第三章 王子様を追いかけて

第一節 取り巻くトラブル

第三十二話

 僕が朝おんしてTSになってから、女子の制服姿で学校に通いだして、そろそろ三ヶ月が経とうとしている。

 その間に、フェアリーパラダイスにおいて男の娘メイドとしてバイトも始めたわけだが、自分としてはそれとこれとは別の物事であり、決して干渉し合うことはないと思いこんでいた。だが最近になって、その境界が曖昧になっていることを突きつけられる羽目になってしまう。


 僕に届く女子からのラブレターも、最近は激減していた。前にも言ったように、一応は持ち帰って目だけは通すものの、僕からは一度も返信やリアクションをしなかった。そういった態度を貫いていれば、いずれは諦めてくれるだろうと思っていたが、それでも週に一度は下足箱の中に、手紙が入っていることもある。

 で、ラブレターとなれば、当然のようにあの女が顔を出す。

「久しぶりだね~。まだまだ人気あるじゃん」

 朝の昇降口で、社交的女子がニヤリとしていた。以前みたいに一度に何通も入っていた時と比べて、それほど面白がってはいないみたいだが、見ればやはり食いついてくる。条件反射みたいなものだろうか。

 バッグに手紙をしまいつつ、軽くため息をつく。

「いい加減、諦めたらいいのに」

「自覚ないみたいだけど、女のあんたって、そんなに評判悪くないんだよね。むしろ最近は上昇気味だし」

「こっちは何もしていない」

「色々やってるじゃない。お・う・じ・さ・ま」

 嫌味っぽく呼びかけてくる彼女を、僕は横目で睨む。

「まさか、バラしてないだろうな?」

「あんたとの約束があるから、私達からは口外しないけど」

 社交的女子が僕の全身を、意味有りげな視線で舐め回すように眺める。

「そうやって無自覚にの気品を漂わせてたら、同じようにあんたの秘密を探ろうとする子だって、いつかは出てくるかもよ。それでバレても、こっちのせいじゃないからね」

 そう言って責任回避しようとしているが、この女の口の軽さには定評がある。暴露とまでは行かなくても、調子に乗って口を滑らせてしまうことだってあり得る。用心しておくに越したことはない。


 休み時間に教職員用のトイレで用を済ませた僕が、教室に戻るべく廊下を歩いていると、ある生徒から遠慮がちに話しかけられた。相手は隣のクラスの女子であり、言うまでもないが、今まで一度も会話したことはない。

「徳田さん……女の体になってから、ずっと大変だったんじゃない?」

「まあね。でも最近は、やっと慣れてきたから」

 TSになった直後は、いろんな女子から口先だけの同情を寄せられたものだが、今になってこちらを労るようなことを言われるとは思わなかった。意外に感じている僕に、彼女はやや思いつめた表情をしてみせる。

「実は私、あの頃からずっとあなたのことが気にかかってて……なんとか力になれたら、とか思ってたんだけど」

「そう言ってくれるだけでも、ありがたいな」

「でも大したことはできないし、せめて気持ちだけでも伝えようと思って。それじゃ頑張ってね」

 最後は笑顔で、彼女は僕から去っていった。廊下の向こう側に友達らしき女子達がいて、合流した彼女をはしゃいで迎え入れている。

 これはあれか? 友達の間で、嫌いな男子に告白させるとかいう罰ゲームだったのか……かつて、ハンカチを拾ってあげただけでキモい奴扱いされたことを思い出し、そう疑ってみたのだが、向こうにいる友達は健闘を称えるように彼女の肩に手を置いたりして、悪ノリとかでふざけているようには見えない。

 まさか本気で、自分の思いを伝えたかったとでもいうのか。だとしたら、なんで今頃なんだろう。腑に落ちないでいる僕に、社交的女子の友人Aが通りがかりに声をかける。

「そろそろ授業始まるよ」

 こいつに見つかったということは、社交的女子にも筒抜けということを意味する。またあいつからの、からかいの種にされるのかと思うと、軽く憂鬱になってしまう。


 今日の体育は、晴天下の校庭で長距離走をやらされた。半袖の体操着でトラックを走っている僕を、男子達が追い抜く時に、横目でバストの揺れを眺めているのがわかった。もう毎度のことだし、男の本能みたいなものだとわかっているが、そんなあからさまに見ることはないだろうとは思う。

 授業が終わり、屋外の洗面台で汗とホコリを洗い流していると、今度は後輩の女子が素早くやってきて、さっとミニタオルを差し出す。

「これ、どうぞ!」

「あ、ありがとう」

 思わず手に取った僕は、そのまま水滴をふいてしまった。彼女は照れくさそうに微笑んでいる。

「それは私からのプレゼントです。これからも使ってください」

「君からこんな物をもらう理由がないんだけど?」

「いえ、大したものではありませんから……失礼します!」

 現れた時と同様の素早さで去っていく彼女を、ミニタオルを手にしたまま見送った。そんな僕の近くで、社交的女子の友人Bが口元に手を当てて微笑んでいる。

「可愛らしいプレゼントね」

 またしても、あの女を面白がらせるネタができてしまった……それはともかく、この友人Bの仕草は絵舞さんの真似なんだろうが、男の娘と女の差以上に、素材と育ちの違いがありすぎて、優雅さがまったくないと思わざるを得ない。


 フェアリーパラダイスへ出勤する途中、人通りの多い繁華街を歩いていた時のことだ。

 急に背後から風が吹き付けてきたので、とっさにスカートの裾を押さえつけた。前から歩いてきたサラリーマンが、少し残念そうな顔で、僕の脇を通り過ぎる。あの様子だと、中までは見られなかったようで、少しホッとした。

 あの男の、パンチラが見られなくて残念という気持ちはわかないでもないけど、こっちだってそう安々と見せるわけにはいかないんだ。いくら僕が元男でも、羞恥心はあるのだから……ふと視界の中に、ランジェリーショップのショーウィンドウが入る。近寄ってみると、黒生地で丈の超短いスパッツみたいな物が展示してあった。

 それは『インナーパンツ』という商品で、さらに『見せパン』とか『パンチラ防止用に』といった手書きのPOPが添えられている。

 なるほど、これをはけばパンチラしても平気なのか……と思いかけたけど、男というのものは、スカートの中が覗けるならば、それがショートパンツでもアンスコでもスパッツでも水着であっても、とにかく嬉しいと思うことはわかっている。女の言う『下着じゃないから見られても平気』というのは、男の心理をよく知らない、勝手な思い込みでしかない。

 自分からスカートの裾をたくし上げて見せつけるならともかく、不意にパンチラしてしまった時、この『インナーパンツ』をはいていれば、下着そのものを見られるよりは、まだマシなのかもしれない。それなら、今度給料が出たら買ってみようかな……そう考え直すと、僕はランジェリーショップの前から立ち去る。


 今夜のフェアリーパラダイスには、二名の女子高生が連れ立って来店した。見かけたことのないセーラーの制服だから、おそらく別の街から来た客なのだろう。

 応対した僕に、彼女達は面白そうな表情で問いかける。

「王子様って、本当に男の娘なんですか?」

「わたくしは朝おんでTSになったために、王国を追放されてしまい、この店でメイドをしております」

 店内デビュー以来、何度もされた質問に、定番の答を笑顔で返す。

 二人は、僕の『王子様』というキャラが気に入ったのか、色々と話しかけてきた。客を喜ばせるのもメイドの仕事なのだから、こちらも丁寧に対応する。それと合わせて、ケーキと飲み物を堪能した彼女達は、ずっとご機嫌な様子だった。

 最後に会計していた時、二人が携帯電話を取り出して尋ねてくる。

「王子様の番号、教えてよ」

「今度連絡するからさ、いいでしょ?」

「申し訳ございません。店内のルールで、そういったプライベートなことを教え合うのは禁止となっております。ご理解ください」

 これも定番と化している説明に、彼女達は不満そうに口を尖らせた。

「そんなカタイこと言わないでよぉ」

「もっと王子様と話したいのに~」

「わたくしの仕事は、お嬢様方と対面して、誠心誠意のおもてなしをすることです。携帯電話を通じての、文字や声だけでは、それが伝わらないと考えております」

 まだ腑に落ちないでいる二人へ、さらに言葉を続ける。

「お嬢様方が、またこの店にお帰りなされた際は、面と向かって、お尽くしいたします。それがわたくしの喜びでもあります」

 普段の自分なら、絶対に口にできない巧言令色だったが、今の僕は『王子様』なんだから、ここまでリップサービスしてもいいだろう。それにこれだって、給料の内に入るはずだ。

 一瞬、彼女らはポカンとしたものの、やがてクスクスと笑い出す。

「ここまで完璧に王子様なんだ……ヘンなこと言ってごめん」

「じゃ、今度来た時はまたサービスしてね!」

 納得した二人が携帯をしまったところで、僕は新規のポイントカードを差し出し、次回の来店には持参するようにと説明する。

「では、お嬢様方。いってらっしゃいませ」

 お見送りした後、一緒に立っていた絵舞さんが、こちらに微笑んでくる。

「今のあしらい方は、とても王子様らしいと思いました」

「なんか歯が浮くっていうか、詐欺師にでもなったような気がしないでもないです」

「そうではありません。私達はエンターテイナーなのですから、御主人様に喜んでいただくことが大事ですよ」

 絵舞さんの言葉を聞いて僕は先日の、ともみさんが男の娘に目覚めたエピソードを話してくれた時のことを、思い出していた。

 男の娘であるともみさんは、女装をすることで客を喜ばせている。同様に、TSの僕は王子様として、客をもてなそうとしている……いつの間にか僕も、ともみさんから影響を受けていたことを、いまさらだけど実感させられた。


 この店で一番のエンターテイナーであるともみさんは、今夜も常連の二人組と盛り上がっている。

「『ぼく、男の娘だよ。それでもいいの?』っていうセリフは、『あなたさえ良ければ、男の娘のぼくを受け入れてください』という、男の娘からの恥じらいにあふれた告白なんですよ」

「相手が抱く『自分はホモなのか?』という苦悩を理解しつつ、『それでもあなたが好きです』といった具合に、相手のすべてを受け止める、男の娘なりの愛情の深さというべきだね」

「激しく同意! たとえ相手が脂ぎった中年オヤジでも、冴えないキモオタでも、そういう告白をした男の娘は幸せになるべきだ」

 ともみさん達が男の娘について、熱く語り合っていることはわかる。けど、その内容はTSである僕にはマニアック過ぎて、理解に苦しむものであった。

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