第五十八話

 週末の朝は、厚い雲が空を覆っていた。午後になると、霧のような小雨が降り出してくる。

 陰鬱な夕方のフェアリーパラダイスに、先生が久々に来店した。を提供して応対に当たっていると、今度は倉石君も訪れる。

「お帰りなさいませ」

「……こないだはごめん」

「もうお気になさらず」

 いまだすまなさそうな顔をしている倉石君へ、僕は笑顔で答えた。彼を席に案内して、アイスコーヒーとケーキセットのオーダーを受けて厨房へ伝える。

 一旦店内に戻ってきた時、ドアが大きく開いて新島まで入ってくる。

「姉貴、また来ました!」

「『姉貴』ではございません。お坊ちゃま」

 鬱陶しいほどに馴れ馴れしい新島に対しては、事務的な口調で出迎えてやる。

 社交的女子とは違う意味で、新島を『御主人様』とは呼びたくなかった。嶋村さんには以前、僕より年下の客が来た時は『お坊ちゃま』と呼んでもいいと確認はしていたが、こいつに対してはそれでも過剰な扱いとしか思えない。

 ちらりと倉石君の方に目をやると、以前の夜と同様、激しいショックを受けたような表情をしていた。『なんでこいつがここに!?』と言いたげなのも、手に取るようにわかる。

 そんな新島でも客なのだから追い返すこともできず、なるべく倉石君と離れた席に案内した。その中間に、先生が位置するような形となる。

「今日は姉貴の働く姿を見て、男らしさを学びたいです!」

「わたくしの上辺だけを真似したところで、男らしくなれるとは限りません」

「俺にとって姉貴は、今まで見たこともない男らしさにあふれてますから!」

 新島は、まるで男性アイドルを前にしたファンの少女みたいに瞳をキラキラさせつつ、コスチュームをまとった僕の全身を眺めている。その視線が煩わしい。

 大体『王子様』というのが、『男らしい』か『女らしい』のか僕自身もわからないのに、こいつに何がわかるというのか。

 とりあえず、新島からはチョコレートパフェの注文を受け、厨房に入った。ちょうど倉石君の頼んだ品ができていたので、それを彼の席へと運ぶ。

「お待たせいたしました」

「……あの」

「『何故、彼が?』と、おっしゃりたいのですね。実は……」

 面白くなさげな倉石君に、昨夜の店内における騒動と、その後にわかった新島の話を詳しく説明した。今度は理解に苦しむ顔になる。

「なんでそんなことになるんだ? わけがわからないよ」

「激しく同意です。わたくしにも理解不能です」

 あの夜、新島の様子を探ってみようと言いだした僕を引き止めていれば、こんなことにはならなかったと倉石君は考えているかもしれない。けれど僕がそれをしなければ、新島はもっと悪事を重ねていたのだから、決して口には出せないだろう。

「ご不満なのはわかります。それでも当店においては『お坊ちゃま』として歓迎しなくてはなりません。どうかご理解ください」

「わかってる……君にも立場ってものがあるんだよな」

 渋々ではあったが、倉石君は僕の言葉を受け入れてくれた。


 以後、僕は倉石君と新島を交互に応対した。新島は僕と話ができるだけで舞い上がっていた。対する倉石君は苦々しげな様子が見て取れて、彼に背中を向けていても、その視線が突き刺さってくるのがわかるくらいだ

 そんな僕と二人の様子を、間にいた先生が興味深そうに眺めている。おそらく、ともみさんから新島のことは聞いているはずだから、何か思うところはあるのかもしれないが、口に出しはしなかった。

 しばらくして先生が帰る際、レジ前でともみさんと一緒にお見送りしようとした僕に、こんなことを語りかけてくる。

「いやあ、今日はとてもすごいものを見せてもらった。もし私がBL作家だったら、これだけで一冊の同人誌ほんが書けたかもね」

 先生の言った『BL』が何なのか、わからないでいる僕にともみさんが耳打ちする。曰く『女オタク向けの、男同士の同性愛を扱った作品のジャンル』とのことだ。ということは、TSの僕を間に倉石君と新島がにらみ合う、男同士の三角関係を書くつもりだというのか。

「……まさか先生、本気じゃないですよね?」

 戦慄してしまった僕に、先生は笑って手を左右に振る。

「それはない。私も女オタクだからBLは読んだことあるけど、自分で書きたいとは思ってないから」

 たちの悪い冗談を先生から言われるとは思ってもみなかった。そんな言葉が出てしまうくらい、今日の店内の雰囲気は異常だったのだろう。

 先生が出ていった後、ともみさんがささやいてきた。

「その気になれば、先生もBLは書けるはずだよ。でも、あえて書かないようにしてるんだと思うね」

 続けてともみさんが言うには、BLというジャンルには踏まえなくてはならないお約束が多々あって、それをわずかに外れただけでもBLの読者から不評や反発を買うらしい。それが面倒だから、先生は距離を置いているはずだと締めくくった。

 BLなんて初めて知ったが、いくらTSの僕でも、どうにも興味が持てそうもないジャンルなのは間違いなかった。


 店内に残っている客は倉石君と新島、他に常連の二人組の、合わせて四人だった。

 再び僕は新島の相手をする羽目になった。こいつは口元にクリームを付けたまま、嬉しそうにはしゃいでいる。

「姉貴の働く姿って、体は女でもマジ男らしくて、カッコいいです!」

「ありがとうございます」

「俺も姉貴みたいになりたいけど、どうすればいいでしょう?」

「わたくしはわたくし、お坊ちゃまはお坊ちゃまです。前提が違います」

 たしなめてはみたが、新島には効いているようには思えない。そこへ、手の空いたともみさんと絵舞さんがやってきた。

「キミのことを知ってから、話がしてみたかったんだ」

「私もお坊ちゃまのことが、とても気になるんです」

 新島を笑顔で見つめる二人の目には、好奇心の彩りがあった。こないだ二人と、新島が起こした事件について話し合ったことが思い出される。あの時はともみさんも絵舞さんも、それぞれに意見を口にしていたが、その当人が現れたとあっては興味が抑えられないのだろう。

 そんな二人に対して新島は、いかに僕が男らしくて憧れの存在であるかを、嬉々として喋りまくった。微笑ましく話を聞いていたともみさんは、一段落ついたところで、切り込んでくる。

「ところでキミ、もう一度女装をしてみる気はない?」

「ええっ!?」

 驚天している新島に、ともみさんはこんな問いを投げかける。

「キミが女装して人を騙していたことと、ここでボクが男の娘としてメイドをしていることとの、最大の違いがわかるかい?」

「俺がやってたのは悪いことで……」

「そう、悪いことだ。それのどこが悪いかと言うと、キミはただ人を騙してばかりだったことだ。でもボクは違う」

「何が違うと?」

 新島が問い返すと、ともみさんは親指で自分を指す。

「ボクが男の娘を演じているのは、お客様を喜ばせるためさ。確かに女じゃないけど、それでも店に来た人達は騙されたと怒らずに、しかもお金まで払ってくれる。それがボクとキミの違いだ」

「別に俺、男の娘になりたいわけじゃ……」

「キミは、自分が女みたいな顔だからバカにされてると思っているようだけど、それも違う。何故なら今のキミには、女顔である以外に何もないからさ……かつてのボクみたいにね」

 女顔で悩んでいたともみさんが、高校時代の演劇部で女装をしてから周囲の態度が変わったことで、初めて自分の顔を気に入ることができた……という話を聞かされた新島は、考え込むような表情になっていた。TSの僕よりも自分に身近だから、なおさら心にしみるのだろう。

 ともみさんが新島の肩に、ポンと手を乗せる。

「善悪の区別はついていなかったけど、知らない人の前に女装して出ていくだけの度胸が、キミにはある。それを生かして、今度こそ人を喜ばせるための女装をするべきだ。そうすれば、今は何もないキミの内面にも自信が芽生えるはずだよ」

「そう言われたって……もう女の格好はしたくないです」

「あえて逆境に身を置くことで、自信をつけるという方法もあるんだ」

「でも、女装は男らしくないことで……」

「何を言う。女装というのは、最も男らしい行為なんだ。何故なら、女が女の服を着ても女装とは言わないだろ? だから女装は男しかできないことなのさ」

 以前僕に対して語った屁理屈を、まさかここで繰り返すとは思わなかった。それが新島にどれだけ響くかは、よくわからないけれど。

「お坊ちゃまは、今でも自分の顔が嫌いですか?」

 絵舞さんが新島の顔を覗き込む。新島も、間近で見る絵舞さんの美貌に見とれているようだ。

「嫌いっちゃ嫌いですけど」

「自分を好きになれないのは辛いことでしょう。だから自棄になって、あのような行為をしてしまったのはわからないでもありません。今のお坊ちゃまに必要なのは、自分を見つめ直すことです」

「自分を、ですか?」

「はい。一旦は好き嫌いを離れて、自分を見つめるのです。たとえ女みたいでも、自分の顔に変わりはありません。むしろそんな顔だからこそ、できることがあると考えましょう」

「俺に何ができるんでしょう?」

「お坊ちゃまは、自棄で自分の顔を悪用していた。今度は冷静になって、その顔を正しい目的のために使うのです。これはともみさんの言う、人を喜ばせるためということにも繋がります」

「……つまり女装しろと?」

 やっと真意に気づいてたじろぐ新島に、絵舞さんが満面の笑みでうなずく。

「顔や容姿も、その人が持つ才能の一種です。そんなあなたの才能が花開くためならば、私はいくらでも助力を惜しみません!」

「そんな才能なんか欲しくないです!」

 右からはともみさん、左からは絵舞さんという、両脇から再度の女装を迫られた新島は、正面の僕に向かって助けを求めてくる。

「姉貴! 俺は男らしくなりたいのに、なんでまた女装しなきゃならないんですか!?」

「わたくしもTSになる前は、自分が男らしいのか、男らしさとは何なのかを考えることはありませんでした。TSになったからこそ、それらについて考えざるを得なくなったのです」

 性懲りのない新島を相手にしていると、あえてでなくても心が鬼になっていくのを自覚する。

「お坊ちゃまもTSになれ、とは申しません。ですが男の娘になることで、自分の男らしさについて考えるようになるのであれば、それは素晴らしいことだと思います。少なくともわたくしのモノマネをするよりは、遥かにマシでしょう」

「そんなぁ~!」

 新島が悲鳴を上げた。ともみさんと絵舞さんが左右から挟み込んで、あの手この手で誘惑を仕掛ける。

「ボクがキミに男の娘の何たるかを叩き込んであげよう!」

「私に任せていただけたら、もっと可愛らしさを引き出してあげますわ!」

 どうやら二人にとって新島は、TSである僕以上のおもちゃに思えているようだ。今までこいつは女装で人を騙していたのだから、罰として男の娘の二人から性根を叩き直してもらうがいい。

「もしかしてオレ達は、新たな男の娘が誕生する瞬間を目の当たりにしてるのか?」

「ともみちゃん、絵舞さん、王子様とは違う、ワイルドで活きが良い男の娘メイドが将来登場するかも? 期待が高鳴るな~」

 よっしーさんとオカチャンさんが、勝手なことを口にしていた。もし新島が男の娘メイドとして僕の同僚になったら、鬱陶しすぎて仕事にならないと思う。そんな未来が現実にならないことを、願わずにはいられない。


 新島の相手を二人に任せて、僕は倉石君の席へと向かう。

「お待たせしました。それと、お騒がせして申し訳ありません」

「うん……なんて言うか、君も結構残酷なところがあるよね」

 新島に対する僕の態度に、そんな印象を抱いたようだ。

「先程は『歓迎しなくてはならない』と言いましたが、相手が相手だけに、そうならざるを得ません。こんなわたくしはお嫌いですか?」

 一応は不本意であると強調した。倉石君は苦笑いになる。

「いや、君の新たな一面を見ることができた……とは思ってるよ。王子様だけじゃないんだって、わかったし」

「お気遣いいただき、ありがとうございます」

 少なくともネガティブに捉えなかった倉石君に、改めて一礼する。

「姉貴、助けてくださーい! 俺、男の娘なんて嫌だ~っ!!」

 背後で響く新島の叫びを、僕はことさら無視してやった。

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