第七十三話

 フェアリーパラダイスに訪れる客が増えたといっても、日によって波はあった。元々週の初めである月曜日は客足が少なかったから、新規客の数も多くはない。

 そんな月曜の夜、休憩の終わった僕は、常連の二人組を応対していた。その時点で僕と個人的な関係にある、例えば倉石君やクラスメイトみたいな客は一人もいなかった。

 ドアが開いて客の入ってくる気配がした。僕は入り口に赴いて、相手を出迎える。

「お帰りなさいませ、御主人様」

「……え?」

 入ってきた女の顔には『それって私のこと?』と言いたげな戸惑いが表れていた。そんな彼女に僕は見覚えがある。だが知り合いではない。

 榊七海。『美幸ヶ丘の王子様』と呼ばれている、本物の『女子校の王子様』だ。彼女はTシャツにパンツルックといったラフな服装で、しかもたった一人で訪れていた。

 何でここに……疑問を懐きつつ、こちらも『TSの王子様』としてあいさつする。

「当店にお帰りいただいた方には、そうお呼びかけいたします。女性の方には『お嬢様』ともお呼びいたしますが、そちらの方がよろしかったでしょうか?」

「どっちでも……」

 初めて聞いた榊の声は、意外と澄んでいた。僕と同じくらいの背丈で体育会系でもあることから、もっとドスの利いた声を出すのかと思っていたのだ。

「承知しました。ではお嬢様とお呼びいたします。どうぞこちらへ」

 席に着いた榊に、フェアリーパラダイスにおける接客のお約束について、改めて説明した。不思議そうな面持ちで聞き終えた彼女は、アイスココアとチョコレートケーキセットを注文する。

 厨房へ注文を伝えに行った僕は、榊が何故この店に来たのだろうという疑問を引きずっていた。考えられるのは、ニュースサイトの記事を見たからというのが理由かもしれないが、それにしては男の娘メイド喫茶のお約束についての初歩的な知識すらなかったみたいだ。彼女の表情がそれを物語っていたし、まるで場違いな所にでも来たように感じているのかもしれない。

 それに榊が一人で来店したことも、妙な感じがした。彼女も『女子校の王子様』なのだから、取り巻きを引き連れていてもおかしくはない。もしかすると、時には彼女も一人になりたくて、ここへ来たというのだろうか。

 きっと榊にも彼女なりの事情があるのだろう。僕が疑問に思っても、客として来てくれた彼女には関係のないことだ。そう考え直して、再び店内に戻る。


 注文されたドリンクとケーキセットを届けに行くと、榊は喜びで目を見張っているのがわかった。

「いただきます」

 小さな声で言うと、榊は落ち着いた手付きでケーキを口に運んだ。目を細めてチョコの味を噛み締めている。

「お味の方は、いかがでしょうか?」

「とても甘くて美味しい!」

 精悍な顔立ちに似合わぬほどの嬉しさをたたえつつ、本当に榊は美味しそうにケーキを食べていった。体育会系で『王子様』扱いされていても、やはり僕と同年代の女子なのだと思えてくる。

 ケーキが半分になったところで、榊はアイスココアをストローで飲んだ。その後、そばに立つ僕を見上げてくる。

「あなた、舶用高のTSの人でしょう?」

「よくご存知で」

「色々噂で聞いてるから」

「わたくしもお嬢様のことは、お見かけしたことがございます」

 最寄りの駅前で大勢の女子達に見送られて、榊が遠征に出発していった時のことを話すと、彼女が苦笑いを浮かべる。

「恥ずかしいから来なくていいって言ったのに、どうしても見送りたいって言うし……応援してくれるのは嬉しいんだけどね」

「わたくしはあの時、あれが本物の『女子校の王子様』なのかと関心しておりました」

「本物って……あなたも舶用高で『王子様』って言われてること、知ってるよ」

「わたくしのようなTSがそのように呼ばれてしまうことになるとは、思いもよりませんでした」

「私だって、美幸ヶ丘に入るまでは思ってみなかった」

 もう一度、榊はアイスココアを含む。

 こうして会話をしてみると榊は、いかにも体育会系の荒っぽい口調でもなく、『女子校の王子様』特有の少しキザな話し方もしなかった。僕は取り巻きではないのだから、そういう口の聞き方をする必要はないのだし、むしろ普通の女子が相手みたいでこっちも気が楽になる。

「お嬢様がフェアリーパラダイスのことをお知りになられたのは、ニュースサイトの記事を拝見なされたからでしょうか?」

「何それ? 初めて聞いた」

 キョトンとした榊に、先日ニュースサイトのライターが取材に来て記事にしてくれたことを説明したが、本当に彼女は知らなかったようだ。彼女もスマホは持っているそうだが、他人との通話や連絡が主で、ネットの情報を調べたりすることはあまりないという。

「では、どのようにして当店のことをお知りになったのですか?」

「昔の友達が『スイーツの美味しい店』だって、ここを教えてくれたの」

「そもそもここが『男の娘メイド喫茶』であることも、ご存知なかったと?」

「そう。ていうか『男の娘』というものが何なのか、よくわかってないんだけど……あなたみたいなTSのこと?」

 ガクッと肩が落ちそうになる。自分で言うのも変だけど、知名度で言ったら『TS』よりも『男の娘』の方が有名なはずなのに……そこで僕は榊に対し、『男の娘とは何か』と『TSとは何が違うのか』について、解説させられる羽目になる。

 生まれて初めて知ったであろう事実に、榊はぽかんとしたまま、店内で働いているともみさんと絵舞さんに視線を送る。

「……それじゃ、あの人達は体は男で、女装してメイドやってるってことなの?」

「そうです。わたくしのようなTSが『男の娘メイド』を名乗るのは、本来はおかしいのです」

 僕でさえTSになる前から知っていたことなのに、ここまで榊が疎いとは思わなかった。

 そういえば榊の通っている美幸ヶ丘女子高は由緒正しい歴史があって、元来は金持ちとか良家の娘が入学する学校だったと聞いたことがある。体育会系である彼女も美幸ヶ丘の生徒なのだから、昔なら本当に周囲から『お嬢様』と呼ばれるような家柄の出身で、現代の『箱入り娘』なのかもしれない。

「お嬢様が『男の娘』のことをご存じなかったとしても、当店としては差し支えありません。どうか存分にスイーツをお楽しみください」

「うん……ありがとう」

 僕から慰められて、少し気の抜けたような榊は残っていたケーキにフォークを刺す。せっかく食べに来てくれたのに、そんな腑抜けた状態でいられたら、応対した僕としても忍びない。だから話題を変えることにする。

「お嬢様はスイーツの食べ歩きがご趣味だったのですか?」

「最近になって目覚めたの。以前はお腹いっぱい食べることしか興味なかったけどね」

 榊が遠征して競技会に出場した際、今は他校にいる小学校時代の女友達も選手として参加しており、終了後に誘われて近所にある喫茶店に入り、そこで食べたスイーツの美味しさに感激したのがきっかけだという。

 こうして榊はスイーツの食べ歩きに目覚めたわけだが、この店のことを教えてくれたのが、その女友達だという。

「彼女、『男の娘』のことまでは教えてくれなかったから……私は騙されたのかな?」

「そんなことはないでしょう。当店のスイーツはお気に召しませんでしたか?」

「いえ、普通に……ううん、とっても美味しかった!」

 はっきりとした口調で言い直してくれたので、僕もうなずいた。『我が意を得たり』とはこういうことを言うのだろう。


 榊とは、他のことも語り合った。やはり『王子様』の話題が主になる。

 やはりというか、榊も周りの女子達から『王子様』として祭り上げられることに悩んでいたようだ。

「私、人付き合いが苦手っていうか、一人でいる方が気が楽で……こんなだから目立っちゃうけど」

 女子としては図抜けた背丈と、陸上選手としての成績も相まって人目を引かざるを得ないことは、榊も自覚しているらしい。だからフェアリーパラダイスへは一人で来たのだろう。

「わたくしは体育会系ではありませんが、やはりこの体格と、TSであるという珍しさから注目されてしまいますので、お嬢様の気持ちはわかります」

「まあ、それは仕方ないとして……他にも我慢できないことってあるんだよね。何だかわかる?」

「もしかして、取り巻きのご機嫌取りというか、派閥争いですか?」

 うなずいた榊が苦笑する。

「やっぱりわかるんだ。ということは、あなたも苦労してるのね」

「はい。派閥が二つありまして、争いを起こさせないよう間を取り持つのに気を使ってばかりです」

「二つか……私の場合、各学年各クラスに派閥があって、しょっちゅう争ってばかりいるの。マジで嫌になっちゃう」

 心底から嫌そうな表情で、榊は口を尖らせた。

 派閥が二つだけでも苦労してるのに、それが各学年各クラスにも存在して、それぞれに争い合っているとしたら、僕だって目眩がしてくる。

 本物の『女子校の王子様』がこれほど面倒くさいものだと知って、単純に同情ができなくなってしまった。どうやって慰めたらいいものか、言葉に詰まっていると、榊は頬杖をして微かに笑う。

「少なくとも彼女達は、私の前では仲良しのふりはしてるんだよね。だから、こっちも強く言えないけど」

「それが表面化した時こそ、お嬢様も気苦労なさっているのではありませんか?」

「そうなの。他の派閥争いをご注進してくる子もいたりして、何でこっちが他人の始めた争いに関わらないといけないの……って思ってる」

 不満も顕にして榊はつぶやいた。人付き合いが苦手という彼女にしてみれば、厄介事を押し付けられて困り果てているのだろう。

 同い年ではあるけれど、『王子様』としては後輩である僕からは、こう語りかけるしかない。

「それでもお嬢様は、『王子様』であることを引き受けていらっしゃる。だから、どうかめげずにいてくださいと祈るばかりです」

「嬉しいな……そんなことを言ってくれたのは、あなたが初めてよ」

 そう言って榊はアイスココアを飲み干した。


 帰り際に榊は、見送りに出た僕に微笑んでみせる。

「ケーキは美味しかったし、あなたとお話ができて嬉しかった。また来てもいいかな?」

「お嬢様のお帰りを、いつでもお待ちしております」

「ありがとう。また来るね!」

 爽やかに手を振ると、榊は店から出ていった。初対面ではあったけど、あれだけ気さくに話してくれたのは、似たような立場にいる僕だからだろう。心から満足してくれたみたいだし、彼女とはもう一度話がしてみたいと、僕は思っていた。


 週末の午後の空は、雲が棚引いていた。時折日差しを遮ったりもしている。

 学校を出てから駅前の交差点まで来た時、美幸ヶ丘の制服を着た榊が、取り巻きに囲まれて歩いてくるのが目に入る。

 相変わらずにぎやかな雰囲気だし、真ん中にいる榊も周りに笑いかけている。だが、それが作り笑顔に見えてしまうのは、僕の気のせいだろうか。

 不意に榊と目が合うと、彼女がウインクしてきた。とっさにこっちもウインクを返した時、雲の隙間から日差しがもれて、榊の笑顔を照らす。

 またすぐに太陽は雲に遮られた。そのまま彼女達は駅構内へと歩き去っていく。

 榊が手を挙げなかったのは、取り巻き達に気づかれたくなかったからだろう。まだ一回しか会ってないのに、もう友達になれたような気がして、少し嬉しくなった。すると横合いから声がかけられる。

「今、美幸ヶ丘の王子様とアイコンタクトしてたみたいだけど、どういうこと?」

 社交的女子が興味本位の眼差しを向けていた。いつの間に現れやがって……爽やかな気分がすっかり台無しだ。

「何もしてない」

「どうやって王子様同士、外交関係を築いたわけ? 店にでも招いたの?」

 何が『外交関係』だ。それで気の利いた言い回しをしたつもりか。

「答える必要を認めない」

 倉石君のことを探ってきた時と同様、けんもほろろに対応した。だが向こうも、また同じく食い下がってくる。

に続いて、今度は他校の『王子様』も狙ってるんだ? 意外と手が早いのね」

 この女は他校の情報にも詳しい。逆に言えば、こいつから美幸ヶ丘へ情報が逆流する可能性だってある。榊のことを思えば、絶対に話すことはできない。

 黙ったままでいると、社交的女子は意味深に口元を釣り上げる。

「あんたが守秘義務を守っても、取り巻きは嗅ぎつけるでしょうね。もちろん、向こうもだけど」

 僕と榊の、それぞれの取り巻きが疑いを持って動き出すことを期待してるかのような口ぶりだ。

「お前が火を付けてまわるつもりだろうが」

「私はもう何もしない。けど、彼女達の行動力がどれほどのものか、あんたは身を持って知ってるはずよ」

 僕のバイト先を探ろうと、取り巻き達がストーカーじみた行為までしたことは、今でも記憶に新しい。

「ま、あんたのことだから、いかにも『王子様』なやり方で解決するんでしょう。せいぜい頑張ることね」

 嫌味ったらしく言い残すと、社交的女子は立ち去った。自らの手は汚さずに、他人の不幸を眺めるつもりのようだ。あの女の尻には、鉤爪の付いた黒い尻尾が生えているに違いない。

 今になって思い出したが、榊には『他の派閥争いをご注進してくる子』がいると嘆いていたが、それは社交的女子のような女なのかもしれない。そういった女達が学校の垣根を超えてネットワークを形成し、ゴシップや根も葉もない噂などの情報を交換しあっているのではないか……という疑惑まで芽生えてしまう。

 せめて倉石君の通う森野宮高だけは、そんな悪趣味なネットワークに取り込まれていないことを、ひたすら願うばかりだった。

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