第52話 ビジネスチャンス★有仁子ちゃん!
「……不甲斐ない」
失神した熊谷を冷たい目で眺める蛇乃目。やれやれとため息混じりに立ち上がると、マイクを手に取って言った。
「おめでとう猿飛愛子。キミは実にファンタスティックだ」
恋子に賛辞を贈る蛇乃目。俺達に背を向けているのでどんな顔をしているのかは分からないが、笑顔ではない事は間違いないだろう。
「ありがと、蛇乃目さん。さあ、さっさとこっち来なよ」
指先をくいくいと曲げて蛇乃目を挑発する恋子。
余計なことすんなよなーと俺は心の中で呆れた。有仁子の顔にも犬飼の顔にも同じ台詞が書いてあるようだった。
それを受けて蛇乃目はふふ、と空気が漏れるような声で笑った。
「そう焦るな。私としても一刻も早くキミのもとに向かいたいが、まだ何の支度もしていないのでね。それに、そこに転がっている役立たずと更に役に立たない連中がそちらにお邪魔しているだろう。私としてはその出来損ない達を片付けたい。キミとの戦いの邪魔にしかならないし、隊を率いる者として恥ずかしい事この上無い。そこでどうかね、今から10分間休戦としないか。その間に私は支度を済ませてそちらに向かい、有仁子お嬢様の部下がそこを片付ける。手前勝手な提案で恐縮だが、如何か?」
蛇乃目の問いかけに猿飛は一寸思案するようなそぶりを見せ、答えた。
「……いいよ。10分ね」
「ククク、御理解に感謝する。では後程……」
前代未聞の戦闘中断だった。
蛇乃目の号令で有仁子の下僕達が猿飛家に入り、気絶したり捕縛されたりして戦闘不能に陥ったゴールドメンバーズを手際よく搬出していく。
同時に休戦と定められた10分間のカウントダウンが始まり、全てのモニターにそのデジタル表示が同じ時を刻み始めた。
会場はかつて無い展開に浮わついていたが、守銭奴・有仁子の指示で売店が一斉に営業を始めたので観客も束の間の休息を共有することになった。
この女は350mlの発泡酒を一本1500円で売りつける外道だが、針の穴ほどのビジネスチャンスを逃さない商人根性だけは認めざるを得まい。
有仁子の下僕達は当然非武装であり、恋子に危害を加える気配は微塵もない。それでも彼女は一定の警戒を解かず、台所まで行くと冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して一気に半分ほど飲んだ。
その顔には明かな疲労が見てとれる。
熊谷程の男を相手にしたのだ。10分間の休憩は渡りに船だったに違いない。
俺達はというと、10分という時間をもて余しつつあった。
蛇乃目は有仁子の下僕に指示を出してすぐ部屋を出て行ったし、会場は休憩中だ。有仁子は売店の売り子に『10分で500万円を売り上げろ』と無茶苦茶な指示を出したりして忙しそうだが、俺と犬飼は正直暇だった。
「……総国様、この様な物しかご用意出来ませんが、宜しければ」
犬飼はそっと缶コーヒーを差し出してくれた。
「有難い」
甘ったるいコーヒーの味がとても旨く新鮮に感じたのは、俺もかなり疲れていたからだろう。尤も、猿飛に比べればどうということはないのだが。
「私は正直、意外でした」
ぽつりと呟く犬飼。俺は小首を傾げた。
「意外? 何がだ?」
「総国様が猿飛様とゴールドメンバーズの戦闘をお止めにならなかった事がです」
「いや、当然止めたよ。だが止まらなかった。もともと止まるような奴じゃないのはわかってたのにな。だから後押しまでしてしまった……危険だとわかっていたのに行かせてしまった。何故だろうな」
だが、俺は後悔をしているわけではなかった。
それが彼女の望んだ事なら背中を押してやりたかったのだ。危険を伴う事は承知の上で……なんと身勝手な事だろうか。
だから俺は後悔をしていない代わりに自己嫌悪をしていたのだ。
犬飼は俺の言葉に静かに耳を傾けるだけで、余計な詮索はしないでくれた。
「総国様は信頼されているのですね。猿飛様の必勝を信じているからこそ、止められなかったのでしょう」
そんな見方は買いかぶりだと思ったが、彼はこう付け加えた。
「しかし、迷いは断ち切れていない。それは総国様がこの戦いがいかに熾烈であるかよくご理解なさっているからでしょう。であればあなた様がとるべき行動は徹頭徹尾、猿飛様をサポートすることでは無いでしょうか」
モニターに視線を投げた犬飼。そこには疲労困憊の猿飛がいた。残り時間はあと7分弱。
「……そうだな。その通りだ」
俺は立ち上がった。
「ありがとう、犬飼」
俺は部屋を出てスマートフォンを取り出し、猿飛の番号を呼び出した。
思えばあいつに電話をかけるのは始めてだった。同居人だからという理由で番号交換はしたものの、家も学校も一緒だし取り立てて用事もなかったので彼女に電話をかけたことは無かったのだ。
(緊張する……)
よくよく考えると、これが女子に電話をかける生まれて始めての機会だった。
俺のスマートフォンが電話としての役割を果たすのは
大体電話なんて用件を伝達するためのツールであって世間話をするためにあるわけではないというのが俺の持論である。
いつかこの持論を猿飛に振りかざしてみたところ「そうだよね、通話料って地味に高いし……」と切実な理由で同意されたので反応に窮したのであった。
彼女に電話をかけてから数秒。すぐに出るかと思われたが意外に待たされた。
俺はその間なんとなく会場に足を向け、巨大なスクリーンを眺めた。
すると彼女は台所から居間へと足早に向かい、片付けの最中だった有仁子の下僕からスマートフォン受け取っていた。
どうやら居間に携帯があったためにすぐに出ることが出来なかったようだ。
「やっほー総国くん、お待たせ」
その第一声は一時中断しているとはいえ、戦闘中とは思えない軽いものだった。
「スマホが手元になくってさ、すぐに出られなくてごめんね」
「ああ、知ってる」
「そっかー、見てたんだね」
そう言って、彼女は監視カメラに向かって笑顔で手を振った。
ここまでの会話で俺の感じていた違和感と推測に全ての裏付けが取れた。
戦闘の早い段階からほぼ間違いないという前提だったが、念の為確かめたかったのだ。
「……一応確認させてもらうが、今は『恋子』だよな?」
「うん、そうだよ。分かっちゃう?」
やはりそうか。
間違い無かった事に俺はどこか安心していた。
そんな俺の心境を知る由もない恋子は、監視カメラに向かってピースサインを決めて愛子がしないようなちょっとふざけた笑顔を俺に向けていた。
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