第26話 だるまクン

『だるま』と聞いてあなたは何を思い浮かべるだろうか。


 やはり縁起物のだるまだろうか。


 それともかわいらしい雪だるまだろうか。


 あるいはとんこつラーメンの名店『博多だるま』だろうか。


 同じ質問を自分がされたら、俺は真っ先にに『だるまクン』を思い浮かべるだろう。


 地下格闘界にその名を轟かせる『赤い悪魔』を……。



 その肉体は筋肉ダルマを地で行くガチムチボディ。

 ショットガンの弾を跳ね返したとの逸話を持つ超筋肉はパワースタミナタフネスの三拍子を兼ね揃え、その肉体に宿る精神力はナイアガラの滝での滝行すらも達成し、おまけにルックスは一度見たら忘れられないインパクトだ。


 何せ全身に赤いボディペインティングを施しているのだ。

 顔面、というか頭部はまさに達磨の様にデザインされており、真っ赤なスキンヘッドに厳つい瞳。そしていつでも赤いブリーフ一丁で、その素肌も真っ赤に染められている。もちろん、その赤も筋肉の鎧だ。


 5才以下の子供絶叫率100%とも言われるなまはげ的なその佇まいは、その埒外な強さを際立てる異形だった。



 そのだるまクンがここ強敵之会に降り立ったという事態は、俺にとって初めてフリーザの最終形態を見た時に匹敵する衝撃と絶望感があった。


 会場全体が歓声ともどよめきともとれる異様なざわめきに包まれる中、犬飼の声のトーンはいつになく低かった。

「全世界地下格闘最強の呼び声高いあの方が、まさか強敵之会に登場するとは……」

 彼の声が不安に揺れる理由は、そのセリフの中にある『地下』という単語にある。


「アンダーグラウンドの更にアンダーグラウンドの人間を呼ぶなんて、悪魔に魂を売ったか……有仁子!」

 図らずも、うめき声のような声が出てしまった。


 それが愉快だったのか、有仁子はフヒヒッと薄気味悪く笑った。

「オメーはホントに甘ちゃんだなァ総国ィ。勝つためには殺す気で行かなきゃダメだろ?」

 そして有仁子は何かに合図を送るようにして指を鳴らした。


 すると会場の天井あたりから金網場の檻のようなものが降りてきて、リングをすっぽりと囲んでしまったのだ。これでは逃げることも隠れることも叶わない。

 俺はあまりの事に声が震えた。

「き、貴様! そこまでやるか!?」

「だからお前は甘ちゃんだっつーんだよ。つーかテメーに文句つける権利なんて無ぇんだよ!」


 言ってることもやってることも度し難い外道だが、全く反論できない。

 それは有仁子の言う事が正論だからではなく、有仁子相手に俺がその意気で挑まなかったからであり、やはりこんな事に猿飛を巻き込むべきではなかったと俺は自分の浅慮さに辟易したのであった。



 俺の把握している限り、この日本には5つの地下格闘イベント・組織がある。

 いや、正確にはだ。


 殆どは強敵之会のように健全な喧嘩賭博なのだが、ひとつだけ極めて不健全なものがあった。

 それはとある巨大な反社会的組織が運営する所謂いわゆる『シノギ』の喧嘩賭博だったのだが、その内容は喧嘩ではなく単なる殺し合いの残酷ショーでしかなかった。


 ノールールの上にレフェリーも存在せず、武器も防具も使いたい放題で決着はどちらかの死……と聞けばあとはお察しだろう。


 無論、動く金も半端な金額では無かった。

 流石に警察が黙ってはおらず、国家権力によって取り潰されたのだが、だるまクンはその賭場の万年王者だったのだ。


 賭場は潰され、組織は壊滅。活躍の場を失っただるまクンだったが、海外の同じような裏組織に拾われ、そこでもまた王者に君臨した。


 彼は海外そこでも圧倒的な強さを見せ付け、幾人もの対戦相手を血の海に沈めていった。

 その返り血で自身も血まみれになる戦い方は全世界の地下闘技者から畏怖され、相手も自分も血だるまにするファイトスタイルから、いつしか彼はDARUMAだるまと呼ばれるようになった。


 そして彼もそれに呼応するように真っ赤な達磨の様なボディペインティングをするようになり、その名を不動のモノにしていったのだ。


(余談だが、呼び捨てはさすがにまずいだろ……と恐れた誰かが『クン』付けを始めたらしい)


 そんな狂人と猿飛とでは、いくら猿飛が強かろうが釣り合わない。それどころか、本当に殺されてしまうかもしれない。


「とにかく中止だ! さっさとそこをどけ有仁子の傀儡どもめ!」

 イチかバチか、いかつい男たちの肉の壁を強行突破しようと身構えたその時、目の前にいかつさとは真逆の清楚な壁があらわれた。

 俺の行く手を阻んだのは、なんと鳥山婦長だった。


「お控えくださいまし、総国様」

「ふ、婦長……何故だ?」

「有仁子様の仰る通りです。すべては貴方の甘さ、短慮さがこの事態を招いたのです」

「お説教なら後でいくらでも訊く。今は一刻を争うんだ! そこをどいてくれ婦長!」

「どきません」

「だから何故だ? 何故邪魔をする? 有仁子の指示か?」


 俺の問いかけに婦長は何も答えない。

 まるで我が子を叱る母親のような厳しい表情だが、自分の母の顔を見たことがない俺にはそこから何事も察する事はできなかった。

「……命令だ。どいてくれ、婦長」

 言って、生唾を飲み込んだ。

 

 柄にもないセリフを口走ってしまったこともあるが、なにより今現在の俺に『金沼家の使用人に対しての命令権』など、あるはずもないという事実を思い出したからだ。


「……猿飛がどうなってもいいのか、婦長」

 まるで負け惜しみのような情けない言葉が口をついた。

 だがこれが今の俺の精一杯だった。

 しかし婦長はそんなものは意に介さず、

「総国様。あなたには見届ける義務があります……どうぞこちらへ」

 そう言って俺にリングサイドに近い特等席を勧めた。


 見届ける義務……。

 確かにそうかもしれない。

 或いは、俺が招いた状況でもあるのだ。


 婦長の目配せにより有仁子の下僕はすんなりと下がったので、俺は重たい足取りで指定された座席へと向かうしかなかった。


「……猿飛」

 金網越しに声をかけたが、弱々しい放屁のような声しか出ない。

 当然そんな声では彼女に届くはずもなく、悠々とリングへ上っただるまクンに対する歓声にかき消されてしまった。


 地響きのような歓声の中、金網で囲まれたリングの中央で仁王立ちするだるまクン。

 猿飛もそのままリングの中央へと向かうかと思いきや、不意に俺の方を見た。


「……」

 無言で一瞥。


 そしてゆっくりとリング中央へと向かった猿飛だったが、俺にはその一瞬、彼女の被っている猿のお面がニヤリと歪んだように見えた。


 とても嬉しそうに、わらったように見えたのだった。


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