第3話 月曜日なんて来なければいいのに

 そして翌日。

 楽しかった週末が嘘のような、湿った便座の様な月曜の朝だ。


 俺は自室の鏡の前で身なりを整え、登校の準備をしていた。


 ご存知のとおり、俺は地下闘技場のオーナーと、普通の高校3年生という2つの顔を持っている。


 週末は趣味と実益の愛する地下闘技場にかまけていられるが、平日はあくまでも高校生として生活しなければならない。


 さもなくば、父親に地下闘技場の事を知られかねない。

 それは想定し得る最悪の事態であり、何としてでも回避しなければならないのだ。


 ……念の為に言っておくが、地下闘技場の事は父親には(当然だが)秘密にしてある。

 つーか常識的に考えてあんなもん公になったら親に叱られるとかいうレベルでは済むまい。普通に逮捕だ。


 しかし、それでも俺は『強敵乃会』をやめるつもりはない。

 俺は後ろに手が回ろうとも、父にようとも、地下闘技場をやめるつもりはない。


 つまり、それ程の覚悟があるんだから少々の事は多めに見てよね☆

 ……という事だ。



(父はお忙しい身。財界の首領ドンとして海外を飛び回っていて殆ど家には帰ってこないが、どこから『強敵乃会』の事が漏れるかわからないからな。やることはやっておかないと……)


 俺はそう自分に言い聞かせて制服のブレザーを羽織り、ネクタイを締めた。

「……学校、いきたくねー……」

 俺は週末が恋しく、そして異様に熱かった昨夜の出来事に胸を焦がした。

「あの猿……やはり」

 俺は気を取り直し、顔を上げた。


 学校にはマジで真剣に行きたくないが、今日はどうしても行かなければならない理由がある。

 俺は呼吸を整え、自室を後にした。



「それでは、行ってくる」

 俺が自宅の門の前に並んだ使用人とその一歩前に立つ犬飼にそう言うと、彼らは一斉に頭を下げ、

「いってらっしゃいませ」 

 と声を揃えた。


「……」

 正直に言うとはなんだかむず痒いのでやめてほしいのだが、俺もいつかは父の跡を継いで日本のリーダーとなる身。人の上に立つ訓練の一環として、甘んじてそれを受け入れていた。



 我が金沼家はこの街を一望できる高台にあり、その広大な屋敷と敷地は高台の土地をほぼ独占していた。


 それだけを聞くと「なんか感じ悪ゥ〜」と思われそうだが、一説によると1000年くらい前からウチはここにあるそうなので、地元住民は誰一人として気にも留めていないという。

 むしろ「あんな高台に家があって不便じゃないの?」とか言われているらしく、実際に不便だった。


 特に自宅から学校までの通学路に出るための長い坂道が行きも帰りもかなりしんどい。


 ……あれ、総国オメー金持ちなら学校まで高級車で送り迎えとかちゃうんけ? とか言われそうだが、俺は毎日自分の足で登下校をしている。


 もちろん健康のためでもあるし、これは我が金沼家十家訓のひとつ『鍛錬怠るべからず』を実行しているに過ぎない。


 そして、『送迎車くるまを使う年齢としかッッッ!!』 と、容赦無く厳しい我が父・金沼 超越郎ちょうえつろうが使用人達にそんな厳命を下しているからということもあり、俺は毎日こうして自らの足で学校へと向かっているのだ。



(太古の昔には亀を使役し、その亀に乗って移動した大富豪が実在したと伝え聞くが……)


 俺がそんな事を考えながら歩いていると、我が母校の野球部員達とすれ違った。


 5月初旬とはいえ、朝晩は肌寒い。

 そんな中、朝練の走り込みだろうか。部員達は学校指定のジャージを着用し、辛そうに顔を歪めて走っている。俺はそんな彼らをじっと見つめて独りごちた。

「3年か……」


 1年生は緑。

 2年生は紺。

 そして、3年生は臙脂えんじ

 そう学年ごとに色分けされた我が校のジャージは、特徴的な色合いや胸元にあしらわれたからして、やはり昨夜見たに間違いなかった。


(……同じ学校の生徒で、しかも同学年だというのか?)


 だとすれば誰だ?

 あの小柄な体躯からして、まさか……。



 俺は様々な疑問を抱きながら自分の教室へと向かった。

 そして着席。 


「……」

 俺はここまでただの一言も、他者に対して言葉を発していなかった。

 つまり、俺は誰とも挨拶の一つも交わしていないのだ。

「……」


 もう分かっただろう。

 俺には友達がいないのだ。

 所謂『ぼっち』というやつだ。



 俺はもともとコミュニケーションが得意な方ではない。

 しかも街では……というか国でも有数の大富豪。

 ハッキリ言って、俺は学校の中で浮きまくっている存在だったのだ。


 上手くコミュニケーションが取れないくらいなら無理して喋ることも無いと断じ、無口を貫いていたらそれはそれで変な奴だと思われているらしい。


 しかもそれを2年間続け、そして3年目……固着したイメージは今更どうにもなるまい。


 したがって俺は今日も「無口な変わり者」として1日を過ごすのだ。


(ああ、早く週末にならないかな……)

 この生活は決して苦痛ではないが、面白いわけもなく、俺の高校生活はただひたすら週末を待つ毎日だった。


 そんないつもの朝だった。

(……?)

 いつもの朝の筈だったが、今朝は何かが違った。

(視線を感じる……)

 何者かの鋭い視線を感じたのだ。


(誰だ!?)

 俺はコミュ障特有の敏感さでその視線の主を一発で探り当てた。


 その瞬間、その人物は飛び上がるような反応を見せた。

「!!」


 そいつは教室の引き戸に隠れるようにして俺を見ていたようだが、俺と目が合うとすぐさま引き戸に体そのものを隠してしまったのだ。


 そんなに、彼女の友人らしき女生徒が声を掛けた。

愛子アイコ、何してんの?」


 愛子と呼ばれたその小柄な女生徒は苦笑いを浮かべながら引き戸の影からおずおずと姿を現した。

「お、オハヨ……」

「おはよ。でさ、なんで隠れてんの?」

「え? べ、別に隠れてないよっ?」

「つーか、そのおでこの絆創膏なに? 怪我?」


 『愛子』の友人が指差す愛子の額には、大きな絆創膏が貼られていたのだ。


「え!? こ、これは……ちょっと、転んじゃってさぁ……」

 そして愛子はちらりと俺を見て、バツの悪そうな引き攣った笑顔を浮かべた。

 その笑顔で俺は直感した。


 ……いやいや、こんな偶然あるか?


 同じ学校。

 同じ学年。

 小柄な体躯。

 そして、額の怪我。


 あの浜崎を一撃で屠り去ったヘッドバットだ。猿の額も無傷では済むまいとは思っていたが……。



 ふと気が付くと、『愛子』がゆっくりとこちらに近付いて来るではないか。

「ッッッ!?」


 何をする気だ!?

 まさか、俺を今この場で口封じのために……!?


 だが、身構える俺をよそに彼女は急に立ち止まり、俺の前の座席に着席した。


 そうだ。

 彼女の座席は俺の前の席だ。

 名前は確か……猿飛さるとび


 猿飛さるとび 愛子あいこ

 それが彼女の名だ。



 あの猿が、猿飛?



 そんな偶然あるか!?



 あまりの衝撃にガクブルしている俺の心境を知ってか知らずか、彼女は肩越しに俺を見てやはり引き攣った笑顔で言った。

「お、オハヨ……金沼くんっ」



 かくして、今日と云う日は俺が高校生活で初めて女子に話しかけられた記念すべき日となったのだった。

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