第六十一話

 窓を叩きつけるように、激しい雨が降り続く。夜風の吹きすさぶ音まで店内に届いてくる。

 そろそろ梅雨明けも近くなり、ほぼ毎日が豪雨だ。こんな天気ではフェアリーパラダイスの客足も途絶えがちで、現時点では常連の二人組だけが店内にいる。

 僕は何をするでもなく、レジの隣で控えていた。ともみさんと常連達が、新規ソシャゲのシステムやキャラの話をするのをぼんやり聞いている。

 こんな雨模様だと、倉石君は来店しないかもしれないし、仕事帰りに立ち寄るコンビニにさえ来てくれない気もする。一日でも会えないのはつまらないが、寝る前にスマホで連絡ぐらいはしておこう。

 新島は……別に雨でなくても来なくていい。せいぜい▽▽のレベルアップに励んでいればいいのだ。

 休憩を終えた絵舞さんが更衣室から出てきた。少し困ったような顔で僕に話しかける。

「仕方がないことですが、お客様がいらっしゃらないと、張り合いがありません」

「梅雨が開けたなら、また忙しくなるでしょう」

 雑談していたら、出入り口のドアが開いた。僕達は姿勢を正すと、うやうやしく出迎える。

「お帰りなさいませ、御主人様」

「ああ、ひどい雨。傘差しててもずぶ濡れだ」

 小柄で小太りな体格をした、中年の女性客が一人、嘆きながら入店してきた。彼女が着ていたブラウスやスラックスには、ところどころに雨がしみている。

 絵舞さんがタオルを取りに、更衣室へ入っていった。僕が女性を席に案内していくと、ともみさんが驚いた声を上げる。

「ヴァンタンさんじゃないですか!?」

「こんばんは、ともみちゃん」

 そのやり取りから、この女の人が、僕が夏コミケでコスプレする▽▽のコスを作ってくれる、衣装製作サークルの『ヴァンタン』さんだと初めてわかった。

 タオルを絵舞さんから受け取ったヴァンタンさんは、服に染み込んだ水気を拭き取りながら、ともみさんへ笑顔をのぞかせる。

「バイト先のシフトの都合で、今日しか休めなくてね。サークルの仕事も早めに切り上げて、急いで来たのよ」

「せっかくのお休みなのに、しかも大雨の中、わざわざ来てくれるなんて、本当にありがとうございます」

「実を言うと、私のコスを着てくれる人に、一度会っておきたくて」

 どうやらヴァンタンさんは、僕に興味を抱いていたようだ。自分が最後に手掛ける▽▽のコスを着るわけだから、そう考える理由もわかる。でも、どうせなら夏コミケ当日の、コスプレした僕の姿を見に来てくれたらいいはずなのに、あえて今夜訪れたのは何か事情でもあるのだろうか。

 ヴァンタンさんは、アイスオレとワッフルのセットを注文した。その後、ともみさんから僕のことを、彼女に紹介してもらう。

「彼が▽▽のコスプレをする、『王子様』です」

「初めまして、よろしくお願いいたします」

 一礼した僕の全身を、ヴァンタンさんは感心したような目で見上げる。

「話は聞いてたけど、ホント背が高いね。これならコスプレ映えするよ」

「ありがとうございます。せっかく作製していただいた以上、微力ながらも務め上げたいと存じます」

「任務じゃないんだから、そんな堅苦しく考えなくたっていいんだよ」

「ですが最後の作品を、わたくしのようなTSが担当するのは……」

「そんなことはどうでもいいの」

 話を遮ってヴァンタンさんが言い切った。

「相手が誰であろうと、私の作った衣装でコスプレを楽しんでくれれば本望なんだから、余計なことは考えないで。わかった?」

「申し訳ありません」

 確かに僕も少々卑屈だったみたいだ。詫びを入れるとヴァンタンさんも表情を和らげる。

「ともみちゃん以外にも、女装や男装のコスを作ってきたし、むしろそういった人達相手の方が面白かったりしたんだけどね」

 ヴァンタンさんによると、数年前に男性コスプレイヤーからの依頼で、あるソシャゲの女キャラのコスを作ったことがあったという。長身で筋肉質な体格をしていた彼が要望したのは武闘派タイプの女キャラで、そのギャップが面白くてヴァンタンさんも力を入れて作成したそうだ。

「ボクもその人のコスプレを会場で見かけた時は、衣装の隙間から見える日焼けした筋肉にインパクトあったし、注目の的だったね」

 ともみさんも当時のコミケにコスプレで参加しており、ネットでも彼のコスプレ画像が大量に出回っていたと教えてくれる。

 ワッフルをパクパクと食べ、アイスオレで流し込みつつヴァンタンさんは、コスプレにまつわる思い出話の数々を打ち明けてくれた。長年関わってきただけあって、興味深くて面白いエピソードばかりだった。よく通る声とハキハキとした語り口で、僕だけでなく常連の二人組も、さらにオタクなネタにはあまり興味のない絵舞さんまで聞き入ってしまったくらいだ。

 場が盛り上がる中、絵舞さんが質問を投げかける。

「ヴァンタン様が、コスプレの衣装製作に関わるきっかけは何だったのでしょう?」

「そもそも私は、コスプレそのものに興味なかったんだよね」

 ヴァンタンさんは二十歳の頃、服飾の専門学校に通っており、将来は日常的な衣料品の製作に携わることを志していたそうだ。ある時、ヴァンタンさんの友人でコスプレ衣装製作のバイトをしていた人が病気になり、代わりに仕事を引き受けることになったという。そのコスを着た人が出来栄えに感動して、評判がさらに評判を呼んで、以後もヴァンタンさんには依頼が舞い込むようになった。

 卒業したヴァンタンさんは、衣装製作サークルに所属してコスプレ作製を手掛けていくことを選択した。サークルでの仕事がない時は、スーパー等でバイトをして食いつないできたそうだ。

「日常着るような服を作ることを希望していたはずなのに、今や非日常的なコスプレ衣装を製作することになるなんて、二十歳の頃は思いもしなかったけどね」

 やや皮肉めいた笑いでヴァンタンさんは昔話を締めくくった。

 最初に目指していたこととは違ってしまっても、それまでに学んだことは生かされているのだし、何より仕事への評判は高いのだから、ヴァンタンさんも今までの人生をネガティブに捉えているわけではないのだろう……僕にはそう感じられた。

 注文したアイスオレの氷がほとんど溶けかけた頃、ヴァンタンさんは一気に飲み干してから、僕に顔を向けて激励する。

「一発芸でもウケ狙いでも、コスプレは楽しんだもの勝ちなの。繰り返しになるけど、あなたも楽しめばいいんだし、そうなれば私も嬉しいんだよ」

「はい。お気遣いしていただき、ありがとうございます」

「それは大丈夫ですよ。彼には相方というか優秀なパートナーがいますから」

 含み笑いのともみさんが倉石君のことを説明すると、ヴァンタンさんが愉快そうな表情になっていく。

「二人三脚でキャラ作りしてるんだ? いいね~、青春してるじゃない!」

「いえ、彼の▽▽のイメージを壊したくないだけですから……」

 一応は弁明をしてみたが、ヴァンタンさんの誤解をどれだけ修正できたかは不明だ。

 ヴァンタンさんは▽▽のコスを今月中に完成させて、遊井名田先生のサークルに届けると約束した。サイズが合わなかったりした場合は、すぐに連絡してほしいと言い、できる限り対応するとまで請け負ってくれる。

「来月になれば、退職するバイトの引き継ぎや、実家への引っ越し準備で忙しくなるから、夏コミケ当日は会場入りできないの。せめてあなたのコスプレ姿を、この目で見てみたかったんだけどね」

「それは残念です」

 今夜ここへ来た理由がやっとわかって、心からそう言った。以前に先生から、『ヴァンタンさんは親の介護のために引退する』とは聞かされていたが、そこまで多忙だとは知らなかった。そういう事情なら仕方がないとはいっても、自分が最後に手掛ける衣装を目の当たりにできないのは忍びないことだろう。

 そこで常連の二人組が名乗り出る。

「代わりにオレ達が、当日の王子様とともみちゃんのコスプレを撮影しておきます」

「その後で、ネットを通してヴァンタンさんにも送信しますから、安心してください」

「そうしてくれるなら嬉しいよ。ありがとう」

 二人の約束に、ヴァンタンさんが感謝の意を表した。

「来月には実家に帰るから、もうここにも来れないかもしれない。けど今夜は、あなたに会えてよかったって思ってる。それじゃ元気でね」

 閉店間際、見送る僕に声をかけてから、ヴァンタンさんは退店していく。湿気の高い梅雨の最中、カラッとした爽やかさが印象に残った。


 翌日は朝から曇天ながらも、夜まで雨は振らなかった。梅雨の合間を縫うようにして、社交的女子達が来店する。

 今日から店内に、僕とともみさんが夏コミケにおいて、コスプレで参加することを告知するポスターが掲示された。目ざとく見つけた社交的女子が、薄ら笑いを浮かべている。

「へえ~、今度はコスプレするんだ? 撮影してネットに載せて、学校の皆にもバラしてやろうかな」

「コミケにおいて、レイヤーの同意がない撮影はできません」

「あれ、そうだっけ?」

 意外そうな顔をする彼女に、コミケにおけるコスプレ撮影のルールやマナーを説明した。

「勝手にネットへ転載するのも迷惑行為に当たります。ご存じなかったのですか?」

「コミケには何度も行ったけど、コスプレにあまり興味なかったから知らなかった」

 どうやらこの女は、先生の同人誌を買うことしか頭になかったようだ。妙なところで間が抜けていやがる……すると、彼女は何かを思いついたような表情をする。

「なら取り巻き達も会場に連れてってあげようかな。あんたがコスプレするって知ったら、喜んで押しかけるでしょうね」

 こいつ、修学旅行とかに付いてきた、旅行会社の添乗員にでもなったつもりか。取り巻き達を引き連れて、小旗を持って会場内を歩く彼女の姿が、勝手に想像されてしまう。

 いずれにせよ社交的女子に知られたからには、明日にでも取り巻き達に情報が伝わるのは火を見るより明らかだ。彼女達のことだから、『来るな』と言っても会場に足を運ぶだろうし、それ以前にコミケへの参加方法も知らないはずだ。だったら、この女に案内させた方がまだマシかも知れない。

「彼女達を案内していただくのは結構ですが、夏コミケにおける暑さ対策には注意を払ってくださいませ。それくらいならお嬢様でも、おできになりますよね?」

「こちとら夏コミケには何回も参加してるのよ。あの子達を熱中症にさせたりしないから、安心してよね。王子様」

 嫌味な態度だが、そこまで豪語するからには自信があるのだろう。お手並み拝見といこうじゃないか。

 ヴァンタンさんからは『コスプレは楽しんだもの勝ち』と励まされた。もちろん、そのつもりで臨みたいし、倉石君と長時間一緒にいられることだって嬉しくはある。だが新島に加えてこの女と、さらに取り巻き達に囲まれて、どれだけコスプレを楽しむことができるのか……さらなる不安が僕の心をよぎっていく。

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