第四節 祭りの後の祭り
第六十九話
夏コミケは終わったが、夏という季節そのものは続いていた。というより、終りが全く見えてこない。
いまだ日中の気温は高く、午後のフェアリーパラダイスへ出勤するだけで茹で上がってしまいそうだし、夜になっても熱帯夜の連続で、帰り道の疲れた身体に不快な湿度がまとわりついてくる。
しかも天気予報は『今後も猛暑が続く』と注意を呼びかけ、熱中症への厳重警戒を連日訴えていた。自然現象というものが人類の意志だけでどうにかできるわけでもないことは、高校生の僕にもわかっているが、それでも『ええ加減にせえよ』とツッコミの一つも入れたくなる。
このように夏の終わりが見えなくても、夏休みの終了は確実に近づいていた。倉石君のおかげで宿題は済ませてあるし、今は家とフェアリーパラダイスを往復するだけだから余裕はあるが、新学期が始まれば学校から店へと出勤する忙しい日々が再び始まる。だらけた気分も引き締め直しておくべきかもしれないが、一度身についた怠惰は容易に抜けそうもない。
意識だけでも普段の生活に戻ろうとしていた僕だが、未だに夏コミケの余韻というか反響があることに驚かされてしまう。
「これ、▽▽のコスだから王子様じゃないか?」
「倉石君も写ってるし、本人だね」
その夜、店に来た常連の二人組がスマホとタブレットを見せてきた。それぞれの画面にはコスプレ姿の僕が倉石君と共に、社交的女子を救護室へと運んでいく姿が映し出されていた。僕達の顔は見切れているが、後ろ姿はバッチリ捉えられている。
他にも二人組はネットで検索して出てきた、救護する僕達の画像を何枚も見せてくれた。それらのほとんどが遠目だったり背後からのアングルばかりだったから、僕や倉石君の身元は特定できないはずだと彼らは言うが、気づかないうちに盗撮されていたみたいで、あまりいい気分ではない。
そもそもコミケにおいて、コスプレイヤーを勝手に撮影したり、ネットへ転載するといった行為は禁止されていたはずだ。思いもよらなかった状況に、素朴な疑問が出る。
「どうしてわたくし達の画像が、こんなにあるのでしょうか?」
「実は、昔から夏コミケで倒れるのはレイヤーの方が多かったんだ。炎天下でコスを着込んでいるから、暑さに耐えきれなくなるんだね」
「逆にレイヤーが一般の急病人を運んでいくのは珍しいことなんだ。王子様の活躍は、夏コミケ直後からバズってたんだよ」
二人が教えてくれるまで、自分がネット上で話題になっていたことなど全然知らなかった。ヴァンタンさんが作ってくれたコスの出来が良かったからとか、伝説的な筋肉質の女装コスプレイヤーと一緒に写っていたからというわけでもなく、意外な形で注目を浴びていたというのは奇妙な感覚だ。
「初めてのコスプレでこんなにバズるなんて、キミはラッキーなヤツだな」
ともみさんがニヤニヤしつつ、僕の肩に手を乗せる。
「これのどこがラッキーなのでしょうか?」
「最早キミは伝説的なレイヤーになりつつあるってことさ。冬コミケでも参加が期待されるだろうし、引き続きサークルメンバーにも登録しておくよ」
「まだわたくしは、次もコスプレするとは決めていません」
「もちろん倉石君も一緒だよ。君達は強力なタッグだからね」
倉石君のことはともかく、当然のように事を運ぼうとするともみさんの強引さには呆れてしまう。
「王子様が出るなら、オレ達だって次のコミケでも公式カメラマンを務めるぜ」
「今度はハプニングに対処する王子様の活躍も、ちゃんと撮影するからね~」
二人組まで話に乗ってきた。しかも以前に倉石君は『君がやるなら、また手伝うよ』とまで言っていたし、ここまでプレッシャーがかけられると、ちょっとやそっとの言い訳では断りきれなくなりそうで、悩みどころである。
夏休み最後の日。倉石君がフェアリーパラダイスに姿を見せた。彼の通う森野宮高も、明日から新学期に入る。
僕達が社交的女子を助けた件で話題になっていたことは、倉石君も知らなかったようだ。僕から事情を聞いて、苦笑いしている。
「俺のことはともかく、あの日の君は色んな意味で注目の的だったんだな」
「わたくしも予想外でした」
「それであの子は元気になったのかい?」
社交的女子のことを尋ねてきた倉石君に、僕は首を横に振る。
「あの日以後、顔を見てませんので……明日になれば普通に登校してくることでしょう」
助けられたことが気まずいのか、社交的女子は店にも来なくなった。それでも遊井名田先生に会いたい気持ちは変わらないだろうから、いずれ姿を現すに違いない。
しばらくして、店のドアが開いた。取り巻きの六人が入ってくる。彼女達と会うのは、夏コミケの日の夕方、社交的女子のことを頼んで見送った時以来だ。
「お帰りなさいませ、お嬢様方」
いつものように笑顔で出迎えたが、彼女達の反応は妙だった。曖昧な笑顔を作っていたり、何か含むような表情を浮かべてもいる。
全員を席に案内して注文を取ったが、それでも彼女達は以前のような浮かれた気配さえ見せず、淡々とオーダーしてきた。違和感を覚えつつ、厨房に注文を伝えに行く。
「暑い中、よくぞわたくしのコスプレを見に来てくださいました。それとお嬢様方にはお手数もおかけしました。それらを合わせて感謝いたします」
改めて、あの日の礼を述べたが、それでも彼女達の反応は芳しくない。それぞれの表情には、程度の差はあれ不満が見て取れた。
やがて僕と同学年である、親衛隊女子の一人が感情を押し殺したような声を出す。
「……どうしても王子様、いえ徳田さんに聞きたいことがあるんです」
「何でございましょう?」
促す僕に、彼女は一瞬ためらった後、伏し目がちに話し出す。
「あの日、徳田さんが
「ご存知だったのですね」
「私達、前からあの子の徳田さんに対する態度が気に入らなかったんです。なのにどうして、あそこまでしてやったんですか?」
「それは……」
思わず絶句した。さらに後輩の突撃隊女子達まで訴えてくる。
「先輩だって迷惑してたんじゃないんですか? あんな嫌味な人を助けるなんて、人がいいにもほどがあります」
「しかも、サークルの人からオマケみたいなものまでもらってたみたいですし、えこひいきですぅ!」
「もしかして、それも先輩が頼んだことなんですか~?」
取り巻き達が社交的女子に対して不満をいだいていたことは気づいていたが、ここまで根深いものとは知らなかった。しかも先生にオマケを頼んだことまで、理屈によらず見抜いていた。これが『女の勘』というものだろうか。
「わたくしが彼女を助けたのは、目の前で倒れたからで、もしお嬢様方の誰かがそうなったとしても、同様に行動したでしょう」
とりあえずなだめてみたが、彼女達は収まらない。
「あの日は私達だって、彼女の面倒なんか見たくなかったです。でも徳田さんが言うから……」
「徳田さんにとって、彼女と私達ではどっちが大事なんですか?」
よりによって答えにくい質問をしてきた。『お嬢様方が大事です』と答えたところで、『だったらどうして、あそこまでするの?』と言い返されるのは、火を見るより明らかだ。
面倒臭さで言葉に詰まっていた時、席から立ち上がった倉石君が僕の隣に立つ。
「君達、これ以上徳田君を責めるのはやめてくれ。彼と俺は急病人を助けただけなんだから」
取り巻き達は、すでに倉石君の顔は知っているはずだ。その彼が訴えても、彼女らはひるまない。
「いくらサークルの人でも、あなたには関係ないことじゃない」
「あの日の俺は、初めてコミケに来る君達が熱中症になった時にも備えて、彼と準備をしていた。それにいくら気に入らないからって、目の前で倒れた相手を放っておくなんて、そこまで徳田君を人でなしにしたいのか」
今度は取り巻き達が絶句する番だった。
僕は倉石君の横顔を見た。これほど彼の真剣な表情を見たことはない。彼が変わりつつあるのは承知していたけど、僕のためにここまでしてくれるとは予想もつかなかった。
重苦しい空気が店内に漂っていた。それを破るかのように、嶋村さんが事務室の扉を開けて出てくる。
「お話はすべて聞かせていただきました。お嬢様方のお気持ちもわかりますが、王子様達は急病人を助けたかっただけのことなのです。そこはご理解していただけませんか」
店長であり大人でもある嶋村さんから説き伏せられたら、取り巻き達も矛を収めるしかなくなった。
「お待たせいたしました」
絵舞さんが取り巻き達の注文した飲み物等を運んできた。休憩が終わったばかりのともみさんも一緒だ。
いつもなら嬉々として飲み物やケーキを口にする取り巻き達が、今は気まずそうな表情で手を出そうとしない。倉石君と嶋村さんから言われたことが、相当ショックだったようだ。
見かねた絵舞さんが何か思いついたらしく、顔を嶋村さんに向ける。
「お嬢様方のポイントカードが、そろそろ満点に近づいています。そこで王子様からのサービスについて、考えがあります」
「何かいいアイディアがあるのね?」
絵舞さんから耳打ちされると、嶋村さんの表情が愉快そうなものに変わっていく。逆に僕は一抹の不安を感じてしまう。
「お嬢様方のポイントカードが満点になった際には、『王子様からの壁ドン』に代わって『王子様からのお姫様抱っこ』をサービスすることに変更いたします!」
「きゃあ~っ!」
嶋村さんの宣言を受けて、取り巻き達の顔が一斉に華やいだ。そのとんでもない提案に、僕はあっけにとられる。
「今まで『王子様からの壁ドン』は、一度もリクエストがございませんでした。やはりといいますか、王子様から乱暴に扱われることは、どなたも望んでいなかったわけです」
「徳田さんもそう言ってました。私達だって優しくされたいんです!」
「先輩が抱き上げてくれるなんて、こんな形で夢が叶うなんて思いませんでした!」
親衛隊も突撃隊も、本音では自分達だけが特別扱いされたかったわけだ。好意的な反応を受けて、嶋村さんは続ける。
「今回、王子様がコスプレして夏コミケに参加することになったのも、当店のバックアップによるものです。その王子様に不満をいだいたということは、当店の責任でもあるわけですから、こういう形でお嬢様方の不満を解消したいと思いまして、このような提案をいたしました」
「……あの、私みたいなデブでもいいんでしょうか?」
親衛隊女子の一人が恐縮しつつ手を上げた。確かに彼女は肉付きが良くて、いくら僕でも抱え上げるのに苦労しそうだ。だが嶋村さんは笑顔を絶やさない。
「『お姫様抱っこ』の代わりに『ハグ』をリクエストしてもよろしいですよ」
「『ハグ』!? ハグしてもらえるんですか!?」
持ち上げられる代わりに全身で抱きしめられることを想像したのか、彼女は夢見心地な表情を浮かべていた。
こうして嶋村さんからの提案を受けて、取り巻き達は社交的女子への不満など完全に忘れ去っていた。これは絵舞さんの発案に寄るものではあるけど、よりによって僕がここまでしなくてはならないのだろうか。
「女心とは微妙なものです。その辺の機微を、どうかわかってあげてください」
絵舞さんから諭されたが、受け入れるのに苦労する僕だった。
帰ろうとした倉石君をお見送りして、そのまま後を付いて店の外に出た。通路で二人きりになると、彼に頭を下げる。
「さっきはありがとう。僕のためにかばってくれて、すごく助かった」
「あれは君のためと言うより、俺も一緒に助けたわけだし、それを非難されるのは耐えられなくて……」
倉石君はこめかみを指で掻いた。
僕達はそのまましばらく黙っていた。やがて僕の方から口を開く。
「君を見直したよ。初めて会った時と比べても、大分変わったって思ってる」
「そうかな? あまり自覚ないけど」
「君と友達になれてよかった。これからもよろしく頼む」
僕が右手を差し出すと、はにかみつつも倉石君は握手してくれる。夏コミケ直前に、いきなり彼の手をつかんでしまった時とは違い、暖かな気持ちで心が満たされていた。
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