第二十九話

 厨房前を経由してから、店内へと入る前に、彼へと念を押す。

「店では、君を『御主人様』と呼ばなくてはならない。そういうルールだから、いいね?」

「うん。御主人様か……」 

 返事をした彼を店内へと案内する。空いていた席に座らせると、ともみさんがタイミングよくやってくる。

「こちらの御主人様が、王子様のご友人なのかい?」

「はい。御主人様は、◇◇の限定イベの攻略情報を求めております」

 そう説明すると、ともみさんは早速彼に身を乗り出す。

「限定イベの、どのステージの情報が必要ですか?」

「ラストステージの最終面です」

「そこまでやり込んでるなら、クリアまであと一歩だね。それじゃ……」

 スマホを取り出して、アプリの◇◇を起動させた彼に、ともみさんは順を追って攻略情報を解説した。その指示に従って、いよいよ彼は最終面に挑戦する。

 僕とともみさんが固唾を飲んで見守る中、彼は画面を注視していた。やがてスマホのスピーカーから、ステージクリアのファンファーレが聞こえてくる。直後、彼がガッツポーズを取った。

「やった! ついにクリアできた!!」

「おめでとうございます。御主人様!」

 祝福する僕に、彼は笑顔を返す。

「ありがとう。君のおかげだよ」

「いいえ、攻略情報を教えてくれたのは、ともみさんです。わたくしは見ていただけです」

「そうだね……感謝してます」

 改まった彼の言葉に、ともみさんも目元をほころばせていた。でもそれは彼がステージクリアしたことではなく、僕と彼の間柄を見てそういう表情になったようだ。

 そんなともみさんの背後には、いつの間にか常連の二人組が立っている。

「おめでとう! さすがともみちゃんのアドバイスは的確だ」

「この調子で、次回の限定イベもよろしく頼むよ~」

「まだ早いですよ。それよりオカチャン御主人様は、新キャラコンプできましたか?」

「残り一人なんだよ。けど、全然出る気配なくてさ~」

 立ったままで三人がキャラコンプの話題に花を咲かせているのを、彼が口をあんぐりと開いて見上げていた。隣の僕が耳打ちする。

「このお三方はゲーム以外にも、オタクな話題全般で、いつもこのように盛り上がったりしております」

「すごいや……オタクなのに、こんなに楽しそうな人達を、初めて見た」

 彼は羨望をあらわにしていた。自分も、そんな輪の中に入りたいと思っているに違いない。

 そんなところへ、今度は絵舞さんが新規のポイントカードを持って、笑顔で現れる。

「王子様。こちらの御主人様に、ポイントカードの説明をしてはいかがでしょう」

 それを持ってきたということは、社交的女子と同様に、彼もこの店の常連にしようと目論んでいるのだろう。絵舞さんからポイントカードを渡された彼に対し、僕は解説をした。

「……そういったわけで、ポイントが満点になりますと、各メイドからの特別サービスを受けることができます」

「この『王子様からの壁ドン』って、君がやるの?」

「はい、あくまで女性の御主人様専用ですが……興味がお有りですか?」

「いや、全然」

 同じオタクでも常連達と違って、彼がまともな趣味をしていたことに、僕はホッとする。

 この間、絵舞さんは微笑ましそうに僕達を見守っていた。けど、その内心では彼自身への、そして僕と彼の関係などについての興味が渦巻いていることは、火を見るより明らかだった。


 彼のブレザーが乾いた頃には、外も小雨になっていた。

 嶋村さんの配慮で、店に備え付けの傘を借りて、彼は帰ることになった。

「今日は、ホントありがとう。また来ても、いいよね?」

「もちろんです。またのお越しを、お待ちしております」

 見送りのあいさつをした僕に、彼が名残惜しそうな表情をする。

「……ところで俺達、まだ名前も知らないよね」

 確かにその通りだ。僕達は何度も会っていたというのに、そんな基本的なこともわかっていなかった。

「では、一緒に外へ出ましょう」

 自分から出入口のドアを開けると、彼と二人で店から出た。そこで僕達は向かい合う。

「店内では、メイドはプライベートな事柄を話してはいけないというルールがある。でも今は外にいるから、一応はルールの範囲外ということで、名前だけは教えよう」

「うん、わかった」

 そして僕は彼に対し、初めて自分の名前を名乗る。

「僕は徳田柚希。徳川の徳に田んぼの田、木へんに理由の由を付けて柚、希望の希」

「俺は倉石哲生(くらいしてっしょう)。倉庫の倉に石垣の石、哲学の哲に生まれる」

 お互いの本名がわかったところで、さらに僕達の間で打ち解けた気分ができた。

 エレベーターに入った彼に、僕は笑顔で片手を上げる。

「それじゃ倉石君、さよなら」

「さよなら。徳田さ……君」

 扉が閉じる直前に、彼のはにかむ笑顔が見えた。

 最後に言い直したのは、TSであろうと相手を男として扱うべき、という気持ちの表れだと思った。僕としても、その気遣いが素直に嬉しい。


 店内に戻ると、早速絵舞さんが僕の前に来て、こうささやく。

「ご友人の御主人様は、明日にでも再来店するかもしれませんね。楽しみにしています」

「断っておきますが、彼はTSでも男の娘でもありません。何故それほど興味があるのですか?」

 そうたずねたら、絵舞さんは口元を隠すような仕草で微笑む。

「我ながら業が深いと思いますが……私は、男の娘やTSの人達だけでなく、そんな方達に思いを寄せる人にも興味があるのです」

「男の娘やTSに関係あるなら、何でもいいのですか?」

 さすがに僕も呆れていると、それを聞きつけた嶋村さんが絵舞さんをたしなめてくる。

「だからって、王子様と彼の関係を引き裂いちゃダメよ」

「そんなつもりはありません。ただ、二人がどういう関係になっていくのか、見届けたいだけですわ」

「もう少し控えめに観察しないと、王子様も人目が気になって、彼とイチャイチャできないでしょ?」

「店長さんも何言ってるんですか! 彼とはそういう関係ではありません」

 ツッコミながら否定したが、嶋村さんは余裕ある笑顔だった。絵舞さんよりも遥かに年上だから、図々しいところがある。

 そんな僕達と交わることなく、ともみさんは常連の片方が操作する、スマホの画面に見入っている。

「……またコモンかよ」

「ぐぬぬ……これで百回目なのに、ゲットできないなんて~」

「まだイベント期間は三日残ってます。ここが正念場ですよ!」

 ◇◇のキャラコンプができない常連を、ともみさんが煽っていた。

 ここまで来ると、店長の嶋村さんだけでなく、ともみさんと絵舞さんにも、意地が悪いというかサディスティックな部分があると、僕にもわかってきた。倉石君には『ここで働けることになって、店長さんには感謝してる』とか言ってしまったけど、それは間違いだったのではないか……そんな疑問に、僕は囚われていた。

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