第六十四話

 店内では、女子達のささやきあう声や含み笑いが途切れることなく聞こえてくる。レジ近くのテーブル席に座るサマーセーターの客が片手を上げ、僕は追加の注文を取りに向かう。

 夏休みに入ったことで、フェアリーパラダイスには高校生や大学生といった若い客が多く訪れるようになっていた。梅雨の最中だった頃と比べても大分客足は伸びており、張り合いがあっていいことではあるけれど、わずかに疲れを感じることもある。

 八時を過ぎると、客はあらかた帰り、店はやや静けさを取り戻す。常連の二人組を絵舞さんがお相手している間に、テーブルに残された空のカップやグラスなどを片付ける。厨房へ運んでいくと、ともみさんが食器洗浄機から洗い終わった食器類を取り出していた。

「今夜は洗い物が多くて大変だ」

「ここまで忙しくなるなんて思わなかったですね」

「疲れるとは思うけど、夏コミケに向けて体力は温存しておきなよ」

「はい、気をつけます」

 今度は僕が洗浄機に食器をセットした。厨房の奥では上堂さんが黙々と鍋を洗っている。ともみさんは皿の縁に残った水滴を丁寧に拭き取りつつ、棚へと並べていく。

「ところで夏休みの宿題は済ませたかい? 夏コミケの後で慌てて片付ようとしたら間に合わなくなった、なんてことにならないようにね」

「大丈夫です。今日の昼間に倉石君と図書館で勉強して、ほとんど済ませましたから」

「そんな所でデートしてたんだ? 二人とも真面目だな」

「真面目も何も、勉強ですから」

 宿題を一緒に取り組んでわかったことだが、倉石君は全般的に学力が優秀で、僕の方が教えてもらうばかりだった。確かに自分でも学力は低い方だと自覚はあったが、これほどまでに彼と差があるとは思わなかった。

 感心する僕に対し、自分の成績は平均より少し上なだけだと、いつもの倉石君らしく謙遜していた。どうやら僕が通う舶用高よりも倉石君の所属する森野宮高の方が、偏差値というか学力レベルがはるかに高いらしい。

 そのことを話すと、ともみさんが我が事のように嬉しがっている。

「さすがボクの後輩だ。母校の先輩として鼻が高いな」

「ともみさんも、在学中は優秀だったんでしょう?」

「もちろん……と言いたいけど、ボクは演劇部の活動にハマってたから、成績は底辺だったけどね」

 本当にその通りだったのか、それとも五年後輩の倉石君と同様に謙遜してるのかは、よくわからない。けど、今まで接してきた限りにおいて、ともみさんは知識が豊富で仕事はできるし、気転も利く人だ。だから学校の成績に関係なく、信頼できる人はいるのだと僕は思えるようになった。


 洗浄機のスイッチをオンにして、再び店内に入る。ちょうど遊井名田先生が来店してきたので、出迎えに行く。

「お帰りなさいませ、先生」

「来たわよ」

 自ら予約席に着いた先生が、おしぼりで手の甲にかいた汗を拭き取った。ともみさんが『いつもの』を用意するべく厨房に入っている間、そのまま僕がお相手を続ける。

「先日、ヴァンタンさんがここに来たそうだけど、いい人だったでしょう?」

「はい。色々と励ましていただいた上、面白い話も聞かせてくださいました。夏コミケの当日に、わたくしのコスプレをお見せできないのは残念です」

「まあ仕方ない、家庭の事情だからね。元気でいれば、またいつか会えるよ」

 今回は成り行きでコスプレをする羽目になったものの、今後も続けるつもりはない。けれど、コスプレにまつわる打ち明け話を聞くために、またヴァンタンさんとは会ってみたいと思う。

 さらに話題は、夏コミケの新作小説になった。ティアで販売した小説の続編だと聞いていたが、まだ正式な題名を教わっていなかった。それを尋ねると、先生は脇に置いてあったリュックから一冊のノートを取り出し、何枚かめくってからこっちに見せてくる。


『泣き虫だった私が乱世の悪役令嬢に転生してから十年を経て、今後の十年間も戦争に勝ち抜かなくてはなりません~今度こそ誰か私に転生リバースしてよ!』


 それが先生の新作小説の題名だった。またしても恐ろしく長い名前である。後で倉石君に説明する時も、何度か繰り返さなくてはならないだろう。

 初めて出会った時のように、全部の粗筋までは語ってくれなかったが、代わりに今後の構想について先生は打ち明けてくれた。曰く、この小説は三部構成で、今回の小説は二作目に当たり、年末に行われる冬コミケで完結編となる三作目を発行したいと考えているとのことだ。

「それに向けて、今からネタ集めに入ってるの」

 先生のノートには、すでに何ページにも渡って、様々な文章が走り書きされてあった。先生の小説がどのような完結を迎えるかは気になるけど、その前に夏コミケでの新作が楽しみだ。ティアで出した小説も面白かったから、期待ができる。

 期待といえば、社交的女子も同様だろう。先日の昼休みでのやり取りを思い出すと、あの女の口を封じるためにも、僕がついた嘘を真実にしなくてはならない。そこで先生に、僕のコスプレを見たいと考えているが夏コミケに参加経験のない取り巻き達のために、彼女が会場までの案内を買って出たと説明する。

「あの子はホントいい読者だし、そこまでしてくれるなら、何かオマケしてあげないとね」

「ありがとうございます。彼女も喜ぶことでしょう」

 社交的女子の本性をまったく知らない先生は、心底から好印象を抱いているようだ。僕としては倉石君のことで、あの女に痛くもない腹を探られたくないのだから、この程度の根回しですむなら安いものだ。

 やがてともみさんがシナモンミルクティーを運んできた。真夏でも先生はアイスではなく、ホットで嗜んでいる。シナモンの香りが辺りに漂う。


 先生のお相手をともみさんに任せると、今度は常連の二人組へおもむいた。

 よっしーさんとオカチャンさんは夏コミケに際して、それぞれデジカメやビデオカメラを持ち込んで、ともみさんや僕のコスプレを撮影すると息巻く。

「ヴァンタンさんのためにも、二人のイケてる画像をいっぱい撮ってやるよ」

「店長さんと絵舞さんに報告するためでもあるんだから、オレ達の責任は重大だな」

「お二方は、まるでフェアリーパラダイスの公式カメラマンですね」

 この他に、彼らの主目的である『同人誌の大量購入』もあるわけだから、当日は僕達よりも大忙しのはずだ。タフそうな二人のことだから、どちらも完璧にこなすことだろう。

 そこへともみさんも入ってくると、コスプレの話となる。

 ともみさんは自宅にいる間、キャラになりきるために鏡の前でポーズのチェックをするだけでなく、発声練習や筋トレにも力を入れているという。

「演劇部だった時から、こういう練習を続けてきたからね。おかげで体力はついたし、コスプレにも役立ってるから、一石二鳥だよ」

 他にも顔や肌を整えるべく、エステサロンにも通っているそうだ。ビギナーである僕とは違い、そこまでコスプレに力を入れているともみさんの姿勢には、感銘せざるを得ない。それは常連の二人組も同様みたいだ。

「『ローマと男の娘は一日にしてならず』だな。それを維持するのも、並大抵の努力じゃできないわな」

「ともみちゃんと王子様の努力に報いるためにも、いい画像を撮らなくては」

「わたくしの場合は、努力というほどではありませんので」

 本格的に取り組んでいるともみさんと比べたら、僕のやってることは『ごっこ遊び』程度だろう。持ち上げられると、少し恐れ多い。


 やたらと忙しかった今夜も、そろそろオーダーストップが近づいていた。そんなタイミングで、新島がズカズカと入ってくる。

「姉貴、▽▽を最終段階直前まで育成できました。もう少しでレベルアップできます!」

「もうそこまで行ったのですか?」

 スマホを手に入れてからまだ一ヶ月も経ってないのに、そこまで育成していたとは思わなかった。僕の場合、二ヶ月近くかかったのだから、こいつはかなりやり込んでいたらしい。

「王子様に見せたくて来たわけか。なら皆で見届けてあげよう」

 ともみさんだけでなく、常連の二人組も身を乗り出してきた。注文を取りに来た絵舞さんにチョコパフェを注文してから、新島はスマホの◇◇アプリを起動させる。

 僕達が見守る中、新島はスマホの画面を操作していく。ゲーム内では▽▽の戦闘シーンが繰り広げられている。やがて▽▽が敵キャラを倒して戦闘が終了すると、ステータス画面に移った。経験値が入り、『Level Up!』の表示が出ると、新島がガッツポーズをとる。

「やった、やりました! 夏コミケ前に間に合ってよかったぁ!!」

「おめでとうございます、お坊ちゃま」

 僕に続いて、ともみさんや二人組もそれぞれに祝福の言葉を投げかけていた。

 最終段階にレベルアップした▽▽の姿を眺めつつ、新島は喜びもひとしおだ。

「夏コミケにはこれと同じ姿を姉貴がコスプレするから、どうしてもそれだけはクリアしときたかったんです!」

「そこにだけ力を入れていたということは、イベント攻略はほとんど進んでいませんね?」

「これだけが目当てだったっす」

 無邪気な新島の言葉に、ともみさんが呆れ気味に笑う。

「もったいないな。そういうところも楽しまないと」

 ゲーム攻略となればともみさんの出番だが、今夜はもう時間がないから次の機会に譲る事になった。

 届いたパフェをパクつく新島に対し、改めて僕が夏コミケへの一般参加方法を確認したら、気楽な答えが返ってくる。

「参加証を売ってる店で一番安いのを買って、十二時半から入場すればいいんですよね」

「値段だけではなく、日付も確認してください。わたくし達がコスプレするのは二日目ですので、『二日目午後入場』用の参加証が必要です」

「わかりました。姉貴の晴れ舞台、しっかり見届けます!」

 こっちを見つめる新島の瞳の輝きには、取り巻き達にも共通する彩りがあったが、彼女達以上にウザさが感じられてしまう。


 本日の、フェアリーパラダイスの営業は終了した。

 客のいなくなった店内を、僕は絵舞さんと一緒に、モップを使って床掃除を始める。

「実は私も王子様やともみさんのコスプレを、実際に見てみたいと思ってるんです」

「そうなったら嬉しいですけど、店での打ち上げの準備があるから、仕方がないですね」

「常連のお二方が撮影してくれた画像を、楽しみにしてます。くれぐれもお体は大事にしてくださいね」

 オタクなネタにあまり興味のない絵舞さんから、これほど気遣ってもらえると、疲れた気分が少しは癒やされていく。

 その後、着替えを終えて店から退出しようとしたら、嶋村さんが呼び止めてくる。

「夏休みに入ったからって、夜ふかしはほどほどにするのよ。おしゃべりが楽しいのはわかるけど」

 今夜も倉石君と会うことを、すでに見透かされていた。昼間も一緒に勉強をしたけれど、それとは別に、やっぱり彼とはゲームの話がしたいのだ。

 一応は頷いた僕へ、さらに妙な追い打ちがかかってくる。

「それと夏は誘惑の季節でもあるから、理性ある行動を心がけるようにね」

「誘惑……って、何言ってるんですか?」

 わずかにムッとしたが、嶋村さんの方は余裕の笑顔だ。

「あたしは彼を信頼してるけど、あなたの方が心配よ。あなたは時々、思いも寄らない行動を取るから」

 この前、いきなり倉石君の手をつかんでしまったことを知っているとでもいうのか。それ以外でも、かつて王子様ゲームのテストで彼を相手に『やらかしてしまった』という前科もあるし、どうも嶋村さんからはそういう目で見られているようだ。

「……いくらTSだからって、そこまで興味本位な真似はしません」

「それでいいのよ。彼とは時間をかけてでも、少しづつ仲を深めていくといいわ」

「そんなに僕達の関係が気になりますか?」

 尋ねてみたが、彼女は素直に答えてはくれず、微妙に宙を見上げる。

「青春っていいわね……アラサーのあたしには、遠い日の花火だから」

 何か含みのある言い方だ。もちろん嶋村さんにも十代の頃はあったはずだが、今の僕や倉石君と重なり合うような部分があったということだろうか。まあ、それを聞いたところでお説教混じりの長話になるはずだから、ここで切り上げることにする。

 倉石君のはにかむ顔を思い返し、僕はドアを開くと、店の外へと踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る