第28話 異次元のだるま

 会場は純粋な驚きと好奇に満ちていた。


 ある日突然現れた海のものとも山のものとも知れないお面猿が最強格闘家も最強力士もなぎ倒し、今や地下最強の男にまで牙を向けている。


 しかも毎回毎回圧倒的な体格差をものともせずに互角以上の戦いをやってのけ、勝利を収めている。


 皆が奇妙な高揚感を共有していた。

 俺にとってもこの展開は予想外で、あの猿飛にここまでの戦闘技術があるとは思ってもいなかった。

 心理戦にしてもそう。冷静に状況を判断し、大胆に行動している。技の切れも抜群……。

 今までの戦績は偶然でもまぐれでもなかった。

 彼女は単純に、本当に強かったのだ。


 この勝負、真逆まさかも有り得る。


 そう思いつつも薄氷を踏むような心持ちは晴れない。

 あのお面がそうさせるのだろうか。

 いつも同じ表情の安っぽいお面が、俺を不安にさせるのだろうか。


【だが、何故あそこまで強い?】


 或いは、その疑問が俺を不安にさせている根源か……。



 一方、猿飛に迷いはなかった。

 不安も無いだろう。

 だから、誘われるがままに飛び出したのだ。


 その直線的な突進にはだるまクンに対してのある種の信頼すら感じた。

 彼を『自分の全力を受け止められる相手』と見做みなしたのだ。


 当のだるまクンは厳つい顔をにやりと歪めて、半身で迎撃の体制。


 たたた、と猫のような足音と素早さで突っ込む猿飛に対し、だるまクンは落ち着いていて、冷静にタイミングを計っている。


 もちろんカウンターの一撃を入れるタイミングだ。


 一瞬毎に間合いは詰まり、あと一歩でお互いの制空権が触れるというその時、勢いに乗った猿飛が繰り出したのはパンチでもキックでなく、『跳躍』だった。

 それも動物的な高さの跳躍だ。


 わぁっ、という観客の声は飛び上がった猿飛を空中で際立たせるように短く響く。


「飛び蹴りだ!」 と、背後の誰かが声を上げた。 


 そう、勢いをつけた飛び蹴り!


 成程、それなら例え小柄な猿飛でもだるまクンに大きなダメージを与えることができるだろう。ただし、それは命中あたればの話だ。

 

 相手は百戦錬磨の超人。

 迎撃は既に始まっていた。


 半身になったのは前に出した蹴り足を十分に扱う為であり、そこに威力に速度と体重を加える為であった。


 振り上げられた右足は180度以上の角度を付け、筋力のバネが振り上げの反発力を最大限に溜め込んでいる……だるまクンは絶妙と言えるタイミングで『踵落とし』を装填していたのだ!


 狙いは当然、飛来する猿飛。

 しかも、彼女の蹴り足が出る前にだるまクンの踵は猿飛の軌道を捉えていた。


 こうなれば猿飛は最早、格好の的でしかない。

 だるまクンは絶対の確信を持ってその踵を振り落とせばいいだろう。そうすれば、彼の鍛え抜かれた金槌の様な踵と、丸太の様な脚が猿飛を捉え、打ち、そのままリングに叩きつけて踏み潰すだろう。


「ッキェエエエッッ!」

 凄まじい金切り声はだるまクンの気合一閃!

 彼は全力でその筋力を解き放ち、踵落としを打ち下ろす――!!

 ビュンッ、と音が聞こえてきそうな速さの踵落としだ!!


!!


 直撃し、猿飛は潰れたトマトの様に――はならなかった。


 信じられない事だが彼女は空中で身を捻り自らの軌道を変え、だるまクンの懐へと潜り込んだのだ!


 嘘だろ!? ――という様な歓声はまたも間に合わなかった。


 その驚きは動物的な動きもさることながら、猿飛が事にこそ皆が驚いたのだ。



 猿飛はだるまクンを射程に捉えたにも関わらず蹴りを出さず、両足を素早く開いてそのままだるまクンの体を挟み込んで思い切り身を捻ったのだ。


 猿飛の狙いは飛び蹴りではなく『蟹挟み』だった……それはつまり。


「やはり寝技グラウンドですね」

 犬飼が呟く。

 猿飛は蟹挟みからのテイクダウンで寝技戦に持ち込み、関節を捕りに行こうというのだ。


 かつて寝技で猿飛に遅れを取った犬飼。(正確には決着したわけではないが)


 実際に猿飛と戦った経験のある犬飼には、この展開は至極納得のいくものだった。


「猿飛様の関節技は恐ろしい程早く、正確です。もしまれば、そのまま勝負も決するかもしれません。猿飛様もそのおつもりでしょう」

 どこか安心するような口調の犬飼。

 このまま事が運べば自分達の懸念が杞憂で終わる……それは根拠の無いだった。


「ンフッ!」

 だるまクンが不気味に笑った。


 笑う余裕などあるのかと戦慄したが、だるまクンは笑っていた。

 彼は余裕だった。

 余裕でのだ。


 猿飛の蟹挟みは不発に終わり、テイクダウンは未遂に終わったのだ。


 それはある種、滑稽な光景だった。

 猿飛がだるまクンに飛び付き、脚だけでしがみついているというまるで組体操の様な格好になっていたのだ。


「ンフッ! ンフッ!」

 だるまクンの不気味な笑い声が脱出不可のリングに響く。

「ンフフッ! そんなに欲しけりゃほら、やるよ」

 だるまクンはそう言って右腕を前方へ突き出した……というより、差し出したのだ。

「関節、捕りたいんだろ?」


 ざわざわ……!


 観客がどよめく。

 敢えて関節技を掛けさせるというのか!?


 そんな自爆行為は真の地下王者が故の自信か、驕りか。それとも罠か?

 だが猿飛は迷わなかった。


 ヒュンッ!!


 そんな風切り音が聞こえて来る様な速さで、彼女はだるまクンが差し出した太い右腕に絡みついた――飛び付き腕ひしぎ十字固めだ!!


 が。


「ンフッ!」

 だるまクンはまたしても笑った。

 彼はびくともしなかったのだ。



「な、なんてやつだ……!」

 俺は思わず声が震えた。

 だるまクンはほとんど態勢を崩すこと無く、猿飛の腕ひしぎ十字固めを受けきっている。


 今の彼女はだるまクンの丸太の様な右腕にしがみつく、まさしく『猿』そのものだった。


 猿飛は加減をしていないだろう。

 梃子てこの力をだるまクンの右肘関節に十分に掛け、へし折る意気で力を込めている。

 にも関わらず、だるまクンは肘関節を伸ばすどころか猿飛の技をあざ笑うようにその腕を屈曲方向に曲げ始めたのだ!


 単純な筋力が桁違いだ……!


 観客達がそれをその目で見て、理解した。

 だるまクンはそれを分かっていて、デモンストレーションの様に猿飛の技をわざと受けたのだ。


「……ウザっ!」

 それは猿飛の声だった。


 ばっ!


 彼女は呆気なく腕ひしぎ十字固めを解除。

 ひらりと着地し、何をするのかと思えば……!

「ていっ!」

 彼女は躊躇なくだるまクンの股間を蹴り上げたのだ!!


 うわっ!!


 歓声に悲痛な声が混ざる。

 男性なら目を覆いたくなるような急所攻撃金的


 しかし、それすらもだるまクンには効果が無いというのか、彼はニヤリとその強面を歪めた。

「……は鍛え方が違うんだよ!」


 そして蹴られた股間を気にする様子も無く、右脚を無造作に持ち上げ、そのまま力任せに蹴りつける所謂いわゆる『ヤクザキック』で猿飛を蹴り飛ばしてしまった。


 ドガッッ!!


 鈍い音と共に吹っ飛ぶ猿飛。

「……痛ッ!」


 リングに打ち付けられてもそのままゴロリと転がり、金網に激突してようやくその勢いを止めた。


 おおお! と観客が沸く。


 猿飛は辛うじてガードが間に合った様で、金網を背にしているものの臨戦態勢は解いていない。


 激しい攻防……というよりも猿飛の一方的な猛攻と、それを受け切るだるまクンの埓外らちがいさに観客は拍手喝采で盛り上がるが、俺は汗がどんどんと冷えていくのを感じていた。


(全く歯が立たない……!)

 だるまクンに対し、猿飛の攻撃は何ひとつ効いていない。金的すらも効果がない。

 それがいかに絶望的か。

 隣に座っている犬飼も言葉を失っていた。


 逆に有仁子は嬉々として手を叩き、だるまクンに声援を送っている。

「いいぞいいぞ! そのままぶっ潰せぇ!」

 有仁子の歓声に、他の観客の声も混ざっている。内容も似たような下衆なモノだ。

 つまり、会場の空気はだるまクンに流れつつあったのだ。


 だが、だるまクンは決して依頼主クライアントや観客の期待に応えようとしているわけではない。

 彼はいつものように、いつもの仕事をしているだけだ。


 いや、仕事では無く『趣味』なのかもしれない。だからいつものあんなにもなのだろう。



「ンフッ! ンフッ! 潰すか……それはもう少し後だね。今はもっと怖がらせないと面白くねぇよ」

 相手を圧倒して恐怖を植え付け、その上で蹂躙することに喜びを感じると公言して憚らないだるまクン。

 それを可能にする腕力ちからと、歪んだ精神が彼をここまでの化物モンスターへと変貌させたのだ。


 猿飛は立ち上がったものの、ダメージを隠しきれていない。

 損傷とまではいかなくても、あのだるまクンの打撃を2度も喰っているのだ。ノーダメージはあり得ない。


 そんな猿飛が一言ぽつりと零した。

「……ちょっと、無理かも……」


 それは初めて聞く、猿飛愛子の『弱音』だった。


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