第六十三話

 校庭は、強い太陽の光を照り返していた。まばゆさに目を細めつつ、昇降口へと入る。

 僕の下足箱の前では、取り巻き達がすでにたむろしていた。こっちの姿を認めると、全員が声を揃えて朝のあいさつをしてから取り囲んでくる。

「徳田さんが夏コミケでコスプレする話ですけど、私達にできることはない?」

「会場はものすごく暑いって聞きました。ですから先輩のために、お手伝いがしたいんです!」

 彼女達は自分なりに夏コミケの情報や噂を調べて、僕の心配をしているようだ。安心させるべく、笑顔を作ってみせる。

「その件については、僕はサークルに所属してコスプレすることになってる。ともみさんとか世話をしてくれる人もいるし、初めて参加する君達にそこまでさせたくないんだ。気持ちだけは受け取るよ」

 一応、倉石君のことは伏せておいた。彼の名前を出したら、彼女達が不満そうな態度を取ることが予想できたからだ。

 ある程度は納得してくれたようだが、それでも彼女達の表情には不安が残っている。

「だけど、やっぱり徳田さんの身体が心配だし……」

「じゃあ、差し入れに冷たい飲み物とか持ってってもいいですか? それくらいさせてください~」

「ありがとう、それは歓迎する。僕としては君達の方も心配だ。くれぐれも暑さで体を壊さないように。それと……」

 顔を上げると、奥の方から興味本位に眺めていた社交的女子に、皮肉っぽい視線を送ってやった。何人かが、その方角へと振り返る。

「彼女に君達の案内は任せてある。夏コミケには何度も参加してるらしいから、きっと大丈夫だとは思うけどね」

 社交的女子の姿を見た取り巻き達の間から、不穏な空気が漂いだす。

「前から思ってたんだけど……どうしていつも、あの子に道案内させるの? 徳田さんとは、そんなに仲いいわけじゃないのに」

「フェアリーパラダイスのことも、あの人を通してじゃなく、先輩から直接教えてほしかったですぅ」

 ここぞとばかりに、社交的女子へが飛んでいったのは笑えた。向こうにも声が届いたのか、顔が微妙に歪んでいる。

「バイトの件はともかく、コスプレに関しては彼女の方から『皆を連れてってやろうか』って、わざわざ言ってくれたんだ。言い出しっぺなんだから、責任取ってもらうのは当然だろう?」

 そう諭すと、最早彼女達も不平を鳴らさなくなった。

「初めてコスプレする僕を、君達が見に来てくれるのは嬉しいよ。当日は皆を楽しませたいと思ってるから、ぜひ期待してくれ」

 いわゆる『王子様』のイメージで語りかけてやった。彼女達の間から歓声やため息があふれ出す。

 こんな風に、近頃は『王子様』的態度を表すことにも慣れてしまったけど、そんな自分に対しての疑問が心のどこかにはある。取り巻き達に以前のような派閥争いをさせないためと割り切ってはいるが、元々の自分と矛盾していることは自覚せざるを得ないのであった。


 夏休みが近いこともあって、昼休みの教室には浮かれた気分が漂っていた。クラスメイト達が夏の予定について、はしゃいでいる声も聞こえてくる。

 食べ終えた弁当箱を片付けていると、社交的女子がそばまで来た。そのニヤついた両目には、好奇の色が浮かんでいる。こういう時は、何かを企んでいる証拠だ。

「あんたって、店で他校の男子と仲良くしてるみたいだけど、どういう関係?」

 倉石君のことを言ってるのだろう。この女が来店していた日に、後から彼が入ってきたことが何度かあり、その時の態度から目をつけていたらしい。余計な詮索をされたくないので手短に答える。

「友達だ」

「ふーん、舎弟だけじゃなく、男友達もいるんだね。意外だ」

 さらりと失礼なことを言いやがる。しかも新島のことまで口にしてきたから、ますます気分がささくれてしまう。

「僕だって学校以外にも友達はいる」

「どうやって知り合ったわけ?」

「答える必要を認めない」

「夏コミケには、彼も一緒に参加するんじゃないの? 先生のサークルに所属して……とか」

 勘の鋭い女だ。倉石君と僕の関係を暴いて、根も葉もない噂を立て、尾ひれを付けて触れ回るつもりか。

「例えそうだとしても、お前には関係ないだろう」

「私が夏コミケに取り巻き達を連れて行った時、コスプレしてるあんたのそばに彼がいたら、あの子達はどう思うかな~……ってね」

 一気に脅迫じみてきた。だがここで、この女の手に乗ってしまうのは危険だし、癪にも障る。

「彼女達にどう思われようと、彼とは友達だ。それ以外に何も言うことはない」

「ずいぶん強気ね。会場が修羅場にならなきゃいいけど」

 暑さではなく嫉妬で炎上するのを期待しているかのような物言いに、カチンと来てしまった。それでもこいつに対抗する最強の武器が怒気ではないことを、僕は経験で知っている。

「そういえば先生が、夏コミケに皆を連れてくるお前に対して、何かサービスしようかって言ってたっけ」

「ええっ、先生が!?」

 ふと思い出したかのように遊井名田先生の話題を取り上げたら、熱狂的ファンでもある社交的女子が、たちまち目を剥いてしまう。

「具体的に何をするかは知らないけど、お前がそこまでしてくれるんだから、先生も感謝してると思うぞ」

 おもむろに上目遣いで見上げてやると、彼女の口元が微妙に震えている。

「……し、しょうがない。先生のためにも、何事もなく彼女達を案内してあげないとね」

 おそらく社交的女子の脳裏では様々な感情が渦巻いていたはずだが、口から出てきたのは結局、僕と倉石君の関係に対する下衆な勘ぐりではなく、先生の期待に応えようとする献身的な言葉だった。

 力の抜けた足取りで去っていく彼女の背中を見て、僕は内心でほくそ笑む。やはり、あの女に対して先生の存在は切り札として通用する。だが名前だけ出して、目に見えるご褒美を与えないのも妙に思われそうだから、後で先生に何か小さなサービスだけでもしてくれるよう頼んでおこう。


 夜遅くなっても、街中には不快な熱気がこもり続けている。

 仕事帰りに倉石君と、久々にコンビニ前で落ち合った。話題になったのは、僕のコスプレを見るために、取り巻き達が夏コミケの会場までやって来る件だ。

 僕が彼女達から半ば熱狂的に慕われていることは、倉石君も知っている。そんな彼が、思いもよらないことを言いだす。

「彼女達が来ている時は、俺は君から少し離れていた方がいいのかもな……」

「何もそこまで気を使うことないって」

「それに、女の集団ってなんか苦手だし」

 元々がシャイな性格なのはわかっていたし、取り巻き達の邪魔をしたくないという倉石君なりの配慮なのかもしれないけど、そこまでされるとじれったさを覚えてしまう。

 それにまだ倉石君には打ち明けていないが、社交的女子が僕達の関係を興味本位で暴こうと画策している。彼が過剰にへりくだってしまうと、かえって付け入る隙を与えるようなものだ。あの女のことだから火の無いところに煙を立てようと、あらゆる着火剤と可燃物を持ち込むはずだし、そうさせないために僕だけでなく倉石君にも堂々としてもらわないと困る。

「今回、ともみさんが君をサークルに入れてくれたのは、君が必要だと認めたからで、それは僕だって同じだ」

「そう言ってくれるのは、嬉しいけど……」

 未だ自信なさげな倉石君を励まそうと、語気に力を込めてしまう。

「君がそばにいてくれるからこそ、安心して初めてのコスプレに臨む事ができるんだ。参加する前から、そんな弱気にならないでくれ」

「わかってる……けど、俺……」

「……まったく」

 いら立ち紛れにため息をついてしまった僕は、両手で倉石君の右手をつかんで引き寄せた。驚いてしまった彼の手を、ギュッと握ってみせる。

「照れ屋なのはいいけど、度を越せば卑屈だぞ。そんな君は見たくないし、これだけ言ってもまだわからないのか?」

 窓ガラス越しに、コンビニ店内から届く照明を浴びている倉石君の顔が、ひどく紅潮しているのがわかった。口を開けたままであえいでいた彼は、やがて表情を引き締め直して、こちらを見つめ返す。

「俺が間違ってた。そこまで言ってくれるなんて、その……ありがとう!」

 心からの感謝を受けて、僕も胸が熱くなってしまい、自然と笑顔が浮かんできた。

 そのまま倉石君の手をつかんでいたら、再び彼がわずかにうつむく。

「柔らかいんだな……君の手」

 ハッとしてしまい、やっと倉石君の手を離す。彼に活を入れたかっただけなのに、またしても僕はやらかしてしまった。そんな自分が恥ずかしくて、その場にいたたまれない。

 倉石君は自分の手のひらを顔に引き寄せ、マジマジと見つめている。

「女に手を握ってもらえたなんて、初めてだ」

「女って………体はそうだけど」

「いや、君がTSだってわかってるし、そういうつもりじゃなくて……」

「こっちこそ、いきなりあんなことして……」

 僕達はお互いの顔を見ることもできなくなり、言葉を失ってしまう。極めて湿度の高い、蒸し暑い空気だけが、そこにあった。

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