第二章 王子様と御主人様

第一節 男の娘メイド達

第十八話

 フェアリーパラダイスで店内デビューしてから、一週間が経った。新人である僕はともみさんと行動を共にしていたから、自然に会話が増えていった。

 開店前、少し遅れて出勤した僕は、更衣室のドアをノックした。ともみさんからの返事がある。

「どうぞー」

 中へ入ると、ともみさんは着替えの途中だ。スポーツタイプのグレーなブリーフに、同色のブラジャーまでつけている。僕みたいにバストがあるわけじゃないのにブラもつけているのは、男の娘メイドとしての努めでもあるんだろうか。

 隣で僕も制服を脱いで、『王子様』のコスに着替えていく。下着も気になったけど、ともみさんの体つきにも目を引かれた。細身だけどよく引き締まっているし、薄っすらと腹筋も見えている。

「引き締まってますよね、体」

 感心するように言ったら、ともみさんは僕を見てニヤリと笑う。

「ジムに通って鍛えてるからね。メイドもコスプレも体力勝負だよ」

 ドヤ顔でガッツポーズを取ると、可愛い力こぶが二の腕にできていた。


 体力を自慢するだけあって、ともみさんの仕事ぶりはパワフルだ。トレーに料理を載せて運ぶ姿もキビキビしてるし、客が帰ってからの後片付けも素早く行う。

「ボクは今季のアニメだと〇〇の☓☓ってキャラが好きですけど、御主人様は誰のファンですか?」

「俺は△△が好きですね。特に☓☓と絡む時は、互いの魅力が引き立つような感じがして」

「ああ、わかる。その子もいいですよねー」

 しかも二次元オタクの知識を生かしたトークで、常連だけでなく初めて来店した客まで盛り上げてくれる、バイタリティに溢れた人だ。

 まだ新人の僕としては、そんなともみさんを見習いたいとは思うけど、中々上手くいかないところがある。今のところは『王子様』というキャラになり切るだけで精一杯といった感じだ。

「……ご注文の方は、以上でよろしいでしょうか?」

「はい、お願いします」

「承知いたしました。御主人様」

『承知』だなんて、今までの人生で口にしたこともない言葉だった。まだ『かしこまりました』の方が言いやすいのだけど、『王子様は硬い敬語を使う』という設定上、それを使うしかない。

 このフェアリーパラダイスという店が『男の娘メイド喫茶』なのに、僕が『王子様』というキャラを演じていることに疑問というか、ツッコミを入れてきたのは常連の二人だけで、他の客は特に気にしてはいないようだ。時折、女性の客から『カッコいいですね』とか褒められたりするけど、その時は王子様らしく余裕のある笑顔で感謝を述べるようにはしている。


 その日の夜、『先生』が久しぶりに来店した。

「お帰りなさいませ、先生」

「きたわよ」

 出迎えた僕に片手を上げると、先生はいつもの予約席に腰を下ろす。背負っていたリュックは新しい物に変わっている。

『予約席』という立て札を置いてはあるものの、先生自身が予約を入れてからフェアリーパラダイスに訪れるというわけではない。なのに、わざわざそういう設定をするのは、先生がいつ来店しても確実に座ってもらうための、店側の配慮だった。だから、どんなに店内が混雑しても、その席に他の客が座ることはない。

 今夜の先生はノートPCを取り出さず、スマホをいじっていた。執筆していた小説が締め切りに間に合ったみたいだから、余裕があるようだ。シナモンミルクティーを提供すると、穏やかな表情でゆっくりと味わう。

「どう、仕事には慣れた?」

「はい、お陰様を持ちまして」

「よかった。君みたいな人を見つけてくるなんて、店長さんも流石よね」

「偶然とはいえ、わたくしも店長さんと出会えたことには感謝しております」

 さり気なく会話を続けつつ、僕の中で先生への疑念が消えないでいる。

 この人はどうして、僕がTSだってわかったんだろう。嶋村さんだって、男の娘だと勘違いしてたくらいなのに……口に出して質問してみたい気持ちは、今でもあった。だけど店の中では、客との間でプライベートなことを話してはいけないというルールがある。それを破るわけにもいかないし、もどかしくはある。


 閉店後の後片付けの時、ともみさんに僕と先生との間で起こったことを話してみた。ともみさんは先生のサークルに所属しているそうだし、付き合いも長そうだから、なにかわかるんじゃないかと思ってのことだ。

「先生はボクや絵舞ちゃん以外にも、昔この店で働いてた人やコミケのコスプレ関係で男の娘をたくさん見てきたから、そんな人達とキミでは、なにか違うって直感したんじゃないかな」

 椅子を逆さにしてテーブルの上に乗せながら、ともみさんは答えてくれる。

「先生って、そんなに男の娘に詳しいんですか?」

「そうだよ。じゃなきゃこの店のことを小説に書いたりしないし、ボクをサークルに入れたりしないって」

「それにしたって、TSだと見抜いたのは、やっぱりすごいです」

「うん、ボクも初めてキミを見た時は、マジで『女子校の王子様』みたいな男の娘だなって思ったし」

 王子様はともかく、ともみさんみたいに思うのが普通なんだろう。それと、先生が男の娘に対しても造詣が深いということだけはわかった。

 モップで床掃除をしていると、ともみさんがふと手を止めて、なにか考えるような顔をする。

「今、思ったんだけど……もしかすると先生は、キミ以外のTSと出会ったことがあるのかもしれないね」

「つまり、僕とその人が似ていたと?」

「実際のところはわからないよ。そういう可能性があるってだけさ」

 三十年前に、朝おんによってTSになった人が初めて現れて以来、毎年十数件は発生していると、僕は大学病院で聞かされた。決して数は多くないけど、歴史は長いのだし、どこかで先生がTSと出会っていた可能性はありえる。現に僕の担任は、二十年前のことだけど、かつてのクラスメイトがTSだったと言っていた。

 テーブルをわずかにずらすと、脚元にほこりが溜まっていた。モップで拭いた後、僕はともみさんへと顔を向ける。

「こればっかりは、先生本人に聞くしかないみたいですね。でも、店の中で聞くのはルール違反だし」

「なら、店の外で質問してみるっていうのはどうだい?」

 直立させたモップの柄の上に両手を置くと、ともみさんは口元をニヤつかせる。

「店内だと御主人様とメイドだから聞けないわけで、店外でそれ以外の関係になれば聞きやすくなるだろ?」

「例えば?」

「そうだな、先生のサークルに入って、コスプレや売り子を担当するとかね」

 その話に繋げてくるとは、やっぱりともみさんは僕をコスプレ趣味に引きずり込みたいらしい。

「いや、そこまでしたいわけじゃないんですけど」

「キミのプロポーションは、この店で王子様やるだけじゃもったいないよ。もっと有意義に活かさなきゃ」

「僕はこの店だけで十分です」

「そうだ。今度先生に頼んで、男装の麗人キャラを小説に出してもらおうよ。そうすればキミだってコスプレしやすいだろ?」

「そういうことじゃありません! 僕は……」

「二人共、いつまでもふざけてたら、掃除が終わらないわよ」

 ムッとした顔の嶋村さんが仁王立ちしていた。背後で絵舞さんが、困ったような笑顔をしている。

 一瞬でしおれたともみさんと僕は、残りの床掃除を急いですませるしかなかった。

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