第十五話
研修期間に入った僕は、男の娘メイドとしての店内デビューを目指し、店長の嶋村さんからマンツーマンで指導を受ける事になった。
最初に説明されたのは、このフェアリーパラダイスという店は『男の娘がメイドとなって、来店した客を『御主人様』として奉仕する屋敷である』というコンセプトで成り立っていることだ。
だから、客が入店した時は屋敷に帰ってきたということで『お帰りなさいませ』と出迎えて、退店する際には外出すると見なして『いってらっしゃいませ』と送り出すのが、正しいあいさつだと教わる。
客に呼びかける際は『御主人様』が基本だが、特に年配の男性客には『旦那様』と言い換えてもよい。その方が威厳があるから、というのが理由だ。子連れの客がいた場合、子供に対しては『お坊ちゃま』または『お嬢ちゃま』と呼ぶようにとも言われる。そこで僕はたずねてみた。
「僕より年下のお客様が一人で来た時も、そう呼んでもいいんでしょうか?」
「そんなお客様は今までいなかったけど、まあ高校生以下だったら、それでいいわ」
正直なところ、男の娘メイド喫茶なんてマニアックすぎるから、今後も子供が一人で入ることはありえないだろうとは、僕も思っている。
放課後は学校から店まで直行し、土日も開店前から入店して、研修を受ける。嶋村さんは時に厳しく、情熱的になって教育してくれた。僕だって、ここ以外に働ける場所がないとわかっているから、真剣になって学ばざるを得ない。
こうして僕は、男の娘メイド全員に共通する礼儀作法を、嶋村さんから叩き込まれた。だがそれ以外にも、僕のキャラである『王子様』らしい振る舞いを、身に付けなくてはならなかった。
僕がキャラを演じる上での設定として『ある王国の王子だったが、朝おんしてTSになったために王国から追放されて、今は男の娘メイドに身をやつしている』というストーリーが、嶋村さんと絵舞さんによって作られた。二次元全般のオタクであるともみさんが、イメージを補強すべく資料を用意してくれる。
「このラノベとマンガに、それぞれ女子校の王子様っぽいキャラが出てくるから、参考にしてね」
いくら僕でも『王国の王子』と『女子校の王子様』は別物だろうと思った。でも嶋村さんの意見は異なる。
「そういう矛盾を併せ持っているからこそ、面白いキャラができるのよ」
またしても矛盾だ。この店においても、僕は運命から逃れられない。
それらの本を僕が事務室で読んでいると、嶋村さんはパソコンを使って、王子様みたいなキャラが出てくるアニメを検索していた。僕と一緒に視聴してから、彼女は様々なアイディアやアドバイスを出してくる。
それらのネタを自分なりに消化させて、僕が作り上げた『王子様』というキャラは次のようなものだ。
『周囲からは『王子様』と呼ばれるが、自ら名乗る時は『エドワード』で、一人称は『わたくし』である。身のこなしはあくまで優雅に、口調は誇り高く、なるべく硬い感じの敬語を使う』
『エドワード』とは、いかにも王子らしい名前のイメージだから、という嶋村さんの発案から来ている。考えれば、王子様が自分で『王子様』と名乗るのも、おかしな話だ。
こうして出来上がった『王子様』のキャラを、実際に嶋村さんやメイド達の前で演技してみて、地道に練習を重ねていく。家に帰ってからも、自分の部屋で姿勢や言葉遣いの自習もしてみる。
こういった合間に、嶋村さんから折に触れて注意されたのは、営業中の店内では個人のプライベートなことなどを一切話してはならない、ということだった。例えば、他のメイドを本名で呼ぶのは駄目だし、嶋村さんのことも店長さんと呼ばなくてはならない。
常連になるくらい親しくなった客であっても、本名や住所、スマホの番号やメールアドレスも教えてはいけないというルールも教わった。関連して店内の撮影や録画も、料理のアップ以外は禁止であるとも言われる。
「お客様もメイドも、お互いのプライバシーを守りつつ、余計なトラブルに巻き込まれないために、このルールは必要なの。その上で、楽しいひと時を過ごしてほしい……それがあたしの、店長としての願いよ」
そんな言葉から、店を経営する者としての責任感がうかがえた。その強さが、僕を強引な形でスカウトすることにも繋がっているのだ、とさえ思う。
毎日顔を合わせることで、ともみさんや絵舞さんとも、ますます打ち解けられるようになった。その中で僕はそれぞれの、店での名前の由来がわかってくる。
絵舞さんの場合は、僕と同じく嶋村さんの発案によるもので、自分の特技から来ていた。つまり、絵がうまい→絵うまい→えまい→絵舞、というものだった。これはわかりやすい理由だ。
一方、ともみさんの場合は理解するのに少し時間がかかった。まず、嶋村さんが名付けたのではないと前置きしてから、こう解説する。
「ボクは京都の岩倉って所で生まれたから、『ともみ』なんだ」
「……どういう意味です?」
そう質問した僕に、ともみさんがキョトンとして問い返してくる。
「えっとね……日本史で、明治維新って習わなかった?」
「応仁の乱までしか、習ってないです」
「まだそこなの? それじゃ卒業まで、明治維新に間に合わないじゃないか。キミの学校の日本史の先生は、一体何やってんのさ!」
そんなことを僕に言われたって困る。
要するに、京都の岩倉出身で『
ちなみに、ともみさんは生まれてすぐに引っ越したので、思い出とか記憶などは全くないらしい。
研修とキャラ作りが進む間に、僕が店内で着用する、王子様らしいコスチュームも用意された。嶋村さんが絵舞さんのイラストを元に、コスプレ衣装専門店や洋品店を回って、色々と集めてくれたのだ
ある日の開店前、店内デビューを前に、更衣室でコスを試着してみることになった。
半袖のブラウスに黒ネクタイをしめ、黒のベストを重ねる。下は黒くて裾の短いキュロットスカート、黒いニーソックスと黒の革靴を履いてから、壁にある鏡に全身を映す。
黒が基調なデザインなので、我ながら大人びて見える。キュロットの裾とニーソの間に、太ももの肌色がのぞく。これって、絶対領域とか言うんだっけ……そんなものが僕の太ももにもできるなんて、少し前までは思いもよらなかった。
「あら、ここまで王子様みたくなるなんて、コスの力はすごいわね」
「これならお客様も、一目で王子様だと納得していただけることでしょう」
嶋村さんと絵舞さんが、それぞれに感心していた。ともみさんが隣に来て、鏡越しに僕へと笑いかける。
「『これが僕?』って言わないの?」
「そんな段階はとっくに過ぎました」
「そっか、初めて女の下着や制服着た時に言ったんだね」
「ともみさんも、そう言ったんですか?」
「ボクがそれを言ったのは、高校の時だったな。あのときめきは、今でも忘れられないよ」
「そんな頃から、この店で働いてたんですね」
「違うよ。卒業してからここに来たんだ。初めての女装は別さ」
そういえば僕はともみさんと絵舞さんの、店での名前の由来は知ってるけど、二人の本名はおろか、何故男の娘になったのかという理由が、一切わかっていなかった。
嶋村さんに注意されていることもあり、本名は知らない方が口に出す心配もなくていいとは思う。だけど、二人が男の娘に目覚めたきっかけには、興味がある。
たずねてみたくはあるけど、僕と二人はまだそんな間柄でもないような気もした。もっと親密になれば、二人の方から話してくれることだってあるはずだ。その時が来るまで待つしかないだろう。
そんなこんなで、いよいよ僕の、男の娘メイドとしての店内デビューが近づいていた。緊張が高まる中、その日に向けて研修は詰めに入っていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます