第四十四話

 その夜は、中央のテーブルに倉石君と常連の二人組であるよっしーさんとオカチャンさんが陣取り、そばに僕とともみさんがいた。

 ソシャゲの◇◇で新規イベントが開始されて一週間以上経った頃で、僕達五人は攻略の成果を持ち寄って情報交換した。さらに新規実装されたキャラやレアキャラのドロップ状況を確認したら、倉石君が一番多くゲットしていることがわかった。

 攻略については、五人の中で一番やり込んでいるはずのともみさんが感心している。

「ボクだってまだ半分もゲットしてないのに、キミはラッキーだね」

「それほどプレイに時間割いてるわけじゃないけど、自分でもそう思います」

 照れくさそうな倉石君へ、常連の二人が露骨な羨望の眼差しを向けていた。二人は未だに新キャラをゲットできず、いわゆる沼にハマっている状態だった。かく言う僕も、ともみさんと似たような状況であり、倉石君の引きの強さにあやかりたいと思っている。

 元々客の少ない月曜日ということで、店内にいる客は常連の二人と倉石君だけだ。だから僕とともみさんは三人と一緒になって、ゲーム談義に花を咲かせた。

 出入口のドアが開く音がした。絵舞さんは休憩中であり、倉石君達はともみさんに任せて、僕が応対に向かう。

「お帰りなさいませ……あっ!?」

「お出迎え、ありがとう。店長さんはいらっしゃる?」

 当人の予告通り、ついに広夢さんがフェアリーパラダイスに姿を現した。白を基調としたスーツをまとったその態度も堂々としたもので、店内を悠然と見渡している。

 いずれ来店するとわかってはいたけれど、実際その姿を目の当たりにすると、言葉が出なくなってしまった。そんな僕の背後から、いつもより甲高い響きを帯びた嶋村さんの声が届く。

「まあ! ようこそお帰りくださいました」

 僕の隣をすり抜けて、嶋村さんが前に進み出て一礼した。その姿を認めた広夢さんが、邪悪めいた笑顔を浮かべる。

「今夜はあなたとお話がしたくて、再びお伺いしました。ご迷惑かしら?」

「とんでもございません! 貴方様がお帰りになることを、首を長くしてお待ちしてましたから」

「それはよかった。では、案内していただけますか?」

「ええ。どうぞ、こちらへ」

 嶋村さんが広夢さんを壁際の席へと誘導した。異変に気づいた倉石君と常連の二人が、ゲーム談義を止めてまで、その様子に見入っている。

 席に案内された広夢さんは、椅子に腰掛ける前に懐から名刺を取り出して、両手で嶋村さんに差し出す。

「これ、私の名刺です」

「これはこれはご丁寧に。では、あたしからの名刺ですわ」

 嶋村さんも内ポケットから名刺を取り出し、表面上はにこやかに広夢さんと交換しあう。

 今までに嶋村さんが、食材や調理機器や清掃用具の取引業者と名刺交換したのは何度も見てきた。でも今、僕の目の前で繰り広げられているそれは、目に見えない火花がバチバチと散りばめられているみたいに、または耳には聞こえない『ゴゴゴゴゴ……』というような不気味な重低音が響き渡るかのような、極めて殺伐とした雰囲気を感じさせられる。

 そばにいた僕に、広夢さんはホットコーヒーを注文した。厨房に入って用意していると、異変を感じたのか休憩中の絵舞さんが顔を出す。

「あのTSの方が来店したのですか?」

「はい。嶋村さんと話してます」

「これは面白……いえ、大変なことになりました」

 やはりというか、絵舞さんの瞳が一際輝くのが見て取れる。


 席にコーヒーを持って行くと、嶋村さんと広夢さんは自己紹介などのあいさつを終えて、話が本題に移っていた。

「今日の私は、あなたが誤解しているようなので、それを解きたいと思ってお伺いしたのよ」

「『誤解』とは、何のことでしょう?」

「あなたは私が、王子様を含めたこの店のメイド達を引き抜きしようと企んでいる……そう考えているようだけど、それは濡れ衣というか事実無根であると申し上げたいの」

「その割に、ずいぶんと王子様にご執心なされてたようですけど?」

「そりゃもう、偶然入ったこの店で、自分と同じTSが働いていると知ったんですもの。興味が湧くのは当然ってものでしょう」

 二人は笑顔だけは絶やすことなく会話しているが、そこから漂う空気は険悪なものでしかなかった。そばに控えている僕は口を挟む事もできず、ともみさんと絵舞さんも固唾を呑んで見守っている。

「何だこのプレッシャーは!?」

「ジ・○、動け! ジ・○、何故動かん?」

 よっしーさんとオカチャンさんが、体をこわばらせて身動きができないふりをしていた。多分、何かのパロディだとは思うけど、ともみさんならともかく僕には元ネタがわからない。そして倉石君は、すっかり唖然とした様子だ。

 さらに嶋村さんと広夢さんの間では、毒のこもったセリフの応酬が続く。

「いくら同じTSだからといって、プライベートまでストーカーなさるのはいかかなものでしょうか?」

「途中で声をかけようと思ってたんだけど、警戒されてたおかげで足早に歩くものだから、追いつくのに時間がかかったのよ」

「しかも、深夜直前に未成年の子を尾行するなんて、犯罪と思われても仕方ないのでは?」

「だから、余計な疑いを抱かせないよう、彼に会話を録音するよう勧めたわけ」

 あの夜、相手から言われたとおりに、スマホに録音していたおかげで、僕は嶋村さんに対して身の潔白を証明できた。この点に置いて、広夢さんには抜かりがなかった、とは言える。

「ですがやはりストーカーは迷惑なわけで、そのように疑わしいことをなされては、引き抜きだと怪しまれても当然じゃないでしょうか?」

「ええ、それについては私に非があるわけですから謝ります。ですが、決して私はこの店から……いえ、どこの店からも引き抜きをしようなどと考えてはいなかった。それをあなたに理解していただきたいのよ」

 引き抜きの話となると、嶋村さんのこめかみに浮かんだ青筋がピクピクとしているのがわかった。

「いまさらそんなことを言われても、『はい、そうですか』と受け入れるのは難しいものがありますわ」

「でしょうね。だからこそ私は、非礼を承知でここにうかがったわけ。一方的に謝ったり、まして土下座したところで、あなたの誤解は解けないと思ったから」

 ここで広夢さんが、シュガーを半分だけ入れたコーヒーを飲んだ。立ったままの嶋村さんが、姿勢をわずかに直す。

「そこまで仰るからには、何か証拠はございますか?」

「まずは、彼のスマホに録音させた私達の会話だけど、私は『人を探してる』とは言ったけど『引き抜きたい』などとは口にしてないわ」

「それだけでは、証拠としては弱いですわ」

「それと、彼からも聞き及んでいるはずだけど、私がスカウトしたホステス候補は、フリーの状態にある人達よ。最初から、それを条件に探していたわけだし」

「では、何故当店にわざわざ足をお運びになったのでしょう?」

「あの時の私は人探しに疲れてて、この店には通りすがりで休憩に入ったの。まさか、私がいかにも『ゲイバーのホステス』な姿をしてたというだけで、引き抜きだと疑ったのでは?」

「とんでもございません。当店では同業者であっても、お客様として来店なさるなら歓迎いたします」

「それはうちの店だって同じよ。いちいち相手が引き抜きに来たかなんて、疑ってはいられないわ」

 もう一口だけコーヒーを飲むと、広夢さんが毒気を含んだ目線を嶋村さんへと送りつける。

「そういえば、彼と初めて二人きりで話をした時、初っ端から『スカウトはお断りします』って言われたけど、それはあなたが吹き込んだのではなくて?」

「それは……」

 初めて嶋村さんに狼狽の色が表れた。相手は畳み掛けてくる。

「あなたは今、『同業者でも客としてくるなら歓迎する』と言ったわね。陰では、そんな目で私を見てたってことなのかしら?」

「……くっ」

 歯ぎしりの音が聞こえた。嶋村さんが追い詰められているのを見かねた僕は、ついに介入を決意する。

「わたくしは店長さんから、引き抜きには気をつけてと言われておりました。店長さんは御主人様当人を疑っていたわけではありません」

 僕が前面に出てきたのを見て、広夢さんは面白そうな表情になる。

「でもあなた、私のことをずっと疑ってたじゃない?」

「あの時は、御主人様が何を考えているのかわからなかったので、最初に言うべきことを言っただけです」

「あなたがそう言うよう仕向けられたのは、やはり店長さんから吹き込まれたからでしょう?」

 同じTSである僕に対しても、広夢さんは容赦がなかった。それでも反論を試みる。

「店長さんが引き抜きについてこだわっているのは、かつてこの店でメイドが引き抜かれて、それを自分の責任だと痛感しているからです。そのようなことが二度と起きないよう、わたくしに注意してくれただけです」

「……なるほど、その引き抜きをしていった相手に、私が似てたということね」

 事情を察した広夢さんが、ゆっくりとうなずいていた。そこへ、ともみさんと絵舞さんも加勢に入ってくる。

「店長は常々、ボク達にも注意をしてくれました。ボクもそういう誘いには、安易に乗る気はありません」

「私も同感です。店長さんには恩もありますから、恥知らずな真似はできませんわ」

「あらあら、三対一じゃ多勢に無勢ね」

 降参したかのように、広夢さんは両手を上げた。

 嶋村さんを見ると、拳を握りしめたまま、無念そうにうつむいていた。すると広夢さんが立ち上がって、彼女の手を取って自分の隣へと座らせる。

「確かに引き抜きって、店長として精神的ショックは大きいわよね。うちの店だって、何度も起こったことだけど」

「……あなたの店も?」

 嶋村さんが驚くと、広夢さんは冷めかけたコーヒーを口に含む。

「うちのママは気丈というか『姉御肌』なタイプで、引き抜きがあった時は人前じゃ平然としてたけど、裏で落ち込んでるところを見かけたこともあるわ」

 ゲイバーなのだからママというのもニューハーフの人なのだろうけど、それが姉御肌というのは矛盾してるような気がしないでもない。

 それはともかく、広夢さんの話は続く。

「引き抜きと言っても、黙って出ていくような人もいれば、事前にママへ相談して、筋を通してから辞める人もいた。そういう人にはママもある程度は快く送り出したものよ。あなたの場合、相談なく出ていったものだから、自分は信頼されてなかったって落ち込んだのでしょう?」

「……ええ、そんな風に思われてたと知って、あたしだって辛かった」

「私はいつ男に戻るか知れたものじゃないから、焦る気持ちはあったけど、それでもママやあなたの気持ちがわかるし、決して他店からの引き抜きをするつもりはなかった。いくらTSでも人の道から外れた、仁義のないことはできないわ」

 広夢さんの目は、同じTSである僕に向けたのと同様に、哀れみの色を帯びていた。これは広夢さん本来の性格から出たものなのだろう。

 しばらく黙っていた嶋村さんだったが、やがて立ち上がると、広夢さんに向かって頭を下げる。

「疑ったりして、申し訳ありません。あたしの過剰反応でした」

「わかってくれればいいの。それにしても……」

 広夢さんは僕を、続いてともみさんと絵舞さんの顔を順に眺める。

「もし私がママとして店を出すなら、ここの王子様とメイドの子達のような人を雇いたいわ。もちろん、この店から引き抜きはできないでしょうけど……ね」

 最後に広夢さんは、僕に向かってウィンクした。


「……彼女って、『放っておけないタイプ』よね」

 広夢さんは帰り際、見送る僕に向かって嶋村さんの性格をそう評した。

 曰く、店員への面倒見は良くて、仕事もよくこなすのだが、勢い余って失敗することもあり、そういう時は激しく落ち込むものだから、周りも気を使ってしまう……その分析は、僕が今まで付き合ってきてわかった嶋村さんの人となりと、ほぼ同じだった。

 僕が数ヶ月かけて理解したことを、たった一晩で見抜いた広夢さんの洞察力に、舌を巻くしかない。

「さて……これから私も、スカウトした新人ホステスの面倒見なきゃいけないから、色々と忙しくなるわ」

 つぶやいた後で、人の悪そうな笑顔を広夢さんが浮かべる。

「それが一段落したら、今度こそあなたの話を聞かせてもらうわよ」

「まだわたくしに興味があるのですか?」

「そりゃそうよ。同じTSだってこと以外、何も知らないわけだし、それにあなたは、とても興味深い子だから」

 ドアを開けた広夢さんは、最後にこちらへ振り返る。

「それまで元気でね。さよなら」

「いってらっしゃいませ、御主人様……」

 その後姿が見えなくなってから、僕は深い溜め息を吐き出す。

 この先、本当に広夢さんと二人で話をすることになった時、僕の性格や本性がどれだけ暴かれてしまうのか……薄ら寒い戦慄が背中を貫いていく。と同時に、あの人からの話をもっと聞いてみたいと思う好奇心も、胸に芽生えているのを覚える。

 自分が暴かれることへの恐れと、同じTSである人への好奇心……矛盾した気持ちの間で、僕の心は揺れていた。

「……やっと帰ってくれたね」

 振り返ると、倉石君がホッとしたような顔で立っていた。まさか彼も、フェアリーパラダイスであんな修羅場を目撃するとは思わなかっただろう。

「ええ、お騒がせして、申し訳ありません」

 僕は心から、倉石君に頭を下げた。

 向こうでは、ともみさんと絵舞さん、さらに常連の二人も一緒になって、嶋村さんを慰めるべく様々な言葉をかけていた。それが嬉しいのか、徐々に嶋村さんの表情が和らいでいくのが見える。

 僕も嶋村さんに声をかけようと、倉石君とともに皆のところへと向かう。

「今回の件で、嶋村さんがわたくし達のことを、深く思いやってくれているのがわかりました。それが嬉しかったです」

 思いを伝えると、嶋村さんが僕を見上げてやっと笑顔になる。

「元々あたしの早とちりだったのに……あなたを『王子様』として、この店にスカウトしたのは正解だった」

 立ち上がった嶋村さんは、僕達全員に一礼すると、こんなことを言い出す。

「あたしのせいで迷惑かけたから、今夜は皆にケーキと飲み物をごちそうしましょう」

「何もそこまでしなくても……」

「いいのよ。あなたも、ともみちゃんと絵舞ちゃんも、それとよっしー御主人様とオカチャン御主人様、倉石御主人様も、遠慮なく食べてちょうだい!」

「さすが店長! 太っ腹だ!!」

「ありがてぇ~! ここの常連になれて、こんな幸せなことはない」

 早速常連の二人がノッてきた。ともみさんと絵舞さんは、しょうがない……という感じで笑い合っている。倉石君だけが、嶋村さんの変わり身の早さについていけず、目をパチクリさせていた。

 嶋村さんが厨房に入っていった後、念の為に僕は、ともみさんにたずねる。

「いいんですか? あそこまでしてもらうのは」

「店長のおごりなんだし、今夜はもう客は来ないよ。月曜日なんだから」

「そうですよ。上堂さんもお誘いして、皆でいただきましょう」

 絵舞さんも、すでに乗り気となっていた。


 こうして唐突に始まったパーティは、閉店時間を大分オーバーしてまで、盛り上がることとなった。

 今まで僕は、上堂さんが作る賄のサンドウィッチしか食べたことはなかったけど、こうして店のケーキを味わってみると、これも本当に美味しいと思えた。これなら、あの社交的女子達や取り巻きの女達が喜ぶのも理解できる。

 その間に嶋村さんは、僕やともみさんと絵舞さん、さらに上堂さんにもあらためて感謝の意を表した。さらに常連の二人と、倉石君にも謝罪の言葉を伝える。

「俺、ただ見てだだけですから……」

「店長であるあたしが迷惑かけたのだから、お客様であるあなたに謝らなくてはならないわ。これからもこの店と、王子様をよろしくね」

「は、はい!」

 笑顔の嶋村さんに対し、恐縮しながら倉石君はうなずいた。


 閉店後の後片付けに入った時、誰に言うのでもなく、上堂さんのつぶやきが聞こえてくる。

「あの人が、こんなに早く立ち直るとはな……」

 安堵したような声からは、嶋村さんを案じ続けていた上堂さんなりの思いが、僕には感じられた。

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