第81話 運命の同門対決

 会場は超満員。

 そのどこにいても得体の知れない熱気が渦を巻いている。


 何かを待ち焦がれる期待によって結束した一体感が、この会場を支えていた。


 ネット上では今夜の勝負に言及する書き込みが多数見られているという。

 有仁子の下僕が総出でネットやSNSのヤバそうな書き込みを削除しているらしいが、全然追い付かないのでやむ無くサーバーに過負荷をかけてダウンさせる昔ながらの手法で対応しているそうだ。


 有仁子はその様子を眺めながら、目を細めていた。

「遠足前夜のガキじゃあるまいしよォ、はしゃぎすぎだぜ」

 ニヤつきながら、頬を上気させながら、自分が一番はしゃいでるくせにそう言ったそうだ。



 いや、有仁子だけではない。

 今夜が特別な夜であることを、皆が肌で感じていたに違いない。



警察お上が乗り込んで来るのも時間の問題だな」

 リングへと向かう通用口を行く途中、乱子はそう笑った。

「かもな」

 苦笑いで応える俺。

 かつてない盛り上がりぶりに、今回ばかりは本当に警察のご厄介になりかねないと思っていた。


 いかに俺とてこの凄まじいエネルギーの奔流を止められないし、止めることは許されない。

 最早、俺には目撃するしか選択肢がないのだ。


 しかし。

 だが、しかしだ。


 もしも今日でこの地下闘技場が取り潰されようとも、俺の手が後ろに回ろうとも、にはそれ以上の価値がある。


 俺達が会場へと姿を現した瞬間に沸き上がった歓声を浴びたとき、そう感じた。


 俺の全てに見合う夜である。

 腹を括る覚悟と、その意義を感じたのだ。



 この会場が、揺れている。

 人々の歓声と熱気で揺れている。

 比喩ではない。

 本当に揺れているのだ。


 狂ったような、燃え上がりそうな、言葉通りの熱狂に俺は汗が冷たくなる心持ちだったが、乱子は心底満足そうな笑顔でそれに応えた。


「最高の晴れ舞台じゃないか」

 その笑顔の先に、今夜のもうひとりの主役が居た。


 その『もう一人の主役』は何も言わず、ただ真っすぐこちらを見詰めて歩を進める。


 無言で花道を行くのは鳥山凛子、その人だ。


 普段の柔和な表情が嘘のような、鋭い視線。

 稽古の際にいつも着ている武道袴という出で立ちが、彼女の持つ凛とした雰囲気をより際立たせていた。



 対角から登場したふたりの主役が互いに歩を進め、その距離が近付くごとに歓声が勢いと熱を増す。


 今夜のリングには金網がなかった。

 ロープもない。

 殺風景だが、悪くないと感じた。


 金網もロープも勝負の邪魔だと、有仁子が撤去させたそうだ。

 その代わりにリングを拡大し、円形にしたと、犬飼から説明があった。

「まるで漫画のようですね」

 面白めかした台詞だが、犬飼は真剣な面持ちだった。


 不意に、歓声が一際高まった。


 遂に、リングを挟んで猿飛母子が対峙したのだ。


 残酷な構図だった。

 実の親子が互いを相手として真剣勝負の舞台に立つのだ。


 婦長のセコンドは有仁子がついていた。

 それを見て乱子がニヤリと呟く。

「彼女ならどんなことがあろうともタオルを投げ込むような野暮はしまい」

 ……安心した、と付け加えた。

 それは暗に、俺に釘を刺したのだ。


「おい、俺をあんな狂人と一緒にするなよ!?  俺はお前がやばそうならタオルでも何でも投げ込むからな!」

 俺は乱子に向かってタオルを広げてこれでもかと見せつけてやった。

 次の瞬間。


『ッ!!』


 俺の目の前を下から上へと閃光がはしった。

 そしてタオルが真っ二つに割れたのだ。


 何事かと意識が追い付くずっと前に、乱子の右手が手刀の形で天を指していた。


「はっはっは。投げ込めるものなら投げ込んでみろ」

 さも可笑しそうに笑うと、乱子はひらりとリングへと上がった。

 同時に、婦長もリングへと立つ。


 会場は割れんばかりの大歓声に包まれ、観客の足踏みが地鳴りのように響き渡る。

 乱子と婦長がリング中央で向かい合うと、今日一番の歓声に会場は沸いた。


 大歓声の中、ふたりは向き合ったまま動かない。

 どうやら会話を交わしているようだが、この歓声と距離では何を話しているのかわからない。


 数秒の後、ふたりはそれぞれのセコンドのもとへと帰ってきた。


 何を話していたのか気になったが、今はそれを問うときではない。

 かといって何か気の利く台詞が出てくるわけでもなかった。


「ら、乱子……」

 落ち着いて行けとか、相手をよく見ろとか、そんな言葉しか出てきそうになかった。

 横目でリングサイドを見ると、既にゴングが用意されて準備も整いつつある。

 俺の気持ちが焦り始めるが、乱子は俯いたままじっとして動かなくなってしまった。


「……乱子?」

 気分でも悪くなったのかと心配になったが、その時俺はのだ。


 乱子は震えていた。

 俯いたまま、小刻みに震えながら、

 笑っていた。


 それでようやく思い出した。

 彼女猿飛は、は……!


「………本当に、最高の夜だ………!」

 乱子が呟いた、その時。


『カァンッッ!!』


 甲高い金属音!

 ゴングが鳴らされ、試合が始まったのだ!!



 突然、会場からワッと声が上がった。


 それは明らかな驚きや動揺を含んだサプライズ。

 俺の目の前から既に乱子は居なかった。


 そう、ゴングと共に乱子は婦長目掛けて一直線に突っ込んでいったのだ。

 それだけならここまでの歓声は上がらない。歓声の原因は、そのスピードだった。


 試合開始から一秒未満………いや、その半分にも満たない時間にも関わらず、乱子の体はもう婦長の眼前にあったのだ!


 速すぎる!!


 しかもそのまま踏み込み、その反動と身体中のバネを存分に活用した右拳をアッパーカットの体勢へと持っていく!

「おらあああああっ!」


 まさに気合一閃!!


 直後、

 『ウワッッッ!!』

 短い歓声が上がった!!


 凄まじいエネルギーを開放した渾身のアッパーカットが、目にも止まらぬ速度とパワーで鳥山婦長の顎を完全に打ち抜いたのだった!!


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