第六十八話
十九時のフェアリーパラダイスに、僕と倉石君、ともみさんと遊井名田先生の四人が再び集合した。今夜は店を貸し切りにして、打ち上げを行うためだ。公式カメラマン役を務めてくれた、よっしーさんとオカチャンさんも同席する。
各テーブルには上堂さんの作った料理の数々が所狭しと並べられており、大人である先生とともみさんのために、酒類も用意されてあった。
嶋村さんと絵舞さんが皆のグラスに飲み物を注いで回った。ビールの入ったグラスを手に、先生が立ち上がってあいさつを述べる。
「今日一日お疲れさまでした。店長さん達もありがとうございます。乾杯」
グラスが合わされ、皆から拍手が沸き上がった。
よっしーさんとオカチャンさんが撮影した写真や映像を、絵舞さんに見せながら解説している。
「やっぱり王子様のスタイルの良さは、場内でも際立ってたよ」
「初々しさもありますけど、華が感じられますね」
「ポーズも堂々としてたし、ともみちゃん並にコスプレの才能あるよ。冬コミケにも期待だね~」
二人が褒めてくれたのは嬉しいけど、僕が今後もコスプレすることを期待するのは少し勘弁してほしい。
倉石君が見せたスマホの画面に、ともみさんがビールを飲む手を止めて覗き込む。
「あの人と一緒に写ったんだ?」
「ヴァンタンさんが作ったコスだとわかって、彼に話しかけてきたんです」
コミケでは伝説的存在である筋肉質の女装コスプレイヤーと、僕が一緒に並ぶ画像を見ているのだろう。
「まあ! 二人の息はそんなにピッタリだったの?」
「姉貴が倉石兄貴と、倒れた人を救護室に運んでいく姿は感動的でした。コスプレしててもやっぱり姉貴は男らしかったっす!」
新島が嶋村さんに向けて力説していた。それにしても、なんでこいつまでここにいるんだ。サークルの一員でもない一般参加だったくせに、当たり前のように常連面しているのを、誰も不思議に思っていないのが妙である。
しかも倉石君のことまで『兄貴』と呼んでやがる。今までは眼中にもなかったような態度だったのに、現金な奴だ。
空腹を満たすべく料理をジンジャーエールで流し込んでいた僕に、ワインに切り替えた先生が微笑みかけてくる。
「あの子も大したことなくてよかったよ。君と倉石君のおかげだね」
社交的女子のことを持ち出してから、先生はワインを一口含む。
「夏コミケには何度も参加してるって言ってたから、ああなるとは思わなかったです」
「その彼女と君の関係だけど……要するに『ケンカ友達』みたいなものなんだろう?」
予想外の指摘に喉が詰まりそうになった。ジンジャーエールを飲み直すと、一息吐く。
「なんていうか、あいつは結構口が悪いところもあって」
「君の態度を見ていると、そんな感じに思えたし、私の前では猫を被っているのもなんとなくわかってたよ」
さすがは先生だ。あいつの本質を鋭く見抜いている。
「そういうことを話すのは告げ口みたいで、だから今まで黙ってました」
「君達の関係はともかく、私にとってはいい読者だよ。ああいう子がいてくれると、励みになるからね」
再び先生はワインをすすった。
夏コミケが終わったという開放感で、さらに店内は盛り上がっていった。皆は最初に着いた席から移動して、それぞれの話題に花を咲かせている。
珍しくテンションの上がった先生の長話を、嶋村さんが笑顔を絶やさずに聞き入り、ワインを相手のグラスに注ぐ。
新島が絵舞さんから見つめられて、珍しく身を引いていた。あの様子だと、執拗に女装を勧めてくる絵舞さんに対してたじろいでいる……といった感じだ。
ともみさんがビール瓶とグラスを持って、僕の隣へ来た。自分でグラスに注いでから、グイッと飲む。
「……倉石君、変わったよな」
唐突な言葉に、僕は箸が止まった。
「『変わった』って、どこがです?」
「この店に来るようになった頃と比べて大分積極的になってきたし、今日みたいにすごく責任感のあるヤツとは思わなかったよ」
言われてみれば、初めて僕と出会った時の倉石君は、今よりもすっとシャイで自信なさげな態度だった。その頃の彼だったら、一緒に社交的女子を助けようなどとはしなかったかもしれない。
離れた席で二人組と話し込んでいる、倉石君の姿を眺めた。同人誌の話で盛り上がっているのか、ずっと三人で笑い合っている。
「僕も、今の倉石君はいいヤツだと思ってます」
「そうだろう? 君達を見てると、ボクは昔のことを思い出すんだ」
「高校時代のことですか?」
「母校の後輩だからってわけじゃないけど、倉石君は演劇部にいた同級生達に似てる部分があるんだ」
「男の娘に目覚めたきっかけですね」
「演劇部にはいろんな男がいたけど、以前の倉石君みたいに奥手だったヤツもいた……ていうか、むしろそういうのが多かったな。そんなヤツらでも、ボクが女装したら積極的になって、文化祭での上演に向けて協力してくれた。その後も、女装のボクと皆でデートした時は楽しそうに笑っていたし、そんな変化を見るのは、やっぱり嬉しかったものさ」
以前にも聞かせてくれた話だけど、そんな相手の変化が嬉しかったから、ともみさんは男の娘になっていったわけで、よほど心に残ったのだろう。
ともみさんが飲み干したグラスへ、僕はビールを注いでやる。
「倉石君がいい方向に変わっていったのは、僕がTSだからってことなんでしょうか?」
「確かにTSと男の娘は『外見は女で中身は男』という共通点がある。女の体をしたキミを見て、彼もときめきは感じているだろう。でも、それだけじゃない」
水滴のついたグラスを手に持ってから、ともみさんは思わせぶりな笑みを浮かべる。
「あの日、ずぶ濡れだった彼をこの店に連れてきてから、キミも変わっていったよ。王子様ゲームのテストをした時や、今回コスプレのキャラ作りを一緒にしてきたことも、その表れだ。違うかい?」
「そんなつもりは……」
否定はできなかった。僕だって、その自覚は十分にあるからだ。
ビールを飲んだともみさんは、グラスをテーブルに置く。
「演劇部のヤツらが文化祭で積極的になったのが嬉しかったから、その後の集団デートではもっと皆を喜ばせたくて、女装も念入りになったものさ。それでまた喜ぶものだから、次はもっと力入っちゃってね。卒業するまで、皆もボクもどんどん盛り上がっていったんだ」
「皆を喜ばせるだけでなく、ともみさん自身も男の娘になっていくのは嬉しかったんですね」
「女顔で悩んでいたボクが、自分をポジティブに受け止められるようになったからね。それがなかったら、今のボクもいないだろうな」
ともみさんの言葉は、TSである僕にも通じる部分がある。朝おんしてTSになった直後、『十数年間は女の体である』と告げられてから、それは仕方のないことだと消極的に受け止めていた。でも今の僕は、『TSになれてよかった』とまでは全面的に言えないけど、ささやかな喜びは感じている。そして倉石君と出会わなかったら、フェアリーパラダイスにおいて『王子様』として働いてはいても、コスプレまでしようとは思わなかったに違いない。
僕の内心を見抜いたのか、ともみさんがこう尋ねてくる。
「君だってボクと同様、相手と自分の変化に喜びを感じているから、これからも彼と付き合っていきたいんだろう?」
「倉石君と友達でいるのは楽しいですから」
「友達……か」
ともみさんは鼻の頭にしわを寄せて笑った。嶋村さんや絵舞さんと同じく、ともみさんまで僕達の関係を興味本位に面白がっているのかと邪推してしまう。
だがその後、ともみさんはわずかにシリアスな表情をする。
「もしかすると、キミ達の関係に何か言ってくるヤツらが出てくるかもしれない。キミがTSじゃなくて男の娘だったとしてもね」
社交的女子に、倉石君との関係を問われたことが思い出された。あの女はともかく、あれこれと難癖つけたい奴が現れるであろうことは、僕にも想像はつく。
「そういう経験をしたんですか?」
「ボクはないけど、他の男の娘から聞いたことがある。嫌な気分になるだろうけど、それでも彼と付き合っていきたいなら、それを貫くべきだ」
「貫くなんて、大げさですよ」
「いや、大げさに言うよ。それができなくなって、相手と別れた男の娘だっているからね」
「TSでも男の娘でも、付き合うのは当人達の自由なのに」
せっかくの打ち上げの席なのに、不条理な話を聞かされて気が滅入りそうになった。だけど、ともみさんは本気で僕達を応援したいという気持ちは伝わってくる。
「どんな関係であっても、君達が楽しいなら、それを大切にして欲しいんだ。まあ他人と一対一で交際したことがないボクからは、これ以上偉そうに言えないけどね」
笑顔を作り直したともみさんは、話を締めくくってから、残っていたビールを飲み干した。
テンションが下がりつつあった僕に、二人組がネット通信機能付きのタブレットを持って現れる。
「今、ヴァンタンさんにネットを通じて、王子様とともみちゃんの写真を送ってやったよ」
「あ、もう返事が来てる。早いな~」
二人組が見せてくれた画面には、ヴァンタンさんから返信されたメッセージが表示されている。
『私が最後に作ったコスで、心から楽しめたみたいでよかった。本当にありがとう!』
感謝の念を送られて、僕も胸が熱くなり、やっと楽しい気分を取り戻すことができた。
宴もたけなわとなったが、まだまだ皆の笑顔は弾けていた。
「あらあら、王子様の隣りにいる倉石君が、照れてるけど嬉しそうなのがよくわかるわ~」
嶋村さんが、二人組の撮影した画像を眺めながらニヤニヤしていた。そういうのが見たくて、二人組に公式カメラマン役を依頼したのだから、彼女としては満足といったところか。
先生が今度は絵舞さんを相手に、しみじみと何かを語りかけていた。絵舞さんも丁寧に相槌を打つ。
酔いの回ったともみさんが、身を乗り出して新島を口説いている。
「今日はあれだけボクと王子様のコスプレを目の当たりにしておきながら、まだキミは男の娘になろうと決意しないのかよ!?」
「俺は姉貴の男らしさを見習いたいだけですから……助けてください、姉貴~!」
新島の悲鳴が上がったが、僕は何も知らない聞こえない。
倉石君が残った料理を口にしていた。僕は隣の席に腰掛ける
「今日は、ありがとう」
「何が?」
「
コーラで流し込んだ後、倉石君は息を吐き出す。
「あれは君の判断が早かったから、俺は手伝っただけだよ」
「でも、感謝してる」
僕の言葉に、倉石君がいつものシャイな笑顔になった。
「君は今後もコスプレを続けるつもり?」
「今回はヴァンタンさんのこともあったし、君も手伝ってくれたからね」
「君がやるなら、また手伝うよ」
「それはいいけど、リクエストはあるかい?」
「特にないけど、やりたいキャラがいるなら、それをやればいいと思う」
「そうだな……◎◎なんてどう?」
伝説的存在である筋肉質の女装コスプレイヤーが演じていたキャラを挙げると、倉石君は少し戸惑うような顔をする。
「あの人の真似するには、筋肉が全然足りないんじゃ……」
「そこまでしないって。もっとカワイイ方向で行くさ」
「カワイイか……なら、▽▽の夏季限定コスは?」
▽▽や◎◎が出てくるソシャゲの◇◇には、夏の一定期間だけ表示される限定コスがあった。せっかくの提案だけど、僕には疑問がある。
「もう夏も終わるし、限定コスって水着ばかりじゃないか」
「そうだった。とっくに季節外れだな」
がっかりしていた倉石君の耳元に、小声でささやく。
「もしかして、さらけ出された僕の肌を見たかったのかい?」
耳まで真っ赤になった彼が、僕へと恨めしげな顔を向けてくる。
「君はそんなに俺を変態にしたいのかよ~」
「そっちが言い出したんじゃないか。そのつもりとしか聞こえないぞ」
「違うって! そうじゃなくて俺は……」
釈明しようとする倉石君の両目を、じっと見つめ返す。
「今の僕には、女の水着を着るだけの勇気や覚悟が足りない。コスプレとは比べ物にならないくらいだ。そこは理解してくれ」
「やっぱり恥ずかしいのか……そうだよな」
口では納得してくれたが、瞳に浮かんだ失望の色は隠しきれていなかった。再び僕は彼に耳打ちする。
「今年は無理だけど、いつかは君に水着姿を見せてもいい。それでどうだい?」
「わ……わかった!」
倉石君が鼻の穴を膨らませていた。しょうがないなあ……つい微笑みを誘われてしまう。
変化といえば最近の倉石君は、このように下心も垣間見せるようになってきたが、それは彼も男だから当然のことだ。もしかすると彼も常連の二人組のような『変態紳士』を目指しているのかもしれないけど、その域へと達するにはまだまだ修行が必要だと思える。彼がそうなれた時こそ、僕は女の水着姿を披露できるだろう。
それはさておき、倉石君と一緒に夏コミケに参加したことは、やっぱり楽しい出来事だった。この夏一番の思い出になることは間違いない。
倉石君は僕と出会っていい方向へと変化した。そんな僕も喜びを感じつつ、ポジティブになっていくのを自覚している。こんな風に変わっていけるのなら、今後少しづつでも仲を深めていきたい……心から願う僕だった。
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