第十九話
新人の僕はともみさんと一緒に行動することで、メイドとしての仕事を覚えていったが、絵舞さんからも教わることが多かった。
オムライスにケチャップでの装飾や、ケーキのプレートにチョコレートペンでのお絵描きにラテアートなど、店内でのサービスについては絵舞さんが得意とするだけあって、丁寧に指導してくれた。他に身だしなみとメイクの仕方も、絵舞さんに大分お世話になっている。
余談だけど、メイクに関しては、ともみさんがこんな事を言っていた。
「ボクはコスを作ったり、映えるポーズを考えるのは得意だったけど、メイクはずっと自己流でうまくできないこともあったんだ。でも絵舞ちゃんが来てから、色々教わって、すごく上達したと思ってる」
店では先輩でも、ともみさんは絵舞さんに一目置いているらしい。
僕にとっても、絵舞さんはともみさんと同様、頼りになる先輩だ。二人はキャラや仕事ぶりが対照的で、しかも互いを引き立て合うような関係でもあり、それが客に対して強くアピールできているのはすごいことだと思う。店長の嶋村さんが、二人が一緒に働いてくれることに感謝しているのも当然だろう。
それに比べて、まだまだ僕は仕事に慣れていないし、王子様としてもキャラが弱い部分がある。あの二人と肩を並べるのは容易ではないだろうけど、いつかはそんな日がくればいいなと思いつつ、今夜も僕はフェアリーパラダイスで仕事に励むのだ。
常連の片割れ一人を前にして、絵舞さんが色紙に似顔絵を描いていた。美形に見えるようデフォルメはしてあるけど、相手の顔の特徴はよくとらえている。
「お待たせしました。こちらが出来上がりです」
嶋村さんが事務室から、プリントアウトした写真を持ってきた。絵舞さんと常連のもう片方によるツーショットである。受け取った彼が、目を細めて喜ぶ。
「絵舞さん、写真にしても映えるなぁ~!」
「ありがとうございます……はい、こちらも出来上がりました」
「うぉぉ! 絵舞さんからイケメンなイラストにしてもらえて嬉しいぜ~!!」
完成した色紙を渡されて、モデルになった彼もご機嫌である。
この日は常連の二人が、満点になったポイントカードで、絵舞さんからの特別サービスを受けたのだった。
常連でもあるこの二人組は、ほぼ毎日フェアリーパラダイスに顔を出す。開店から閉店まであれこれ注文して粘り続けることもあれば、ドリンク一つだけ頼んで三十分で引き上げる時もある。そして時間に関係なく、男の娘メイドとのおしゃべりを楽しんでいく。
上得意の客だけあって、ポイントカードが満点になった回数も十回以上はあるみたいで、過去にフェアリーパラダイスで働いていた男の娘メイドからも特別サービスを受けてきたと自慢しているほどだ。
どこまで男の娘メイドが好きなんだろう……とTSの僕は思うのだが、二人は男の娘と会話すること自体を心から楽しんでいるようで、メイド達のプライバシーには一切触れないというルールを完璧に守る、ある意味紳士的な態度を貫いている。だから僕がTSであっても、それをこの店でのキャラとして受け入れているのだろう。
満足したはずの二人組は、会計をすませて退店していく。絵舞さんと一緒に見送る僕に、何故か二人は未練がましい目線を送ってくる。
「今回は諦めたけど、またポイントがたまったら、今度こそ壁ドンしてもらうぞ!」
「そのためだったら、天変地異が起きても必ず来店してやる!」
「申し訳ございませんが、わたくしの壁ドンは女性の御主人様専用となっております。どうかご容赦ください」
「くうぅぅ~」
「本日もご利用いただき、誠にありがとうございました。では、いってらっしゃいませ」
悔しげにうめきながら二人が出ていった後、執念深さに呆れていた僕に絵舞さんがクスッとした笑みを浮かべる。
「あのお二人からも、かなり気に入られているみたいですね」
「それはいいんですけど、やっぱり壁ドンは恥ずかしいです」
今のところ、僕に対して『壁ドン』のリクエストはない。女性客には、あの常連ほどポイントをためている人は、まだいないということなのだろう。
今夜の仕事が全部終わると、僕は絵舞さんと更衣室で着替えをした。そこで軽く聞いてみる。
「絵舞さんは、昔から絵の勉強とかしてたんですか?」
「母が画家で、幼い頃から習っていたんですよ」
英才教育を施されていたのなら、あれだけ絵がうまいのも納得できる。
メイド服を脱いだ絵舞さんの下着姿を、横目でチラリと見た。ともみさんと違ってブラジャーではなく、ブラの下にスカートみたいな長い裾の付いた下着を着ている。後で知ったが、キャミソールというものらしい。
絵舞さんのそれは薄いピンク色で、花柄で装飾された可愛らしいデザインをしている。しかも僕がつけてる安物のブラより、ずっと高級そうな生地でもあった。
私服に着替えると、絵舞さんはハンドバッグを取り出す。中に入っていた長財布の中身を確認したり、スマホのメールとかをチェックしている。僕は女性の小物等に深い知識はないけど、バッグも財布も高級そうなブランド物に思える。
帰り道の途中で僕は、何故か絵舞さんのことばかりを考えていた。
絵舞さんの下着や私物などを見る限り、どれも高級そうな物ばかりだった。きっと家はお金持ちだろうと想像はできる。でも、どうしてそんな人が男の娘メイド喫茶でアルバイトなんかしてるのか、疑問に思う。
僕みたいに貧乏で、しかも他の場所では採用してもらえないからというわけではあるまい。むしろ、自分から押しかけて嶋村さんに雇ってもらったとか言っていたから、男の娘メイドそのものをやりたくてやっているということなんだろうか。
コスプレが趣味のともみさんは、その延長で男の娘メイドをしていることが容易に理解できた。絵舞さんには絵舞さんなりの、お金以外の理由があって、フェアリーパラダイスで働いているのだろう。結局、人それぞれに理由があるのだと、僕は考えることにした。
そんな僕達を雇う立場である、店長の嶋村さんなら『働く理由がどうあれ、お客様を喜ばせることが一番よ』と言うに違いない。
「コーヒーを飲みましょう」
次の日の勤務中、僕が更衣室で休憩していると、嶋村さんがトレーにカップを二つ乗せて入ってきた。
この人は他人がいない事務室で仕事をしている時も、『コーヒーを飲みましょう』と独り言してから、コーヒーを飲んでいるに違いない。この時の僕には、そんなイメージが浮かんだ。
美味しそうにコーヒーを飲む嶋村さんの表情には、嬉しげな気配がある。なにかいいことでもあったのだろうか。
「さっきまでオーナーと電話でお話してたの。あなたを雇ったことを含めて、色々報告したわ」
「オーナーって、この店の持ち主ってことですよね?」
「そう。あたしはその人から、店長としてここの経営を任されているの」
嶋村さんから、オーナーについての話を聞かされた。名前は『
「すごく信頼されてるんですね」
感心していたら、嶋村さんはちょっと眉根を寄せて苦笑する。
「ここを任されてから、ずっと順風満帆だったわけじゃないのよ。時には経営が苦しくて、オーナーに報告する時は申し訳なくて……それでもあの人が、あたしを信じてくれてたのは嬉しかったけど」
「そんな過去があったんですか」
「でもね、経営がどん底に陥りそうになると、ありがたいことに救いの手が入ってくるのよ。例えば、先生が小説で店のことを取り上げてくれて、それでお客様の数とか売上が一気に右肩上がりしたわ」
ともみさんが前に言っていたことだ。だから先生を特別待遇するわけだ。嶋村さんは、しみじみとした喜びを声に表す。
「それに先生の紹介でともみちゃんを雇ったら、すごく人気が出ちゃって、リピーターもいっぱい増えたのよ」
「あの人も、そこまで貢献してたんですね」
「その人気が落ち着いてきて、また売上が下がった頃、今度は絵舞ちゃんが現れたの。今まで雇ってきたメイドとは全く違うタイプの男の娘で、清楚で礼儀正しいところが新たな人気になったのよ」
絵舞さんの話が出て、僕は昨夜の帰り道で考えていたことを思い出し、こう質問してみる。
「変な言い方ですけど、絵舞さんていいとこのお嬢様って感じですよね?」
「そうね、オーナーみたく一代で資産を築いたんじゃなくて、先祖代々のお金持ちだって聞いたことがあるわ」
なるほど、嶋村さんがそう言うからには、やはり絵舞さんはお金持ちの令嬢……じゃなくて、子息なんだ。
他にも嶋村さんは、コックの上堂さんもオーナーの推薦で雇っていると話してくれた。料理の腕を見込まれてのことだと言う。
「あなたのことを報告したら、オーナーはとても興味を示したわ。いずれ来た時には、正式に紹介してあげるわね」
嶋村さんはコーヒーを飲み干す。
オーナーの存在を初めて知った僕は、確かに興味をひかれた。一代で資産家になるくらいだから、摺沢さんという人はやり手のビジネスマンといった印象を受ける。同時に、オーナーのことを話す嶋村さんの様子が、とてもウキウキしたものに感じられる。
嶋村さんと摺沢さんが、どういう経緯で知り合って関係を築いてきたのかは、よくわからない。でも彼女はオーナーに対し、なにか特別な感情を抱いているのではないか……僕にはそう思えてならなかった。
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