第三十三話
翌朝、下足箱の中に入っていたのはラブレターではなく、十センチ四方の小さな包み紙だった。触った感じの厚みと柔らかさから、どうもハンカチらしい。その上に、『これを使ってください』と書かれた付箋紙が貼り付けてある。
手紙ならともかく、ミニタオルやハンカチなどの品物となると、僕としても受け取るのに気兼ねがあった。
「昨日の件で、あんたには手紙より物の方が喜ぶって、わかったんだね」
友人Bと情報を共有している社交的女子が、納得したような顔をしていた。
「こっちは、何か欲しいなんて言ってないぞ」
「でも、ありがたく受け取ったんでしょ? 今度からはプレゼント攻勢が始まるね~」
この女は、またも予言した。しかもかなりの高確率で的中しそうだから、そのドヤ顔を合わせて、ムカつきが倍増する。
いくら僕が貧乏でも、知らない相手からただで物をもらうなんて、まるで本当の乞食になったような気もする。かといって、突き返すこともできないから、余計にモヤモヤするのだった。
最悪なことに、社交的女子の予言は早速というか、その日の内に的中した。
昼休みの廊下を歩いていると、消え入りそうな声で『先輩』と呼びかけられた。声の方を向くと、またしても見知らぬ後輩の女子が、心細そうに立っている。
「あの……これを、受け取ってほしいんです」
恐る恐るといった感じで差し出してきたのは、丁寧に折りたたまれた新品のミニタオルだった。昨日、別の後輩からプレゼントされたばかりなのに、また同じような物をもらうとなると、うんざりしそうになる。
「気持ちはありがたいけど、君からそういう物をもらう理由はないし……」
断りかけたら、相手は今にも泣き出しそうな顔をする。
「……あの子からは受け取っても、私からじゃ受け取れませんか?」
ウゼェ……泣き落としかよ。こっちは何もしてないっていうのに、これじゃ僕が悪者になってしまう。
ため息を盛大に吐き出してから、なんとか作り笑いを浮かべてみる。
「わかった。今回は受け取ろう」
「あ、ありがとうございますぅ!」
涙目だったはずが、一気に瞳を輝かせて、彼女はミニタオルを押し付けてきた。それを受け取りつつ、真顔で忠告する。
「ただし、二度とこんなことはしないでくれ。僕は乞食じゃないから、他人からただで物をもらうことは、とても心苦しいんだ。いいね?」
「はい。受け取ってくれただけで、嬉しいです」
安堵と歓喜が混じり合った表情で、彼女はうなずいた。ふと視線を上げると、廊下の突き当りの角で、社交的女子と友人A・Bの三人が、こちらを見てニヤついてやがる。
あいつらは予言が当たって面白いんだろうが、こっちは今後も面倒が続くことは明らかだ。『他人の不幸を面白がってんじゃねーぞ』と、怒鳴りつけてやりたい衝動にかられてしまう。
以後も、社交的女子の言う『プレゼント攻勢』は続いた。
登校すれば、下足箱にはハンカチなどの小物類が届けられている。いくらハンカチだからって、そう何枚も必要なわけじゃないし、手紙みたいに一度読んで終わりというわけにもいかないから、始末に負えない。
また、体育の授業後に、洗面台で顔を洗っていると、いつの間にか背後にタオルを持った、他のクラスの女子が控えていたりする。
「お疲れさま。これでふいてね」
「……ありがとう」
拒絶すれば、また泣き落としされるか、陰で悪評立てられるかもしれなかった。せいぜい、さり気なく受け取ることしかできない。そんな僕と女子のやり取りを、社交的女子達だけでなく、男子達もニヤニヤしながら眺めている。
さっきの授業中では、僕の胸や尻に目線を送って、鼻の下を伸ばしてたくせに……こっちはお前らを面白がらせるために、TSになったわけじゃない。腹立ち紛れに視線をそらしたら、かつて僕に朝おんの噂を教えてくれた、男友達と目が合ってしまった。
彼は無表情だったが、僕からの視線に気づくと、気まずそうに顔を背けてしまう。
あいつだって男だもんな。他の奴と同様、僕をエロい目で見てるんだろう……そう思うと、彼を含めた学校の男子全員に対し、疑いの目を向けてしまいたくなるのだった。
放課後、当番となっていた視聴覚室の掃除を終えて、教室へ戻ろうとしていた時のことだ。どこかから女子達の声が聞こえてくる。
「……あんた達、徳田さんに抜け駆けしないでよね!」
僕の名前が出たことと、難詰するような口調が気になり、立ち止まって耳をそばだててしまう。
「あの人に目をつけたのは私達が先なんだから、今頃になって出しゃばったりするんじゃないよ」
「私達だって、徳田さんのことはずっと気にかけてました」
「後輩のくせに、生意気言うんじゃない!」
「こういうことに先輩後輩はないと思います!」
どうやら複数の上級生と下級生の間で、僕を巡って何らかの言い争いをしている様子だった。耳に入ってしまった以上、放っておくのは忍びない気分だが、こっちから関わりを持つのも余計に面倒くさくなりそうである。
それでも気になって探してみると、女子達がいたのは、今は使用されていない教室の中だった。引き戸のガラス窓からのぞくと、僕と同学年で別クラスの女子と、後輩らしき女子が、それぞれ三人ずつ対峙していた。
見覚えのある顔も、何人かいた。先日、廊下で僕に話しかけてきた同学年の女子や、外の洗面台でミニタオルを渡してきた後輩の女子もいる。
「しかも、こっちがプレゼントしようとしてたのに、割り込んでくるとは最低ね」
「割り込んだんじゃありません! あの人が困っていたから、差し出しただけです!」
後輩達が負けずに言い返し、それが先輩女子達の怒気をあおっていく。このままだと、彼女達の間で取っ組み合いのケンカが始まるような勢いだ。
たまらず僕は引き戸を開けて、中へと乗り込む。
「君達、いい加減にしろよ」
突如、争点である僕本人が現れて、女子達全員があっけにとられていた。彼女らの間に割って入ると、なんとか仲裁を試みる。
「君達に仲良くしろとは言わない。でも、僕のことで争うのは止めてくれ。そんなことをさせるために、僕はTSになったわけじゃない」
「わ、私達はただ、徳田さんにプレゼントしたいと思ってただけで……」
同学年の女子が、そう言い返した。僕はうなずいてみせる。
「プレゼントしてくれることは嬉しいし、受け取ったからにはありがたく使わせてもらうけど、先輩後輩とか、誰から先にもらったとか、そんなことまで気にしてない」
彼女は何も言えなくなっていた。続いて後輩の女子が頬を赤らめつつ、僕に訴えかけてくる。
「私、今まで何度も手紙書いたんですけど、やっぱりプレゼントの方が喜ばれると思って、これからも贈りたいと思ってるんです」
「そのことだけど、僕は一度もそうしてくれと頼んだことはない。もう一回言うけど、プレゼントは嬉しいが、そう何度も送られては困る」
相手が、少し不満げな顔つきをした。僕は彼女達全員を見渡してから、本当に言いたかったことを口に出す。
「君達がプレゼントをくれるのは、僕を可哀想に思って同情してくれてるからだと思ってる。確かに僕は、朝おんでTSになったから、そう思えるかもしれないけど、少なくとも乞食になったつもりはない。だから君達からの同情だけを当てにして、生きてるわけじゃないんだ」
諭すような口調を維持しつつ、僕はさらに語りかける。
「なるべく僕は、自分のことは自分でしたいと思ってる。本当に困った時は誰かに頼るかもしれないけど、その時まではただ見守っててほしいんだ。それと手紙はともかく、プレゼントはこっちから求めない限り、なるべく遠慮してくれ。そんな物の贈り合いで争いになるのは、僕も嫌だから」
ここまで言い切ると、程度の差はあれ、彼女達の表情に申し訳無さが溢れていた。僕の言いたいことを、やっと理解してくれたらしい。
「ごめんね。私達が間違ってた」
「徳田さんの気持ちがわかりました。反省してます」
謝罪の言葉を述べると、彼女達はそれぞれに分かれて、教室から出ていった。なんとか一件落着させたことで、一気に気疲れが襲ってきた。廊下に出ると、社交的女子達が何故か拍手で出迎える。
「いやぁ、
「……やっぱり見てやがったか」
不愉快ではあるが、こいつらが僕を嗅ぎ回るのは、ほぼデフォルトのことだ。これ以上は関わり合いたくないので、早々に立ち去る。
放課後の教室にバッグを取りに戻ると、あの男友達が一人でいた。
先に帰ろうとした僕に、彼がためらいがちに呼び止めてくる。
「徳田……お前、変わったよな」
「朝おんしたのに、これ以上何が変わったって言うんだ?」
振り返って答えると、少し戸惑った顔をしてから、彼がつぶやく。
「……なんていうか、女になった直後と比べても、かなり雰囲気とか変わったみたいでさ」
そう言われたところで、何がどう変化したのかがわからなくて、戸惑うばかりだった。
少しずつ西日が差してくる教室の中で、さらに彼は悩める表情を浮かべつつ、僕に問いかける。
「今のお前って、なんだか堂々としてるっつーか、前よりも姿勢や歩き方がきちんとしてるし、俺を含めて男には素っ気ない態度なのに、女には妙に親切だし……体の変化以上に、その態度の変わり様が気になるんだ。一体何があった?」
彼の言ったことには、一つ一つ思い当たることがあった。それを社交的女子のような女からでなく、男の友達だった相手から告げられたのが、大きなショックだった。彼も今の僕に対して、色々思うところがあったのだろう。
以前は友達だった相手に、妙な疑念を抱かせてしまったのだから、ここは弁明をするべきだと感じた。とりあえず僕は、バッグを床に置く。
「TSになってからわかったんだけど、女の僕って、色んな奴から色んな目で見られてるんだ。そういうのにビビったりしないために、態度や振る舞いに気をつけるようにしてる」
右手の人差指で、スカートをはいた自分の下半身を指し示す。
「学校じゃ僕が元男だったのは誰でも知ってるけど、外に出たらそれは誰も知らない。そんな所でスカートはいてガニ股で歩いたり、無防備にパンチラしたら、女のくせにおかしな奴だって思われるんだ。それに……」
いったん区切った僕は、口元を歪めて笑ってみせる。
「校内の男子が、僕の体をエロい目で眺めてたり、陰で噂してることだって知ってるぞ。そんな視線に耐えなきゃならないんだから、素っ気なくなるのは当然だろう?」
「お、俺はそんなことしてないって!」
慌て顔で手のひらを振ってみせる相手に、横目で疑いの目線を送る。
「ホントかよ? 僕の知らない所で、噂してたりするんじゃないのか」
「いや、確かにそういう話をしてる奴はいるけど、少なくとも俺はしてない。それとお前に、こんなこと話すのもなんだけど……」
彼は苦虫を噛み潰した表情で、こめかみをかいている。
「俺の好みは、もっと年上の……大人の女性なんだ。いくらお前が女でも、俺のタイプじゃない」
「わかった。そういうことにしといてやる」
「マジで俺は、大人の女が好きだからな。少なくとも同年代には興味ないぞ」
以前にも彼が、自分の好みはOLとかの成年女性だと語っていた気がする。それなら、今言ったことも本当なんだろう。もし彼が、僕と店長の嶋村さんのどちらと付き合いたいかと問われたら、嶋村さんを選ぶに違いない。もっとも、嶋村さんが彼を相手するとは思えない。
「それから、女に優しくしてるって言うけど、全員にそうしてるわけじゃない。大抵の女は、僕に無関心だからな」
「お前、女からラブレターもらってるだろ。どこが無関心なんだ?」
「送ってきたのは、ごく少数だ。それに対しても、こっちから返事とかしたこともない。問題なのは少数の中の、さらに少人数の女だ」
「何が問題だ?」
「その女同士で、僕を巡って意地の張り合いとか、嫉妬からのいじめなんかがあったんだ。たまたまそれを耳にしたから、こっちも『そういうことはやめてくれ』って仲裁したんだ。だから親切っていうか、ケンカさせないよう気遣っただけだ」
「そういうことだったのか……」
女同士の壮絶な裏側を知って、彼も眉をひそめていた。何も言えないでいる相手に向けて、再度念を押す。
「ともかく、女の僕は色んな目で見られてるのがわかったから、態度とかにも気をつけてるだけだ。それはわかってくれ」
「ああ、お前も苦労してたんだな……何も知らなくて、すまなかった」
「わかってくれればいいさ」
改めてバッグを取り上げ、西日の強くなった教室から出ようとした僕に、また彼が呼びかける。
「徳田、俺はお前を応援してる……っていうか、今でも友達のつもりだから」
「サンキュー。こっちもそう思ってるよ」
笑顔で片手を上げてみせる。妙に照れくさかったけど、彼との関係を再確認できてよかったと思う。
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