第四節 TSvs店長
第四十三話
忙しかった仕事も終わり、フェアリーパラダイスから退出した僕は、倉石君が待っているコンビニの前まで夜道を歩いている。
先日からソシャゲの◇◇で新規イベントが開始していた。早速彼も手を付けているだろうから、攻略の情報交換がしたかったのだ。
遠くにコンビニが見えてきた。倉石君らしき人影も立っている。歩み寄ろうとした時、記憶に残る香水の香りが漂ってきた。
「仕事帰り? お疲れ様~」
ニヤケ顔の広夢さんが、目の前に立ちふさがった。しかも今夜はアルコールの匂いも混じっていて、酒を飲んでいたのがわかる。
なんでこんな時に……せっかく倉石君とゲーム話がしたかったのに、思わぬ邪魔が入って気分は台無しだ。
「今日はいい日だわ。しかも、あなたにまで会えるなんてね」
ハスキーな声の中に、浮かれたような響きが感じられた。思いっきり嫌味な視線を相手に送りつける。
「ずいぶんご機嫌ですね」
「そりゃそうよ。私の後釜になってもらおうと、以前から声をかけてた人に、『スカウトに応じる』って返事をもらったから」
「はあ……そうですか」
「他にも、ゲイバーに勤めたことはないけど、そういう店で働きたいっていう男の娘も見つかったし、これで私が男に戻っても、店に迷惑かけずにすむわ」
一安心したかのように、広夢さんは酒臭さの混じった息を吐き出す。
「結局、うちじゃなくて他の店から引き抜いたんですね?」
「やーねぇ、元からそんなつもりなかったわよ」
広夢さんによると、スカウトに応じたニューハーフも、ゲイバーで働きたいという男の娘も、今はどこの店にも所属していないフリーの状態であり、最初からそういう人達を対象に声をかけていたとさえ言った。
しかも、引き抜き云々の話を持ち出したのはそっちの方で、自分から話したことはないとまで明言する。
「私は『人を探している』とだけ、言ったはずよ。疑うなら、この前録音した話を聞き返すといいわ」
ほろ酔い状態ながらも、広夢さんは自信あふれた態度である。
思い返せば、確かにあの夜、僕の方から引き抜きの話題を出したのは事実だ。けど、あの時は相手が何を企んでいるのかわからなかったので、最初に言っておくべきだと考えてのことだった。
明るいブラウンのロングヘアを、広夢さんが煩わしげにかき上げる。
「……私、あなたとはTSの話がしたいだけなの。でも、あなたは私を警戒している。おそらく、あの店長さんから釘を差されたんじゃないかしら?」
広夢さんが図星を突いた。嶋村さんから注意を受けなかったら、僕もここまで相手を疑わなかったかもしれない。
「でも、あなたがそこまで忠誠を誓うくらいだから、あの人にも興味が出てきたわ。誤解も解いておきたいし、今度あいさつにうかがうわね」
唐突に言われて、僕は面食らった。疑惑を抱いているはずの相手に、わざわざ会いに来るなんて、どこまで本気なのか測りかねるものがある。
絶句している僕の前で、広夢さんはコンビニの方へと振り返った。相手の肩越しに、こちらを伺っている倉石君の姿が見える
「あら、ボーイフレンドがお待ちかねだわ。じゃ、店長さんによろしく~」
不敵というより、あの社交的女子を思い起こさせる軽薄な口調で微笑みつつ、広夢さんは僕の前から去っていった。その後で、しびれを切らした倉石君が足早に寄ってくる。
「あの人と、何かあったのかい?」
気遣うような声に、僕は重苦しく息を吐き出す。
「あの人……TSなんだ」
「えっ? あの人だったのか……」
信じられないような表情を、倉石君はしていた。
「まさか、今夜会うとは思わなくて」
「あんな派手な人が……何ていうか、君とはタイプが全然違うな」
「相手は大人だからね。何もかもが違うさ」
嫌な予感を覚えつつ、そう吐き捨てた。そんな僕達の間を、生ぬるい夜風が通り過ぎていく。
翌日、開店前の更衣室で僕は広夢さんのことを、ともみさんと絵舞さんに相談してみた。あれから一人で悩んではみたものの、良い答えは見つからなかったので、二人に話すしかなかったのだ。
メイク途中の絵舞さんは、困り気味な笑顔で僕の話を聞いていた。
「その方が本当にいらしたら、嶋村さんは激怒なさるでしょうね」
「そうなるのは明らかですから、どうしたらいいかと……」
「あいさつと言うなら、代わりに私がお話を聞きたいところですけど、そういうわけにもいきませんね」
絵舞さんの場合、話を聞くというより広夢さんへのインタビューになりそうな感がある。何故か『絵舞の部屋』という、謎の言葉が思い浮かんでしまう。
メイド服に着替えたともみさんには、こうたずねてみる。
「これは嶋村さんに対する、あの人の罠なんでしょうか?」
「うーん……その人は人手も見つかって、引き抜きする理由もなくなったんだから、あいさつに来たいっていうのは、別の思惑がありそうな気もするな」
顎に指を当てて、ともみさんは考え込む表情をした。
「嶋村さんが疑ってるのを知ってて、それでも会いたいと言うのは、ケンカ売ってるようにしか思えなくて」
「確かに世の中には、わざと人の悪い態度をとって、相手を怒らせて喜んだり、他人を観察するための手段にするような人もいるけど、わざわざ乗り込んでくるくらいだから、罠を仕掛けたいっていうのとは違うのかも」
「何ていうか……神経とかメンタルが、鋼鉄でないとできないことですよね」
昔は引きこもりだったと言っていた広夢さんが、そこまで図太くなれたのは、ゲイバー以外にも様々な職業で働いてきた経験によるものなのか……とさえ、考えたりもした。
手早くメイクを済ませたともみさんが、ピンク色のウィッグを被る。
「これはあくまでボクの考えだけど、その人は店長と会うことで、相手が怒るのを見越した上で、腹を割って話し合いたいと思ってるのかもしれないな」
「前に言ってた、『相手を騙すのに、わざと喜びそうなことを吹き込んで信頼させる』のと、逆のパターンですね」
「そうさ。怒ることで感情がむき出しになって、綺麗事じゃない本音がさらけ出されるからね。ただし、このやり方は一つ間違えたらケンカになってしまうし、信頼を得るための手間暇もかかる。それを覚悟で来るなら、その人はそれだけ真剣だということだね」
この時思ったのは、広夢さんは僕に対しても、そのようなやり方をしかけてくるかもしれない……ということだ。あの人を相手に、どこまで平然としていられるか、あまり自信はない。
「ともかく、嶋村さんには前もって説明して、もし相手が来たら冷静になるように話しておきます」
「そうだね。いきなり会ったなら、こないだみたいに逆上してしまうかもしれないから」
ともみさんの同意を得ると、僕はネクタイを締め直す。
やがてメイクを終えた絵舞さんが、感心したような口調でこう言った。
「それにしても、『相手を喜ばせるのが詐欺の始まり』で、『相手を怒らせることが信頼に繋がる』というのは、なんだか逆説的ですね」
すると、ともみさんがこの前と同じように、口元を釣り上げて笑う。
「エンターテイメントの世界にはこういう格言がある。『成功の秘訣は、人々を怒らせることにある』……とね」
「そんな言葉が……それはSNSとかの炎上商法のことでしょうか?」
「それも一つの方法だね。怒らせることだってレベルや個人差はあるわけだから、そこを見極めるのは大事だけど」
また一つ、ともみさんからエンターテイメントの知識を授かってしまった。これがフェアリーパラダイスにおける、僕の仕事に役立つのかどうかは、まだよくわからないけれど。
「コーヒーを飲みましょう」
休憩時、嶋村さんが例によって独り言をつぶやきながら、自分だけのコーヒーを持って更衣室に入ってきた。
こっちとしても、広夢さんのことを話しておくのにいいタイミングだが、まずは相手からの話を聞いてみる。
嶋村さんが持ち出してきたのは、『王子様ゲーム』に関する話題だ。社交的女子一人を除いた女子達には好評だったし、そろそろ他の客にもポイント満点時のサービスとして提供しようと考えているらしい。
嬉々としてプランを語る嶋村さんの感情に、水を差すのは悪い気がした。それでも言っておかなくてはならないわけで、話が一段落したところで、こう切り出す。
「あの、例のTSの人なんですけど……」
「……何かあったの?」
嶋村さんの笑顔が凍りついていた。思わずゾッとしてしまう。
「あの人は……嶋村さんの誤解を解きたいから、あいさつに行きたいと言ってました」
「なんですって!?」
嶋村さんは目をむき出しにして椅子から立ち上がった。案の定というか、完全に怒り心頭だ。
「どの
「落ち着いてください。何も今すぐ来るわけじゃありませんから」
なだめつつ、なんとか相手を再度座らせた。そこから、ともみさんと相談した時の話を説明する。
「……向こうが何を考えているにせよ、冷静になってください。でないと、相手のペースに巻き込まれますよ」
「そうね……他のお客様がいる前で、粗相はできないわ」
落ち着きを取り戻した嶋村さんは、深く息を吐き出した。しばらくの間、僕達の間に無言が続く。
そろそろ休憩時間も終わろうとした頃、嶋村さんがたずねてくる。
「あなた、あの人を信用してるの?」
「完全に信用はしてません。でも、同じTSの僕に同情してくれたし、全くの悪人でもないような気もします」
「そうやって優しいところを見せるのも、罠かもしれないのよ」
嶋村さんはそう言うのだが、あの夜のファミレスで広夢さんと話をした時に、僕に向けられた哀れみは嘘じゃないと思いたかった。
絵舞さんと交代するために立ち上がった僕を、嶋村さんが見上げる。
「わかった……そんなにあたしと話がしたいなら、相手の言い分だけは聞くことにするから」
「……はい」
僕の返事を聞いた嶋村さんは、残っていたコーヒーを飲み干す。
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