第53話 誰にも言えない乙女の秘密

 猿飛愛子の中には『猿飛恋子』というが確かに存在する。それはもう疑いようのない事実だ。


 言葉遣いや声のトーン、それに戦闘スタイル。どれをとっても猿飛愛子のそれではないと感じていた俺にとって、この事実はこれまでの憶測がはっきりと形を成したという安堵感があったが、それが返って俺を不安にさせたのだ。


「……いつから『恋子』だ?」

が突入してきてすぐ『交代』したでしょ? あれからずっとだよ」

「そうか……確かに、戦い方がいつもと違ったものな。はどうした?」

「それがさぁ、なんでかわかんないけど、どんだけ呼んでも全っ然出てきてくれないの。愛子あの子が出てきてくれてたらもっと楽に熊谷さん倒せてたと思うよ。あたしは関節技とか投げ技とかの『組み技専門』だから、熊谷さんみたいなのは相性悪くってさ〜、ホント参っちゃうよ」


 やはりそうかと合点がいくが、それは2つの意味であり1つは俺の推測……つまり、恋子の実存だ。

 もう1つは『その先の推測』も恐らく間違っていないというである。今この状況に直接影響するものでは無いが、猿飛にとって良いものではないだろう。


「……前から感じていたが、お前たちは得意分野で役割分担をしているというのか? 愛子が打撃技、恋子が関節技という風に」

「さっすが総国くん。ご明察」

「そしてお前たちは『自由に入れ替わる事』が出来る。しかも『お互いがお互いを一個人と認識』している……違うか?」

「ほうほう、なんでそう思うの?」

「ゴールドメンバーズが突入してきてすぐの事だ。猿飛の蹴りが効果が薄い事に気がついた恋子お前は舌打ちをしてから『交代』と叫んで前に出た。あの一瞬で猿飛の顔付きが行ったり来たりしていたからな。人格の入れ替わりが実際に有り得るとしても、あんなに切れ目なく切換スイッチ出来るとは思えない。であれば、意図的に行われているとしか考えられない。それに……」

「それに?」

「猿飛は舌打ちをするようなタイプじゃないしな」

「それって恋子あたしががさつで乱暴者だって言いたいの?」

「悪く言えばそうだが、よく言えば奔放だと言っている」

「なんか釈然としないんですけど」


 そう言いながらも恋子は怒った様子などまるでなく、むしろ面白そう笑っていた。


「いやはや、総国くんはホント鋭いねぇ。てゆーか、その事っていつから気がついてたの?」

「確信を持てたのはついさっきだ。それまでは単なる憶測にすぎなかったよ。なんでそんなことを訊く?」

「あのね、ちょっと前に総国くんがすごくうなされて起きてきた事があったじゃん? あの時は『愛子』だったんだけど、総国くんが寝ぼけて『恋子がなんとかかんとか』って言ったでしょ。だから愛子あの子めっちゃ焦っててさ。『なんで恋子の事知ってんの? 』って。咄嗟にとぼけて逃げ切ったけどヤバかったって、後で文句いわれちゃってね。基本あたしの事は内緒ってことになってんだけど、愛子がぶっ倒れて寝てる時に総国くんにはあたしからばらしちゃってたからね。愛子にはそれ言ってなかったんだ。だから、あの時からわかってたのかなーってね」

「……あの時か」


 ネグリジェ姿の恋子に誘惑される淫夢を見たあの時だ。思い出したらまたムラッときたが、今はそんな時ではない。俺は自分の心と下半身に冷静になれと渇を入れた。


「なあ恋子、今さっき『別人格の時に何があったか、相手に教えなければ知り得ない』というようなことを言っていたが、記憶の共有はできないのか?」

「できないことはないけど、基本的に前に出てる方の記憶が優先。覗き見も出来るけど、それはルール違反。プライバシーの侵害でしょ? だから出てない方は感覚で言ったら寝てるような感じかな。たまたま聞いちゃったり見ちゃったりはあるけどね。だから、共有するなら必要に応じて記憶の擦り合わせ的な感じで共有してるかな」



 ……果たしてそのような事が現実的に有り得るのか否か、という医学的エビデンスを求めたがる人は多かろう。

 或いはそんなモノはあり得ない。間違っている。狂っていると声を荒げる者も多いだろう。


 しかし、我が父・金沼超越郎は言う。

【狂気の沙汰ほど面白い…!】



 ちなみに父は麻雀を打つ際、その言葉を好んで口にする。

 それだけではなく、【倍プッシュだ…!】という意味不明な言葉や【死ねば助かるのに…】などと、やけに刹那的な台詞も口にした。


 一緒に打っている面子俺達は内心「ブツブツうっせーなぁ」とウザがっていたが、迂闊に父の機嫌を損ねると翌日の株式相場は全銘柄ストップ安で終日寄り付かない可能性もあるため日本経済を憂い誰も何も言えないのだった……と、そんな事はどうでもいい。


 とにかく、父はピンチや逆境を楽しむぐらいの度量を持てと言っているのだろう。


 つまり、猿飛のよくわからない二重人格もガッツリ受け入れてこそ金沼家の跡取りに相応しいうつわの持ち主、と言う事だ。



(やはりそれぞれが別個の個性を持った【個人】だという認識で合っている様だな。ある意味【同居人】と言えなくもないのかもな……)


 そこまで確立されたアイデンティティーがあるのならそれぞれに得手不得手があり、入れ替わった人格ごとにそれらが適応されるとしてもなんら不思議ではないのかもしれない。


 だとしたら、尚の事『恋子』である今は不利な状況と言えるだろう。


「……蛇乃目は組み技だけで勝てる程簡単な相手じゃない。愛子の記憶から打撃技の使い方を呼び出してそれをトレースすることは出来ないか?」

「それが出来たら苦労しないっての。もし愛子ならあのハイキックで決まってたよ。あれでも全力で蹴ったんだよ?」


 恋子は熊谷に放ったハイキックの事を言っている。

 確かに、猿飛愛子の蹴りがあそこまで深々とクリーンヒットすれば象だって倒せるかもしれない。しかし、熊谷はあの蹴りを受け切り、反撃に転じて来た。

 その事実と蛇乃目の戦闘能力を勘案すると、打撃や投げでは心許ない。


「やはり関節技しかないか……」

「いいじゃん、得意技で勝負しようよ。『関節技サブミッションこそ王者の技よ』って言葉、知らない?」

「王者ならなんでもそつなくこなすだろう」

「……そーゆーこと言わないの」


 関節技か、絞め技か。

 恋子の扱う寝技は強力な決め手になるが、そこに繋げるにはやはり打撃技が必要になるだろう。

(しかも相手があの蛇乃目だ。近接戦闘の練度では桁が違う……)


 だがそれをここで嘆いたところで無意味且つ時間の浪費に他ならない。今はこの戦いを乗り越える事が最優先である。

 つまり勝利以外に道は無く、そのためにどう行動するかこそが考えるべき事であり、最優先事項なのだ。


「恋子。聞きたい事はまだまだ山ほどあるが、今は勝ちだけを考えよう。その為なら俺は協力を惜しまない」

 俺がそう言うと、恋子はおどけて驚いたような仕草と声で答えた。

「あらら、どういう風の吹き回し? 今すぐ逃げろとか言い出すのかなーとか思ってたけど」

「今更逃げられるか。第一、蛇乃目が逃がしてくれるわけがない。あいつから逃げ切った奴なんて俺の記憶には存在しないからな」

「ふぅん、そうなんだ……強いんだね、蛇乃目さんって」

「単に強いだけじゃない。勝つためには手段を選ばないというか、迷いがないというか、とにかく危険な奴なんだよ」

「あはは、それヤバいね。マジでヤバい」

「……そうだな、ヤバい奴だ」


 恋子には相変わらず危機感が全く無いのでこの際だからお説教でも垂れてやりたいところだが、残された休戦時間はあと3分も無い。

 説教どころか作戦をたてる余裕すら無いじゃないか。

 有仁子の下僕達も後片付けを終えて撤収を始めている。いよいよ近づいてきた死闘の再開に空気が引き締まりつつあった。


 残された時間で出来る事は何か無いか……そんな事を考えながら、俺は恋子の呼吸の乱れが気になっていた。


「それはそうと恋子、大丈夫か?」

「なによいきなり。何が大丈夫?」

「何ってダメージとか疲れとかそういうのだよ。熊谷とあれだけやりあったんだ、怪我とかしてないか? 」

「うん。まぁ、怪我とかは大丈夫。でも熊谷さん強かったから、正直言うと、ちょっち疲れたかも」

「無理をするな。息が上がってるじゃないか」


 そこで俺はある事に気がついた。

 それは彼女のだ。


「恋子、妙な事を訊くが……その呼吸の乱れは『気持ちいい』アレか?」

「それって愛子がハイになるアレの事?」

「そうだ。興奮というかなんというか。恋子お前のか?」

「んー、興奮かぁ……そうだね。あたしはならないよ。フツーに楽しいな〜って感じ。言われてみれば、あたしだけ割とフラットかも」

「……?」


 気になる言い回しだった。

 しかしそこで思考がロックし、続く言葉が出てこなくなった。


 何故か。

 俺の目に、本能が直で危険を報せる映像が飛び込んで来たからだ。


 会場のスクリーンには片付けもほぼ完了した居間で、スマホ片手に話をする恋子が映っていた。


 しかしその背後に突然、全身黒づくめで異様に手足の長い病的に痩せた男が音もなく、本当に突然現れた。

 天井から何の物音もたてずに、彼女の背後にするりと降ってきたのだ。


 それは、蛇乃目だった。


「……ッ!?」

 焦り、驚愕、怒り、不安……そういったものがごちゃ混ぜになり、言葉が出て来ない!


 ――やられた!!


 俺達にはが平気で出来る奴と戦っているという自覚が足りなかった……!!


 残り時間を完全に無視したにより、勝負は強制的に再開されたのだった。


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