第三話

「君がしなければならないことは、今の自分が矛盾した状態にあることを、深く自覚することだ」

 男性のカウンセラーはフランクな態度と、よく通る穏やかな声で、こう切り出した。

「矛盾を自覚……ですか?」

「そのとおり。矛盾というものは形はどうあれ、大人にも子供にもある。そして矛盾が一つもない男女もいない。君の場合は、自分が男であるという性自認と記憶を持ったまま、身体的性別が女になってしまった。いわば精神に対して身体が極端に別方向へと変化したという、極めて矛盾した状況にある。それはわかっているね?」

「……はい」

 うなずいたものの、いまだそんな自分を認めたくない気持ちがないとは言えない。相手も、そんな僕の内心は見抜いているようだ。

「朝おんしてしまったことは君にとってショックだろうが、事実は事実だ。そこから目をそらさず、自分はそういうものだと受け入れるしかない。ましてそんな自分の状態を異常だとか、間違っているなどと決めつけてもいけないよ。なぜなら……」

 カウンセラーはテーブルの上に置いた手の指を組み直す。

「現状を認められない君は、ありもしない理想の自分を勝手に作り出し、その幻想と現実の自分との間にある落差に葛藤して、それをごまかすためにますます自分に対して嘘をつくようになる。そんなことを続けていけば、いずれどこかで破綻が出てくるし、君は自分が何者なのかと深く悩んだ挙げ句、精神が非常に混乱して心を病むことだってありえる」

「そ……そんなこと、あるんですか?」

「朝おんに限らず、自分が男か女かという性自認と身体的性別の問題では、よくある話なんだ。特に君のような思春期の患者は、性のアイデンティティ崩壊を容易に起こしかねないからね」

「だから僕は、自分が矛盾してることを、ちゃんと認めなくてはいけない……と?」

「まあ、それを認めたからって、心が楽になるとか精神的に救われるいうことは、ほとんどない。自分の中にある矛盾を直視することは、全く面白いことではないからね。けれど、そこから始めないと君の心は激しく振り回されて、普段の生活を送ることすらおぼつかなくなるだろう」

 カウンセラーは親身になって話してくれるから、決して脅かすつもりのないことは、僕もわかる。それでも具体的に女としての自分をどうやって認めればいいのか、何もわかっていない僕には漠然とした不安しかない。

「僕に、できるでしょうか……?」

「比較的落ち着いている君ならばできる……と言いたいところだが、やっぱりすぐには無理なことだ。時間や年月がかかるのは仕方ないし、受け入れられる部分もあれば、できない部分もあるだろう。君はまだ若いんだから、これからいろんな経験を重ねることで、自分を見つめ直す機会は何度もある。それを通じて少しづつでも矛盾を受け入れていこう」

「その間に男に戻ってしまったら?」

「十数年後に君が男に戻ったとしても、その時だって同じこと。それまでは女として生きてきたことにかわりはない。だからまた同様に、矛盾のある自分の人生を自覚していくしかない」

 ウゼェっていうかマジで面倒くさいけど、どうやら僕の一生は女のままあっても男に戻ろうとも、常に大きな矛盾というものがつきまとうということなのだろう。目には見えないくせに、とてつもない荷物を背負わされたような思いがする。


 以後のカウンセリングでは、女の体で日常生活を送るために必要最低限な知識や常識などを、色々と教わることになった。具体的には生理への対応とか、トイレ等の性別が分けられている場所の利用の仕方などだ。男だった僕には憂鬱な話ばかりだけど、これを知らないと周囲に迷惑をかけたりすることもあるのだし、嫌でも覚えるしかない。

 他に社会的な問題として、僕の戸籍上の性別をどうするか、そして僕が通っている高校から転校すべきか、という話が出た。

 まず戸籍については、朝おんというのは当人の意思によらない女性化であることと、再男性化の可能性もあることから、今すぐ変更する必要はないとした上で、追跡調査において最長の報告例である二十五年を過ぎても戻らなければ、その時点で考えてみるべきだとアドバイスされた。

 高校の問題は、僕の心理的な負担もあることで、養護施設のある学校への転校を勧められた。それを受けて両親が学校に相談したところ、何故か僕まで呼び出されて話し合いをすることになった。

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