第十話

 白いブラウスの胸元に濃紺のリボンを付け、グレーのジャケットと同色のタイトスカートをはいた女性は、内ポケットから名刺を取り出した。それを僕に向け直すと、ご丁寧に両手で差し出してくる。

「実はあたし、こういう者です」

「あ、はい」

 名刺という物を渡されたのは初めてだったので、僕も両手で受け取った。そこにはこんなことが記してある。


男の娘メイド喫茶

フェアリーパラダイス


店長

嶋村しまむら 杏里あんり


 この人の名前と肩書、店名はわかった。でも『男の娘メイド喫茶』っていうのは、一体なんなんだ?

『男の娘』という単語は以前から知っている。マンガやゲームに出てくる、女装がよく似合う美少年キャラクターのことだ。現実にもいるっていうけど、実際に見たことはない。

『メイド喫茶』も聞いたことはあった。コスプレみたいなメイド服を来た女性が、客を『御主人様』と呼んで接客してくれる喫茶店のことだろう。だけど、その二つの要素がどうして一緒に書いてあるのかが、よくわからない。

 名刺に見入っていた僕の隣に、その女性はさりげなく腰掛ける。

「少し前にあなたを見かけた時から、とても気になっていたの。ところで、あなたはメイド喫茶に興味はあるかしら?」

「名前だけは……」

 素っ気なく答えたけど、相手は別に気にする様子もない。

「あたしの店では、新しいメンバーを募集してるんだけど、あなたならそれにふさわしいと思って声をかけたわけ」

「メンバー……ですか?」

「どう、メイド喫茶で働いてみる気はない? まだあなたはスカートに慣れてないみたいだけど、そんな男の娘初心者なあなたでも、あたしが丁寧に仕事を教えてあげるわ」

 この人は僕をスカウトしたいみたいだけど、大いに引っかかるところがあった。


 まさか僕、だって思われてる!?


 心外とは、こういうことをいうのだろう。男の娘というのは自分から進んで女装している存在であり、不可抗力で朝おんした自分とは違うと思っているし、一緒にされるのは違うはずだ。

「あの……誘ってくれるのはいいんですけど」

「何かしら?」

 名刺をスカートの上に置くと、僕は女性の方へと上半身を向け直す。

「僕、男の娘じゃありません」

「あら、そう呼ばれるのが恥ずかしい?」

「そうじゃなくて、僕はTS……朝おんのTSです」

「まあ!?」

 両手で口元を覆う女性の、両目が大きく見開かれた。僕は横に置いてあった封筒から履歴書を取り出し、相手へと見せつける。

「ここに書いてあるように、僕は男です。でも体は女で、だから男の娘とは違うんです」

「まさか……こんなことって」

 相手の視線が、僕の全身と履歴書の紙面を何度も見比べていた。自分で言うのも何だけど、僕のバストは巨乳な方だし、それだけでも女装ではないとわかるはずなのに、わからない人にはわからないものなのか。

 固まっている相手の目前で履歴書と名刺を封筒にしまうと、僕はベンチから腰を上げる。

「ですから、その店では働けないです。ごめんなさ……」

 断りかけた時、飛び上がる勢いで立ち上がった女性が、僕の右手を両手を掴む。

「あなたこそ、あたしの探していた人よ!」

「な、なに言って……」

 うろたえる僕に構わず、女性は体ごと顔を寄せてきた。その表情には、今までにない真剣さが見て取れる。

「あなたを男の娘だと思い込んだことは謝る。だけど、あなたみたいな人を探してたのは事実だから!」

「そんな!」

「さあ、店まで行きましょう! すぐそこなの」

「えっ、ちょっと!?」

「もっとあなたとお話したいわ! お願いっ!!」

 女性は僕よりも遥かに小柄だけど、それこそ必死になって引っ張ってくるものだから、こちらとしても引きずられて行かざるをえない。

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