第二節 社交的女子、来襲

第二十一話

 僕がフェアリーパラダイスに勤めてから、一ヶ月が過ぎようとしている。

 その間、何度も些細なミスや失敗をしてきたが、その度にともみさんと絵舞さんに助けられていたから、感謝は尽きない。

 と、ここまで世話になっておきながら言うのもなんだけど、最近の僕は絵舞さんからの視線が、妙に気になるようになっていた。最初の頃は先輩として、新人の僕を見守っているのかと思っていたのだが、ふとした瞬間に目が合うことが多いようにも感じられる。

 例えば、僕が客から注文を受けて厨房へ向かおうとした時、出入り口付近で控えていた絵舞さんと目が合う。その後、出来上がった料理を届けてから次の客へと向かおうとして、また絵舞さんがこちらを見ているのに気づく。またある時は、客を見送った後、背中に視線を感じて振り返ると、いつの間にか背後に絵舞さんが立っていたりもする。まるで絵舞さんは自分の仕事をしている時以外は、常に僕を見つめているのかとさえ思えるほどだ。

 どんな時でも絵舞さんは、必ず微笑んでくれるんだけど、僕にはその裏に何かがありそうな気がしてならなかった。

 ともみさんからは、そういったものを感じることはない。いつもともみさんは客に目を配っているから、僕へと話しかける時以外には、こっちを見つめたりはしなかった。だから余計に絵舞さんからの視線が気になってしまうのだ。


「〇〇の来年の映画公開、楽しみだな」

「ボクも☓☓のコスプレしたことありますから、またやってみたいですね」

「おお、その時は必ず見に行くよ~」

 ともみさんは常連の二人組と、新作映画が決定したアニメの話題で盛り上がっていた。

「……それについては△△がいいと思いますわ」

「いいこと聞いちゃった。今度試してみるね~」

 絵舞さんは女性の客を相手に、メイクの相談を受けている。

 僕が相手を務めているのは、久々に来店した先生だ。『予約席』という名の指定席に腰掛けた彼女は、店内を眺めながら、シナモンミルクティーを飲む。

「……絵舞ちゃんて、ホント絵に描いたような男の娘よね」

 しみじみとつぶやいた先生に、僕はこう応える。

「先生は男の娘にお詳しいと、ともみさんからうかがっております」

「私が実際に会ったことのある男の娘って、ともみちゃんみたいなタイプばっかりなんだけど、絵舞ちゃんは全く違うタイプだからね」

「何が違うのでしょう?」

 先生はカップをソーサーに置くと、しばし考え込んだ。

「要するにともみちゃんはコスプレイヤーだから、コスを通じて自分の推しを表現したいとか、自分が扮しているキャラに注目して欲しいっていう自己顕示欲を感じるけど、そういうのを絵舞ちゃんからはあまり感じられなくて……それでも存在感を示しているのは、さすがだって思ってる」

 ムードメーカーなともみさんと比べたら、確かに絵舞さんは控えめだけど、清楚な態度と、ラテアートや絵の巧さで客からの注目を集めているのだから、その意見にはうなずける。

「私が言うのも何だけど、絵舞ちゃんはアニメやマンガの創作物に出てくる、いかにもな男の娘みたいで、女以上に女をしてるっていうか……見た目と言動だけなら、理想の女って感じがする。しかもそれは意識して演じてるというより、自然とにじみ出てくるとしか見えないのよ」

「絵舞さんと初めて出会った時から、そう思っていたのですか?」

「この店であの子を眺めているうちに、こんな風に思いついたの。私個人の感想だから、実際はよくわからないけどね」

 小説家だけあって、先生は絵舞さんをよく観察しているのがわかった。この観察力があるからこそ、一目で僕がTSだとわかったんだろうか……そう考えていた僕に、彼女はスマホに何か文字を入力して、こちらに見せつける。


"リアルのTSだって見抜かれたこと、やっぱり気にしてる?"


 ちょうど今考えてたことを見抜くなんて、この人はエスパーか。またしても先生からのに驚かされてしまう。

 更に先生が文字を追加入力する。


"いずれ機会があったら、話してあげる"


「……よろしくお願い致します」

 スマホを置いて、再びカップを取り上げた先生に対し、僕はそれしか言えなかった。

 こういう人の気を引くような展開は、物語を作る人ならではといった感がある。でも現実でそれをやられると、ますます僕は先生に対し、本当にこの人は何者なんだという疑念が募ってしまう。


 仕事が終わり、更衣室で絵舞さんと一緒に着替えをしていた時のことだ。

 今夜の絵舞さんは薄いブルーのキャミソールで、花柄も散りばめられて、やはり高級そうな物だ。

「……前から気になっていたのですが」

 絵舞さんの視線が、僕の胸元に向けられている。一瞬、僕が安物のブラを付けていることを指摘されるのかと思った。

「もしかすると、サイズが合っていないのではありませんか?」

「サイズは測ってあるから、それに合わせて買ってもらったんですけど」

「カップが合っていないみたいです。あなたのバストなら、大きめのカップにした方がフィットすると思いますよ」

 絵馬さんの説明によると、ブラジャーのサイズを決める場合、トップとアンダー、つまり乳房を含めた大きさと、胸板そのものの胸囲の差で、カップの大きさが決まるのだと言う。

 僕が付けているブラは、全体の胸囲は合っていてもカップが合ってないので、バストを完全に抑えきれていないということらしい。

「実は母親に頼んで買ってもらったから、そんなことまで知らなくて」

「今度買う時は、きちんとサイズを測り直してもらうといいでしょう」

 こんなところまで気を使ってくれるとは、さすが絵舞さんだ。化粧やメイクだけでなく、下着についても造詣が深いとは思わなかった。

 さらに先生が語ってくれた、絵舞さんが『女以上に女をしてるっていうか……見た目と言動だけなら、理想の女って感じがする』という言葉も思い出し、改めて納得がいく。

 素直に感心した僕に、絵舞さんがこんなことを言い出す。

「良かったら、今度一緒に下着を買いに行きませんか?」

「え、一緒に?」

「あなたは体が女になったばかりなのですから、もっと下着の知識も必要でしょう。私がアドバイスして差し上げますわ」

「いや、絵舞さんが着てるような高い下着なんて、僕には買えないし、第一似合わないませんよ」

「あなたもいずれは大人になるのですから、大人の下着の世界へ一歩を踏み出しましょう。そのお手伝いがしたいんです」

 下着姿のまま、絵舞さんがグイと迫ってきた。たじろいだ僕は一歩下がってしまう。

「好意はありがたいんですけど、なるべく自分のことは自分でしようと……」

「初めてあなたを見かけた時から、興味を惹かれていました。私達のような男の娘とは違う、TSであるあなたのことが……私、気になるんです!」

 絵舞さんの瞳には、今までに見たこともない、真剣な色がにじみ出ていた。清楚な態度の裏に、こんな感情を隠していたと知って、僕は愕然とする。

 すると更衣室のドアがノックされて、続いてともみさんが入ってきた。

「二人とも、下着姿で何してんのさ?」

 僕と絵舞さんは素早く相手から離れた。気まずさが漂う中、メイクを落としたり、着替えを続ける。

 気を紛らわせるつもりなのか、ともみさんが僕に対して唐突な言葉を発した。

「そろそろキミもに目覚めるべきだと思うよ」

「なんですか、それ?」

 ウイッグを外してメイド服を脱いだともみさんは、今日もスポーツタイプなグレーのブラとブリーフを着用していた。僕に向けてブラを指し示す。

「ボクがこれを付けてるのは、単なるファッションじゃないんだ。わかるかい?」

「メイドとしての努めみたいなものですか?」

「それもある。男の娘でもTSでもメイドである以上、見えない部分にも力を入れなくてはいけない。けど、それ以外にも理由はあるんだ」

「どんな?」

 ともみさんは両手でガッツポーズを作り、力こぶを見せつける。

「ボクにとってメイドの仕事とコスプレは、どちらも人生の勝負なんだ。だから、このブラとブリーフを付けて、自分に気合を入れてるのさ。それこそが勝負下着なんだよ」

「まあ、そんな意味があったのですね。私、感心いたしました」

 絵舞さんが深くうなずいていた。僕としては、ともみさんがそこまで考えているとは思いもよらなかったけど、そういうものなのかっていう疑問もある。

 それぞれ私服や制服に着替えた後、ともみさんが親指で自分を指す。

「絵舞ちゃんみたいな大人の下着もいいけど、キミにはスポーツタイプも似合うと思う。だからボクと一緒に買いに行こう」

「ともみさんが着てるのは外国のブランド物みたいですけど、それだって結構高いですよね?」

「値段の問題じゃない。むしろ、高い物を着用することで、それに見合った中身になろうとして、自分を高めることができるんだ」

「そう言われましても、まだ給料も出てないし、他に買うものもありますから」

「それに、Tバックのブリーフやショーツだと、ヒップに下着のラインが浮き出ないから、コスプレした時だって目立たなくていいんだよ」

「隙あらば、その話ですね」

「まだボクは諦めないよ。キミのような逸材は、コスプレ界でも求められているんだから」

 唇を釣り上げてともみさんが笑っていた。僕をメイドにスカウトした嶋村さんもかなり強情だったけど、ともみさんも相当だと思う。


 自宅に帰ってからも、僕は絵舞さんとのことを思い返していた。

 絵舞さんが僕に対して、あんな感情を抱いているとは思わなかった。明日からどんな顔をして会えばいいのか、よくわからない。

「TSと男の娘……か」

 今までの僕は、その違いについて、深く考えたことはなかった。ていうか、自分のことだけで精一杯で、そこまで思い至ることができないでいたというのが事実だ。

 逆に男の娘である絵舞さんは、多分初めて会った時から、自分と僕を比べ続けてきたに違いない。

 先生は絵舞さんを『女以上に女をしてる』って言ってたけど、まさか絵舞さんは朝おんでもいいから女になりたいって思ってるのか……ふとそんな考えが浮かんでしまう。

 それにしても、僕が引き起こした問題じゃないのに、こんな気まずい思いになるなんて、これも矛盾というものなのか。呪われた自分の運命に、うんざりしてしまう。

 このまま寝てしまうと、悪夢に苛まれてしまいそうだ。少しでも気分を変えるべく、僕はオナニーに勤しむ。

 オナニーって漢字で『自慰』……つまり自分で慰めるって意味だと聞いたことがある。こんなことでしか自分を慰められないのは情けないけど、気持ちいいことに変わりはない。

 心ゆくまで快楽を堪能してから、やっと僕は眠りについた。

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