第十六話
ついに僕が男の娘メイド喫茶『フェアリーパラダイス』において、『王子様』として店内デビューする日が来る。
新人である僕になるべく負担をかけないため、週で一番客足の少ない日である月曜日にしましょうと、嶋村さんが決めてくれた。
その日は朝から緊張が途切れなかった。それでも平然を装いつつ授業を終えると、すぐに店へと向かう。
すでにともみさんと絵舞さんが、メイド姿へ着替えを終えていた。僕も更衣室に入って着替えを始める。
半袖の白いブラウスに、黒のネクタイ・ベスト・キュロット・ニーソに革靴といった衣装を身にまとい、鏡で全身をチェックした。それにしても、これらを着ているのが自分だということを除けば、本当にボーイッシュで格好いいコスだとは思える。
次に二人に手伝ってもらいながら、顔のメイクをした。髪型を整え、眉を手入れし、肌にはファウンデーションを薄く塗る。簡単なものではあったが、顔立ちがキリッとしたようにも感じられる。これでようやく僕は、王子様の姿になれたわけだ。
三人で店の掃除をしてからの、開店前のミーティングにおいて、嶋村さんが僕の胸元にある『王子様』と記された名札の隣に、新人であることを示す若葉マークを付けてくれた。続いて細かな打ち合わせを行う。
これからしばらくの間は、基本的に僕はともみさんと行動を共にするようにと、嶋村さんから指示を受けていた。ともみさんは常連客のファンが多いので、その人達に顔を覚えてもらうためでもある。
開店時間になると、嶋村さんが店の外にある『CLOSED』というパネルを『OPEN』へと裏返した。数分も経たないうちにドアが開いて、本日最初の客が来店する。
「お帰りなさいませ、御主人様」
僕達三人が声を揃えて出迎えると、二人連れの男性客がニコニコとしている。
「おっはよー、ともみちゃん!」
「オレ達、今日も来ちゃったよー」
「よっしー御主人様、オカチャン御主人様、おかえりなさい!」
ともみさんが両手をヒラヒラと振り返す。
この二人組には見覚えがある。僕が初めてこの店に連れ込まれた日にも、一緒に来ていた客だ。客足の少ない月曜にもかかわらず、顔を出したということは、本当に常連客なのだろう。
二人を席まで案内したともみさんの隣に、僕も並んで立つ。
「お二人に紹介しますね。この子は新人メイドの『王子様』です」
「初めまして、わたくしは『エドワード』と申します。以後、お見知りおきのほどを」
研修で習ったとおり、静かに微笑みつつ、直立の姿勢から頭を深く下げた。二人は目を丸くしていたが、すぐに興味を示してくる。
「エドワードっていうのが、王子様の本名なのかい?」
「はい、わたくしのことは王子とお呼びください」
「王子様は、なんで男の娘メイドをやってるの?」
「わたくしは、ある王国の王子でしたが、朝おんしてTSになったために王国から追放されて、今は男の娘メイドに身をやつしているのです」
嶋村さん達と作り上げたキャラ設定を口にすると、二人組は感心したようにうなずく。
「なるほど……でもさ、王子様が朝おんしたって、王族なんだから王女様にならないの?」
「だから、そのまま女王様になればいいんじゃない?」
そういう質問をされた場合に備えて、あらかじめ嶋村さんとの間で想定問答をしていたので、落ち着き払って答える。
「実はわたくしの国では先祖代々、女性には王位継承権が与えられないのです」
「サリカ法典かよ」
「王子様ってフランク王国の
なんとか法典は知らないけど、そんな国名を世界史で習ったような記憶があった。
ともかく二人は僕に対し、少なくとも『男の娘とは違う』などと、ネガティブなことは言わなかった。男の娘メイド喫茶で働いているのだから、本当に男の娘だと思いこんでいるのか、それともそういうことを突っ込むのは野暮だから黙っているのか、僕にはよくわからない。でもホッとしたのは事実だ。
以後も僕はともみさんと一緒に客を応対したり、注文された料理を運んだり食器を片付けたりした。嶋村さんが言ったとおり、今日は客足が少ないのかもしれないけど、新人の僕にとっては息をつく暇もないほどの忙しさに感じられる。
その最中、店の奥にある窓際の小さな席に、いつの間にか『予約席』と書かれた立札が置いてあることに気がつく。そこはあの初めての日に、嶋村さんから見学していきなさいと言われて、僕が座らされた場所だ。
置いたのは店長の嶋村さんだとして、一体誰が来るんだ……疑問を抱いたものの、仕事に忙殺されている僕は誰かに尋ねる余裕すらなかった。
陽が完全に暮れて、窓の外がビル街の夜景となった頃、一人の女性客が入ってきた。彼女を見るなり、すぐにともみさんが出迎える。
「おかえりなさい、『先生』!」
「きたわよ」
軽く片手を上げた女性客は、自分からスタスタと店内を歩いて、奥の『予約席』に座った。背負っていたリュックからノートPCを取り出し、テーブルの上でパネルを開く。
僕より少し年上に見えるその客は、セミロングの髪をヘアバンドでおさえ、楕円形フレームのメガネをかけてて、全体的にもっさりとした雰囲気がある。
この人が、席を予約していた客なのか。でも、一体何の『先生』なんだろう……そう思いつつ、僕はともみさんと一緒に席へと向かう。
「先生、この子が今日から働くことになった、新人メイドの『王子様』です」
ノートPCへ小さめのマウスを接続していた彼女に、ともみさんが紹介した。それまでと同様に、王子様としてのあいさつをしたら、こちらを見上げた彼女の表情が固まる。
「……え? この店で『王子様』……なの?」
「はい、王子とお呼びください」
「王子ね……男の娘なのに……ふーん」
彼女は眼鏡の縁を指で摘んで、僕の全身を凝視していた。レンズの奥に見える瞳が、大きく見開かれているのが僕にもわかる程だ。あまりに長く、無言でこっちを観察しているものだから、なんと声をかけるべきかためらってしまう。
「それじゃ先生、いつものでいい?」
「あ、うん……お願い」
ともみさんが割って入ってくれたおかげで、やっと僕は彼女の前から離れることができた。それにしても彼女は、僕に何らかの疑惑を抱いているようにも見えたけど、まさか本当に『男の娘とは違う』と言ったりしないよな……何故か、嫌な予感がしてくる。
「上堂さん、先生のいつもの、お願いします」
「あいよ」
厨房に入ったともみさんがそう言っただけで相手も理解するのだから、どうも彼女は常連客とは違う存在みたいだ。
注文の品が出来上がるまでの間、彼女が何者であるかを、ともみさんが説明してくれる。
「あのお客様は『
「小説家の先生なんだ」
「ボクも先生のサークルでコスプレしたり、売り子も担当してるから、この店でも先生って呼んでるのさ」
しかも彼女は常連客どころか、この店に多大な貢献をしてくれたのだとも言う。
「先生は、この店のことを小説に書いてくれたことがあって、おかげでお客様も増えたんだ。店長も、そのことには今でも感謝してるんだよ」
「それなら、本当に特別なお客様ですね」
「先生本人はそういう扱いは苦手だから、なるべく普通にしてって言ってるけどね」
そうこうしているうちに、上堂さんの作ったいつものが出てくる。大きめのカップに注がれた、ホットのシナモンミルクティーだった。先生の大好物だそうだ。
それをトレーに乗せて運ぶともみさんと一緒に、僕も厨房を出た。先生の席では、嶋村さんがお愛想している。
「先生、毎度ご贔屓にしていただいてありがとうございます。ところで執筆の方はいかがですか?」
「ちょっと煮詰まっちゃって、気分転換に来ました」
ともみさんが運んできたシナモンミルクティーを、先生は大事そうに抱えて飲む。嶋村さんも交えて少し会話した後、僕達は先生の前から一旦下がる。
夜も更けてくると店内の客は、最初に来た常連の二人組と、先生だけになった。その間に僕とともみさんは、交代で休憩を取ることにする。
先に僕が休んだ後、ともみさんと入れ替わる。嶋村さんは事務室に入ってるらしく、常連客には絵舞さんが応対していた。
「オレ、そろそろポイントカードが満点だけど、その時は絵舞さんにサービスしてもらっていい?」
「もちろんです。何がよろしいですか?」
「ツーショットでの写真がいいな」
「オレは絵舞さんのイラストで、似顔絵を描いてほしい」
「かしこまりました」
フェアリーパラダイスでは客に対してポイントカードを発行しており、来店時にスタンプを押す。それが満点になると、男の娘メイドから特別のサービスを受けられるシステムになっていた。これにはいくつか種類があって、その一つにメイドとのツーショット写真がある。客による店内の写真撮影は禁止なので、代わりに店のデジカメで撮影した画像を、事務所のプリンターでプリントアウトしたものを渡すのである。
他に、各メイドによる個別のサービスもある。絵舞さんの場合は客の似顔絵を描いたイラスト色紙をプレゼントすることで、ともみさんからは肩たたきやマッサージなどをしてもらえるというものだった。
新人の僕にはまだ個別のサービスは決まっていないが、いずれキャラにふさわしいものを決めましょうと、嶋村さんは言っていた。
他方、先生はノートPCの画面を黙って睨んでいた。時折キーを何回か打鍵してから、入力した文字を全消しするということを繰り返す。
「こちらをお下げしてもよろしいでしょうか?」
空になっているカップを片付けようとした時、先生は手招きするとノートパソコンの画面を指差す。そこにはこんな文字列が入力されていた。
"君、この店で働いてるけど、男の娘じゃないよね?"
息が詰まった。そんな僕を見た後、先生が新たな文字列を打鍵する。
"もしかして、リアルのTS?"
わざわざ『リアル』って強調するってことは、本当のTSだと見抜いているのか。今日初めて会ったばかりなのに、どうしてそこまでわかるんだと衝撃を受ける。
だけど嶋村さんから、プライベートなことを話してはいけないと釘を差されていたこともあって、僕は何も言えないでいる。やがて先生も、申し訳無さそうな顔でキーを叩く。
"こんなこと聞いてごめんね。ルール違反だったわ"
「……失礼いたします」
その場からは離れたものの、先生と呼ばれる彼女は一体何者なのかと、僕は底知れぬ不安と疑問を抱く。
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