第9話 脳内麻薬出してねぇヤツは笑うな!

って……?」


 気分爽快とか元気溌剌げんきはつらつとかいう言葉が脳裏をよぎった。

 スポーツの気持ちよさ的な意味合いと捉えれば理解も出来るだろう。


 しかし、猿飛の言う『気持ちイイ』は絶対に違う。

 こいつのそれは脳汁がドバドバ出てるアレだ。肉体的にも精神的にもキマッているのはが証明している。


 人間の脳は限界を超えると麻薬物質を分泌して苦痛を排除すると言うが、それに近い現象が猿飛の中で起こっているというのか。

(いや、それだったらそれはあかんヤツだ。それでは中毒症となにも変わらないじゃないか)


 とはいえ、猿飛自体に中毒者ジャンキーの様なヤバさは無い。普段は至って普通の女子であることは確かなのだ。


 猿飛の様子から、彼女自身それを気に病んでいるのは間違いない。

 現に、今もこうしてブランケットにうずくまるようにして苦悩しているのだ。


「……でしょ」

 彼女の声がブランケットの中からくぐもって聞こえた。

「戦って気持ちよくなるなんて変態だよね。気持ち悪いよね……」


 声が濁っていた。

 彼女は泣いていたのだ。



 確かにそうかもな。

 人によっては気味が悪いと避けたりするだろう。

 しかし、俺はそう思わなかった。



「猿飛」

 俺が声をかけても彼女は顔を上げなかった。

 だが。

「明日、ウチに来い」

 俺がそう続けると、彼女は「え?」と顔を上げた。

 その拍子に涙がぽろ、ぽろと2粒こぼれ落ちる。

 潤んだ瞳と儚げな表情は、エロい顔とはまた違う、なんとも言えないグッと来るモノがあった。


「今日はもう遅い。続きは明日だ」

 俺は壁掛けの時計に目線を投げた。

 時刻はもうすぐ午前零時。一旦話を切って然るべきだろう。


「え、明日って……明日は月曜だよ? 休みじゃないけど……」

「俺に考えがある。だからそうだな……午後2時頃に来い。都合はつくか?」

「う、うん……学校がなければだけど」

「まぁ、任せておけ」


 首を傾げる猿飛。

 その時、部屋のドアが軽くコンコンと2度なった。

「私です、総国様」

 声の主は犬飼だった。

「丁度良かった。お前に頼みがあるんだが」

 俺はドアの鍵を開け、犬飼を招き入れた。

 すると犬飼はブランケットにくるまって半泣きしている猿飛を見て目を丸くした。


「す、総国様……この方は……!?」

「あー、話せば長くなるんだがなぁ。こいつは猿飛といって同じクラスの……」

「総国様、この方に何をされたのですか……?」

「は? いや、なにもしてないよ」

「では何故泣いていらっしゃるのですか? しかも毛布にくるまってあんなに怯えて……」

「怯えてねーし。なんもしてねーし。お前、何かに勘違いしてない? コイツはあの猿仮面のだよ。俺は単に事情聴取していただけだって」

「シチュエーション的に信用できません。この感じは万引き犯として捕まったという弱みに付け込んで彼女にエッチな要求をするスーパーの店長か、生徒指導と称して呼び出した生徒に催眠を施してエッチな指導をする変態教師のそれとしか思えません」

「お前かなり偏ってんな! つーかマジで違うから!」

「万が一の事があれば、私はあなたのお世話係として旦那お父上様からその不覚を咎められて切腹の申し付けを下されるのは明白……そうなる前に、お巡りさんを呼んできます! 少しでも罪が軽くなるように!!」

「あ! ちょっと待て! それお前の罪が軽くなるようにだろ!?」


 俺の制止を振り切り、犬飼は部屋のドアをぶち破る勢いで飛び出していった。

「おい犬飼!? 犬飼イイイ!!!」

 全力ダッシュで交番に向かうであろう犬飼。直ちになんとかしないと俺はエッチが原因で投獄されたエロ富豪として金沼家の看板にピンクい泥を塗ってしまう事になる!


「猿飛、とにかく明日ウチに来い! わかったな?」

「う、うん……」 

「良し、ではまた明日。……おい誰か! コイツを家まで送ってやれ!」


 俺は近くに居た黒服に声を掛け、犬飼を追った。

「犬飼いいい! 早まるなぁぁぁ!!」



 ………

 ……

 …



 かくして俺が犬飼に追い付いた頃には彼は近所の交番で警察官に事情を説明し、「お巡りさんあいつです」とばかりに俺を指差していた。

 即座にパトカーが何台も集まり俺はその場で緊急逮捕されそうになったが、俺が懐から取り出したスマホのケース裏に施された金沼家の紋所を掲げると、警察官は全員何事も無かったかのように見て見ぬふりを決め込んで散り散りに去っていった。


 流石、政財界の黒幕と噂される金沼家。そしてその現当主である父。

 その闇の力は警察権力まで掌握しているのだ。


 犬飼はその有り様を『国家権力の腐敗』と唾棄したが、俺としてはこんな事に親の威光を借りてしまった事にしょんぼりした。

 俺はまだまだ何者でもないのだと痛感させられたのだ。


 でもまぁ、逮捕されなければそれでいい。

 終わったことは水に流して俺は犬飼に指示を出した。

「今夜の試合で大損したお客をピックアップしてくれ。サラ金にでも借金があれば尚良しだ。もちろん、こっそりさらって来いよ。俺の差し金だとバレないようにな」

「……何をされるのです?」

「明日を休校日にするのさ」



 そして犬飼が連れてきたのは鬼岩城の勝利に有り金全てを突っ込んだ中年の男だった。


 俺はその男にずた袋を被せてロープで縛り、パンツ一丁にして最寄りの港まで連れて行って深夜の海に響く波の音を聞かせた。


「ここがどこだか分かるな? もうすぐ迎えの船が来る。返答次第で貴様は残りの人生を極寒のベーリング海での蟹漁に捧げるか、のところで訓練を受けて革命戦士として生きることになる」


 俺のデタラメな効果覿面こうかてきめんで、そいつは涙ながらに命乞いを始めた。


 聞けば娘の学資保険を解約して得た金で一世一代の大勝負に出たのだそうだが、あえなく玉砕。サラ金の借金も滞納しているらしく、もう闇金しか頼るところが無いという。


 どうしようもないゴミクズだが、俺の企みにうってつけの馬鹿だった。

「……では、取り引きをしようじゃないか」


 俺は彼に真っ当な金利で借りられる金融会社(もちろん金沼グループ傘下の金融会社だが)を紹介するかわりに、明日の早朝我が母校に『爆破予告』をするように持ちかけた。


 つまり、強制的に学校を休みにする計画なのだ。


「いいか良く聞け。失敗すればお前に未来はない。成功しても、この事を誰かに漏らせば同じく未来はない。お前が助かる道は爆破予告を完遂し、例えバレても今この時の事を誰にも話さず墓まで持って行き、真面目に金を返す事だけだ。もし誰かに我々のことを喋ったらその時点でお前は抹殺対象だ。わかったな!」


 俺が【興奮すると母国語が出てしまう外国の工作員】的に片言感を出して捲し立てると、男は何度も頷いてこの計画に加担することを快諾した。



 そして翌日。

 あの男は見事に爆破予告をやり遂げ、憂鬱な月曜日をハッピーマンデーに変えてくれたのだ。


「ククク、計画通りだな」

 俺が屋敷の窓から双眼鏡で学校を眺めてみると、学校には何台ものパトカーや消防車が集結していた。

 俺のスマホには学校から『本日臨時休校』のメールが届いていたし、ネットの掲示板やSNSではこの件に関してある事ない事、適当な情報が飛び交っていた。


 もちろん俺は全ての真相を知っているし、この状況を作り上げたのも俺だ。

 何だか黒幕とか陰の実力者といった存在になった気がして、実に愉快な気分だった。


「……さぁ、昼過ぎにはお客が来るぞ。準備をしよう」

 俺が使用人達に発破をかけると、犬飼が首を傾げた。

「はて、どなたかとお約束でも?」

 犬飼は手帳を開き、真っ白な俺の予定を見せつけてきた。

 俺は手帳を強制的に閉じ、犬飼に突っ返しながら言った。

「……友人が来るんだよ」

「……」

 犬飼は一旦他所を見て、再び俺を見た。


 これは2度聞きのモーションだ。

 なんて失礼な奴なんだ。

 しかも敢えて言葉に出さないところがイヤらしい!

「ええい! とにかく準備だ、準備!!」


 そして俺は敢えて声を張った。

「クラスメイトが来るんだよ! 友人とか言っちゃったけどまだそこまで親しくないかもね! ……ああ初めての事ですよ! だから皆さん、協力してくださいねぇ!」

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