが約2年前の出来事である。


 その後、彼はくだんの反社会的勢力ので地下格闘の世界にち、フリーのファイターとして様々な地下の賭場を渡り歩いていた。


 皮肉な事に、その2年間で彼の真の力が花開くこととなる。


 追放されたとはいえ力士としての実力は疑う余地もないモノで、大関昇進の際も実力は既に横綱と称されていただ。

 地下でも向かうところ敵無しで、あまりの強さに対戦相手が見つからない時期すらあったという。


 なので(嘘か本当かわからないが)とある反社の主催する無茶な試合が売りの闘技場では彼の対戦相手にひぐまが用意され、あろうことか鬼岩城はそれを倒して退けたという逸話すらあるほどの怪物だ。


 そんな怪物を相手に、あいつがどこまでやるのか……。

「さぁ、モンスターのお出ましだぞ」

 俺が呟くと、一旦会場の照明が落とされた。

 そして……。


 ぎらり。


 そんな擬音が聞こえて来るようなスポットライトが花道を照らすと、鬼岩城の巨体が姿を現した。


 その巨漢を目にした途端、会場がどよめきに包まれる。


 鬼岩城がこの強敵乃会に登場するのは初めてのことだというのもあるが、『あの鬼岩城が!』という驚きもあったのだろう。


 いつかは当地下闘技場王者・浜崎阿修羅との対決を期待していたお客も多い鬼岩城。

 目の肥えた格闘技ファンにとって、鬼岩城は『相撲という鎖から解き放たれた猛獣』といった位置づけの所謂いわゆる悪役ヒール』であったのだ。



 そして並び立った怪物ふたり。

 こうして見ると、まるで巨人と小人こびとだ。

 そのメルヘンチックな光景に、観客の歓声には明らかな嘲笑が混ざっていた。

 事実、俺の隣の犬飼も渋い顔をしている。

「……やはり、手合違いでは?」

 手合違いとは、将棋用語で実力差があり過ぎる、という意味だ。


 確かに一見して体格差は火を見るより明らかだし、体重差に至っては比べるべくもないだろう。

 しかし、戦力差はどうだろう。


 他がどう思うかは知らない。

 俺は自分の目を信じている。



「……それをために大枚をはたいたんだ」

 俺が言うと、犬飼はその端正な顔をさらに渋くした。

「鬼岩城に、という意味ですよね?」

「そうだ。あいつが怒って帰らないようにな」

「怒るどころか、彼は嬉しそうですよ」


 リングの上の鬼岩城は秘密にされていた対戦相手のあまりのショボさに『楽な仕事だ』とでも言いたげにニヤついている。


 対してはというと、前回同様どこか落ち着かない様子でソワソワしていた。



「……総国様。トイレの増設はまだ見積りの段階ですが」

 犬飼の心配をよそに、俺は不敵な笑みを浮かべた。

「アレはうんこを我慢してるんじゃない。武者震いの類さ」

「武者震い? あの鬼岩城を前にして昂っていると?」

「俺にはそう見える」


 俺は月曜の昼に見た猿飛の顔を思い出していた。

 あれは恋する乙女の表情かおだ。


 恋する乙女の表情を実際に見たことは無いが、多分そうだ。


 あいつは逢いたいと想ったのだ。

 の力士に。



 鬼岩城は伸ばした髪を後ろで纏め、いかつい顔と浅黒くでっぷりとした体躯が巨漢モノのAV男優のようで得も言われぬ圧倒感がある。

 しかもその肉体は脂肪を偽装した筋肉の鎧で覆われていて、その筋肉と脂肪を丁寧に重ね合わせたミルフィーユの様な肉体は規格外の戦闘能力を秘めているのだ。


 そんな巨漢に見下みおろされた猿飛。

 ニヤつく鬼岩城を見上げる猿のお面は能天気な顔を張り付けているが、俺にはその顔がニヤリと歪な笑顔を浮かべているように見えた。


 ……不気味だった。


 リング上に、なんとも言えない不穏な空気が漂っている。

 猿を見下ろす鬼岩城の様子がおかしいのだ。

 一言で言えば、殺気立っていた。

 先程までの緩んだ空気はもうどこにも無かった。


 その不穏。

 それは単なる気のせいではなかった。


 猿飛は、あろうことか右手を『ピストル』のように象り、鬼岩城に向けていたのだ。



 それは大相撲で言うところの真剣勝負ガチンコを示すハンドサインだった。



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