第97話 本気と書いてマジですか?

「ダメじゃない! ダメなものか!!」

 思っていたより大きな声が出た。

 そして考えるよりも早く、俺は飛び出していた。


 同時に放った右の蹴りは既に猿飛の側頭部を狙いに行っていたが、またしても紙一重で空を切らされてしまった。


 彼女はバックステップで間合いをとり、叫んだ。

「ダメだよ! だっておかしいじゃん! 普通じゃないじゃん!!」


 彼女は反撃とばかりに素早く踏み込んでくると、その小さな身体を上手く使ったコンパクトなコンビネーションパンチを放ってきた!

(――はやッ!)


 半ギレながらも見事なワンツーからのボディーフックだが、俺は撲真流の体捌きでするりと回避。直ぐに反撃に転じた。

「何が!? 何が普通じゃないってんだよ!」

 お返しのストレートは前捌きで打ち落とされ、即座に後ろ蹴りが飛んできた。

「戦って気持ちよくなるとかおかしいじゃん!」

 その小さな蹴り足を俺は両腕で防御ガード。物凄い衝撃だったが、耐えきった!


「……おかしくない!」

 その態勢のまま、俺は猿飛に真っ直ぐな瞳を向けて彼女の言葉を否定した。

「俺はおかしいとは思わない! 俺だって武道家の端くれだ! その気持ちは理解できる!」

「勝手なこと言わないでよ! 私は武道家じゃないし! 私、すごく悩んでんの! 金沼くんだって知ってるでしょ!?」


 猿飛は俺を突き飛ばすようにして数歩、跳ねるようにして下がった。

「……だって変だよ。変態だよ……私の気持ち、知ってるくせに。それなのに、そんな勝手なこと言わないでよ……」


 結果、俺と猿飛との間に数メートルの間が開いたが、俺にはそれがそのまま彼女と俺との心の隔たりに思えた。


 勝手なことを言うな、という彼女の言葉に胸が詰まった。



 ……脳裏を掠める恋子の言葉。

『愛子は自分の強さと喧嘩好きがコンプレックスなんだよ。自己嫌悪といってもいいくらいにね』



 俺も金山を継承する身として、武道家として、戦闘欲求を満たす喜びは彼女ほどではなくとも理解できるつもりだ。

 だが、猿飛は俺が思っているよりもずっと深く、静かに心を痛めていたのだ。


 自らの意思とは裏腹な本能を知っていて、それを解決できない。

 自縄自縛の連続に彼女の心は疲れ果て、その弾力を失ってしまいつつあるのか……。


 だからか?

 だから、お前は……。


「……だからお前は、消えてしまおうとしていたのか?」

 言ってぐ、ハッとした。

 それは俺の杞憂そのものだったからだ。


 心の闇は彼女の精神に深く影を落とし、やがて負の感情が彼女のすべてを飲み込んでしまうのではないか。

 或いは、自ら破滅を選択してしまうのではないか……。

 俺はそんな最悪の事態を想像していたのだ。

 だから、言葉にすべきではないことを口にしてしまったと、息を飲んだのだ。


 それを受け、猿飛は呆然としたように立ち尽くし、魂の抜けてしまった様な表情かおを晒した。


 その抜け殻の様な姿に背筋が凍った。

 彼女の心の綻びに触れてしまったのだ。

 開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったのだ。


 その僅かな綻びは俺という他者の無遠慮な侵食によりひびとなり、やがて瓦解し、精神崩壊を引き起こしてしまうだろう。


 取り返しのつかない事をしてしまったと慄く俺に、猿飛はその弛緩した唇を僅かに動かして言った。

「なにそれ」



 ん?

 ちょっと意外な反応。

 なにそれって、なにそれ?


 俺はその予想外の反応に、続く言葉を見失ってしまいそうになった。

「いや、なにって……お前はゴールドメンバーズとの戦いあたりからずっと姿を消していたじゃないか。その後、乱子が現れて『愛子おまえの存在が希薄になっている』と聞かされて……お前は自分の喧嘩好きがコンプレックスで悩みすぎて、どうにかなってしまったのかって、俺はそうじゃないのかって思って……」


 うまく言葉にできないが、俺は彼女が自分の存在を自分で否定しているのでないかと危惧していたのだ。

 だから恋子や乱子が出ずっぱりで、猿飛本人は曖昧になっていたのではないか、と……。

「俺は、お前がこのまま消えてしまうんじゃないかと思っていたんだ……」


 不安を吐露した俺は、恐る恐る彼女の表情を窺うことしか出来なかった。

「……猿飛?」

「……」

 彼女は無言で、何とも言えない表情をしていた。

 それを一言で表現するならば『不貞腐れている』だった。


 え? なんで?

 なんでその顔?

 なんでぶーたれてんの?



「……違うよ。そんなんじゃないし」

 猿飛は唇を尖らせ、不機嫌そうに眉をひそめていた。

「別に消えないし。消えてないし。むしろずっと居たし」


 ……俺はもっと神妙というか、深刻な表情を予想していたのでその反応にやや慌てた。

「え、違う? だってお前、悩んでるって言うから」

「だから違うってば。 悩んでるからって消えたいとか思わないし」

「だったらなんでだよ。なんで姿を消してたんだよ。呼んでも出てこないって恋子も乱子も……消滅してしまうかもとかなんとか、乱子は言ってたぞ」

乱子あの子もテキトーな事言って……そんなんで消えたりしないよ」

「だ、だったら尚更なんでなんだ? なんで姿をくらましてたんだよ??」

「なんでって………」


 駄々をこねる子供のような顔で、彼女は続けた。

「だって私の事、『好き』とか言うじゃん……」



 ……はて、何のことかと俺が固まっていると、今度は恥ずかしそうに片手で顔を隠しながら続ける猿飛。

「言ったじゃん。ウチのキッチンの下のトンネルで、私の事好きとかいったじゃん、金沼くんが……」

「っ!!」


 そうだ。あの時……猿飛がゴールドメンバーズから俺を逃がすために地下道へと降りた際、俺は確かに猿飛に好きだと……しかしだ。


「言った。確かに言った、でも、だからって……」

「だからぁ、恥ずかしかったし、なんかちょっと出ていきにくくて、タイミングとかさぁ……」

「それでお前、ずっとっていうのか?」

「ん、まぁ……うん」

 

 まさか、

 まさかそんな理由で?

 好きと言われて照れくさくて、それで猿飛は今日まで雲隠れをしていたというのか!?


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