第五十七話

 金曜の夜ということもあって、フェアリーパラダイスの来客は多かった。しかも今夜は社交的女子達と、僕の取り巻き達の総勢九名も訪れている。

「王子様~、カフェラテのお代わり、お願~い」

「承りました、お嬢様」

 社交的女子から注文を受けて、厨房へと入る。

 今夜は繁盛しているだけあって、ともみさんと絵舞さんもそれぞれ客への応対に追われていた。休憩を取るタイミングも、中々やって来ない。

 こんな忙しい間でも、僕はあることを考え続けていた。それは数日前の、例の女装少年とのやり取りから引きずっていることだ。

 今の僕は『男らしい』のか? または、『女らしくなっている』のだろうか?

 TSになる前の僕は、男らしいと言われるタイプでもなかったし、自分でも男らしさを目指しているつもりはなかった。かといって、女みたいだというわけでもなかったはずだ。今はどうなのかと言われると、『よくわからない』というのが正直な気持ちである。

 さらに考えが及んだのは、『王子様』というのは男らしいのか、それとも女らしいのか……ということだ。

 確かに王子というのは男がなる身分だから男らしさに含まれるものだとは思うけど、僕が『王子様』に扮しているのは、喫茶であるフェアリーパラダイスの店内だ。しかもそのキャラ設定には、『女子校の王子様』という矛盾した要素まで含まれている。

 学校で取り巻き達が身を寄せてくるのも、そんなイメージによるものだ。そのせいか彼女達は、元々僕が男だったことを忘れているような部分もある。だとしたら、それでも彼女らは僕を『男らしい』と思っているのか、何か『女らしい』要素を見出しているのだろうか。

 その上で、『王子様としての僕』は『男らしい』のか『女らしい』のかと考えてみるのだが、やはりというか『よくわからない』という答えしか出てこない。

 TSである僕は、男の心と女の体を併せ持っている矛盾からは逃れられない。十年以上経ってから、男の体に戻ることでもない限り、そういうことで悩み続ける運命なのだ。いくらでも時間はあるのだし、今のうちからそんなに深く考え込まなくたっていいのでは……という気分さえしてくる。

 トレーにカフェラテを乗せて社交的女子の席に向かうと、ともみさんが彼女らとゲームの攻略話で盛り上がっていた。お待たせしました、と言ってから注文の品をテーブルに置いて、一旦引き下がる。

 そう言えば、ともみさんはかつて『男らしさ』について、こんなことを語っていた。

『女装というのは、最も男らしい行為なんだ。何故なら、女が女の服を着ても女装とは言わないだろ? だから女装は男しかできないことなのさ』

 男の娘であるともみさんの言葉だから、説得力がありそうに聞こえる。けど、冷静に考えたら屁理屈としか思えないし、多分誰かからの受け売りではないかと思う。

 三人組の客が退店していくのを、僕はレジ前に立って見送りの挨拶をした。今、店内に残っているのは、社交的女子達と取り巻き達、さらに常連の二人組であるよっしーさんとオカチャンさんだけである。これくらいの人数なら、メイドの一人が休憩に入れるかと思いかけた時、勢いよくドアが開く。

 飛び込むように入ってきたのは、スリムな体に半袖ワイシャツと学生用スラックスをはいた、中学生らしき男子だ。思いつめたような表情をしているその顔に、先日の記憶が蘇る。

 こいつ……あの女装少年じゃないか!?

 男子用の制服を着ているので、確かに男だとわかるが、顔立ちは女っぽいから中性的なイメージがあった。その少年は全身に力をみなぎらせつつ、僕を正面に見据えて立つ。どうやって調べたかはともかく、僕がここでバイトしているのを突き止めて、わざわざ会いに来たようだ。

 何のつもりだ? こいつとは二度と会うこともないと思ってたし、見逃してやったんだから恨まれる筋合いはないはずで、しかもこっちだってお礼とか求めてない。

 そんな相手でも店に入ってきた以上は客なのだし、出迎えの挨拶をする。

「お帰りなさいませ、御主人様」

「姉貴……姉貴って呼ばせてください!」

「……は? わたくしは貴方様の姉ではございません」

 何を言い出すかと思えば……こいつが僕の弟だなんて聞いたこともないし、例え事実であっても認めたくない。

「俺……あんたに出会って、自分が間違ってたことに気づきました。それを教えてくれたあんたに、俺は付いていきます!」

「そんなことをされると、ストーカーに当たりますから、お断りします」

「あんたと一緒なら、俺も『男らしさ』が何なのか、わかると思うんです!」

「そういうことは『自分で考えるように』と言ったはずです。お忘れですか?」

 全然会話が噛み合わなくて、内心が苛立ってきた。少年と僕の異常なやり取りに気づいたのか、店にいた全員が静まり返っているのがわかる。

「姉貴、俺を舎弟しゃていにしてください! 何でもしますから!」

「何でもするなら、まずはわたくしの話をちゃんと聞いてください」

「姉貴こそ、俺の求めてた『男らしい』人です! 俺を見捨てないでくださーいっ!」

 いきなり少年が僕の腰にすがりついてきた。あまりの出来事に、王子様であることも忘れて叫ぶ。

「何をする!? 離せっ! 離せってば!!」

 少年は全力でしがみついてくるから、容易には振りほどくことができない。

 店内が騒然としていた。そんな中でも、社交的女子の爆笑が耳に届く。

「あらあら、何の騒ぎ……って、まあ!?」

 事務室から飛び出してきた嶋村さんが、悲鳴に近い声を上げた。ともみさんが悪ノリで説明する。

「組長、カチコミです!」

「大変! すぐに警察を……って、誰が組長よっ!!」

 嶋村さんがノリツッコミした後、ともみさんと常連の二人組が手伝って、少年を僕から引き離してくれた。

 ちなみに、先日の女装少年との一件は店の人達には話していなかったから、突然現れたこいつが何者なのかは誰も知らないはずだ。そんな奴が騒動を巻き起こしたことに、嶋村さんも大いに面食らっただろう。また、ともみさんのアドリブ力の高さと、ハプニングではあっても興味深く観察する絵舞さんの好奇心には、いろんな意味で流石だと言わざるを得ない。


「……俺、新島にいじま千尋ちひろっていいます。中学三年です」

 事務室のソファに座らせたそいつから名前などを聞き出すと、素直な答えが返ってきた。彼は隣町に住んでいて、同じ町内の中学校に通っているのもわかった。

 僕の隣に腰掛けているの嶋村さんが、向かい側の新島に対していろいろと事情を尋ねる。

 新島が例の女装少年だと知った嶋村さんは、すっかり目を丸くしていた。さらに僕が先日、彼の犯行現場を目撃していたのと、説得した上で見逃していたことを知り、気むずかしげに眉を寄せてこっちを睨んでくる。

「どうしてそんな大事なことを、もっと早く話してくれなかったの?」

「申し訳ありません。彼にはよく言い聞かせておきましたし、反省している様に見えたものですから」

「警察からも疑われていたんだから、これは店の信用にも関わることよ。報告してくれなきゃ駄目じゃない」

「姉貴を責めないでください。俺が悪かったんです」

 新島が割って入ってきた。嶋村さんがそちらを向く。

「あたしは、彼があなたを見逃したことを責めてるんじゃなくて、報告してくれなかったことを言ってるの。店長としては、そういうことを情報共有しておきたいから」

「……俺を警察に突き出すなら、覚悟はできてます」

 声を震わせた新島に、嶋村さんが表情を和らげる。

「今さら、そんなことはしません。ただし、あなたが二度とそんな悪戯をしないと約束するなら……の話だけど」

「はい、もうやめます。せっかく助けてくれた姉貴にも、迷惑かけたくないし……」

 まだ僕のことをそう呼ぶか……イラッとしたが、今は嶋村さんと話している最中だから、たしなめることもできない。

 新島の話によると、女装で着ていたセーラー服はコスプレ用の衣装を通販で購入した物で、わざわざ隣町から来て行為に及んだのは、自分のことを知る人がいないからというのが理由だとわかった。この街に入ったところで服を着替えて、犯行に及んでいたのだともいう。

「……もし悪戯の相手が同性愛者とか両刀遣いだったら、あなたは本当に体を売るつもりだったの?」

 深刻そうに問い質した嶋村さんとは対象的に、相手はキョトンとしている。

「俺は騙すことだけが目的で……ホモっていうか、そういう奴らって、女みたいな格好してるオカマとかじゃないんですか?」

「あのね……男が好みだからって、女の姿していることとは、また別物なのよ」

 いくら中学生とはいえ、あまりの無知ぶりに嶋村さんが困り果てていた。僕も頭を抱えそうになる。

 そういった性的指向と、異性装をして生活している人達との違いを嶋村さんが説明すると、新島の顔が青ざめていく。『男がいい』または『男でも構わない』という相手だったなら、自分がどうなっていたかについて、ようやく考えが至ったらしい。

「そういうことになる前に、姉貴に出会えてよかったです……俺、助かりました!」

 ホッとした新島が感謝を表す。それはいいけど、『姉貴』だけはやめてくれ……今の正直な気持ちだった。

 そこまで僕を慕ってくることに興味を覚えたのか、嶋村さんが理由を尋ねたら、あの夜の出来事を新島が包み隠さず打ち明ける。すねていた自分の気持ちを初めてわかってくれたとか、自分と同じような悩みを抱えた人が他にもいることを気づかせてくれたり、もっと自分を大切にしろと諭してくれて嬉しかったと、熱弁を振るった。

 僕の方を向いた嶋村さんが意味深げに微笑む。

「倉石君のことといい、本当にあなたは自分の体を張って説得するのが得意みたいね」

「そういうつもりじゃなかったんです。ただ僕は……」

「姉貴が俺のためにしてくれたこと、一生恩に着ます!」

 新島が大げさに言いやがった。ますます嶋村さんが笑い出し、僕は完全にバツが悪くなる。

 あの時、新島に話したことの半分ぐらいは、ともみさんと絵舞さんからの言葉を交えており、それがあったからこそ説得に成功したようなものだ。二人には感謝しているけれど、助けてやったこいつがここまでウザい奴とは思わなかった。後悔の念さえ浮かんできたものの、元はと言えばこいつの様子がおかしいことに興味を抱いてしまった僕が、探りを入れてしまったのがきっかけだし、選択を誤ったのは自分の責任でしかない

 続いて嶋村さんが新島に質問したのは、このフェアリーパラダイスで僕がバイトしていることをどうやって突き止めたのか、ということだった。彼曰く、あの夜以来僕の姿をこの街で探していたが、今日の午後になって僕が店のあるビルに入っていくのを偶然見かけて、それで乗り込んできたのだという。

 社交的女子や取り巻き達だけでなく、この新島まで僕をストーカーしてフェアリーパラダイスにやってきたと知って、自分はそういうタイプを引き寄せやすいのかと愕然とした。だが倉石君にもそういう面があったことを思い返すと、何とも言えない思いがしてくる。

 嶋村さんは笑いを収めると、新島を真剣な目で見つめた。

「彼をストーカーするのはいただけないけど、あなたがこの店に『お客様』として来店するなら、あたしは何も言いません。そこだけは、きちんとわきまえてね。わかった?」

「はい! それで姉貴に会えるなら、そうします!!」

「僕……わたくしは、姉貴ではございません」

 嬉しそうな顔の新島に対し、とうとう本音が出てしまった。嶋村さんがクスッとしている。

 これからは、こんな奴まで『御主人様』と読んで接待しなくてはならないのかと思うと、無性に腹立たしくてしょうがない。


 取り巻き達が帰り際に、先程の騒動の件を話題にした。

 彼女達は『新島が女装して悪戯をしていた』ということまではわからなかったものの、『何らかの非行に手を染めていた彼を、僕が説得して更生させた』といった形で解釈しているらしく、口々に褒め称えてくる。

「まるで昔の学園ドラマに出てきた熱血教師みたいに、不良の彼を更生させたなんて、流石は徳田さんね」

「先輩がそこまで体を張れるなんて、本当にすごいです!」

「私も不良少女と呼ばれて、先輩から熱い説得されてみたいです~」

 手放しで称賛してくる彼女達に、複雑な思いで胸が一杯になる。

 もし彼女達が事実を知ったなら、どう思うだろうか。女装はともかく、新島にキスのふりをして『TSウィルスを口移して感染うつしてやった』と脅迫じみたことをしていたとわかれば、倉石君と同様にショックを受けたに違いない。だから詳細を話すこともできず、曖昧な受け答えをするしかなかった。

 あの最中でも爆笑していた社交的女子は、思い出し笑いとともにこんな事を言いやがる。

「『姉貴と舎弟』だなんて、マジで任侠ドラマじゃない。今後はそういう方向性で売り出して、ファン層拡大を狙ってるわけ?」

 何が『売出し』だ。人をバーゲンセールの特価品みたいに言いやがって……しかも新島と抱き合わせ商法だなんて、御免こうむる。

 ともかく、事は犯罪に関わるのだから、一応は新島の人権に配慮して、みだりに口外するなと取り巻き達には言っておいた。同様に社交的女子達にも釘を差したが、彼女らがどこまでそれを守るかについては信用が置けなかった。きっと尾ひれをつけて、面白おかしく触れ回るに違いない。

 そう思うと、月曜に学校へ行くのが億劫になりそうな気分だった。

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