第五十五話

 夜道をコンビニ前まで向かっていると、遠くから倉石君が歩いてくるのが見えた。僕が遅くなったので、気になって迎えに来たのだろう。落ち合ったところで話を聞いたら、予想と違う答えが返ってくる

「店の周りに酔っ払いが大勢いて、全然落ち着かなくてさ」

 どうやら飲み会帰りの人達がたむろして、ずっと騒ぎまくっていたらしい。そんな様子では立ち話するのも難しいことだし、二人で歩道を歩くことにする。

 ふと、倉石君がこの町内に住んでいることを思い出した僕は、店で警察官から聞いた例の女装少年の件を尋ねてみた。

「そんな奴がいるなんて、初めて聞いたよ。マジで危ないことしてるんだな」

 倉石君にも心当たりはないようだ。そういったこともあり、この件についての話は切り上げ、話題をいつものゲーム話に変える。

 ある公園の入口に差しかかった時、僕達の前を通り過ぎて園内に入っていく人影が見えた。それはセーラー服にスカート姿の、中学生らしき女子だった。だが僕は、何かがおかしいと直感する。

 立ち止まってしまった僕に、倉石君が不思議そうな顔をしていたので、こう問いかけてみる。

「今の中学っぽい女だけど、なんか変だと思わないか?」

「確かに、こんな時間に一人で歩いてるなんて、ちょっと変だとは思うけど」

「それだけじゃなく、あの制服もおかしい。生地も薄くて安っぽいし、なんだかコスプレの衣装みたいだ」

「よくわかるな。ともみさんから、そういう話を聞いてるのかい?」

「まあね。それに中学の時、女子がセーラーだったし、夏用でも布地はもっと厚手だったはず」

 制服とは思えないコスプレ用の衣装を着た、一見して中学生の女みたいな奴が、たった一人で夜の公園に入っていったのは、大いに違和感があった。まさか、今から園内で撮影会をするわけでもあるまい。

 疑念と興味を抑えられなくなった僕は、倉石君に低めた声でささやく。

「もしかすると、あいつが例の女装少年かも……ちょっと様子を探ってみないか?」

「そこまでするのは、やりすぎじゃ……」

「ちょっとだけさ。何もなければ、すぐ逃げればいいんだし」

 気乗りしない表情ではあったが、結局は倉石君も一緒に園内へと足を踏み入れる。


 それほど大きな園内ではなかったので、すぐに相手の姿は見つかった。そいつは電灯の真下で、うつむき気味になって立っている。僕と倉石君は、離れた所から木立の影に身を隠し、様子をうかがう。

 最初に見かけた時はセーラー服だけに気を取られていたが、そいつはショートヘアで体格もやせていた。警察官が言っていた、例の女装少年の目撃情報とかなり似ている。

 やがてそいつの前に、一人の中年男性が現れ、何か声をかけてきた。どうやら誘いをかけられているらしいが、そいつは逃げるでもなく、顔をうつむかせたままだ。

 そのうちに男の方が身を乗り出し、そいつの肩に手を乗せようとした。僕達が固唾を呑んで監視していると、いきなりそいつは顔を上げ、ついでにスカートの裾をたくし上げる。

「男だよ、バーカ!」

 嘲るように言い放ったそいつ……女装少年は、スカートの中に男性用のボクサーブリーフをはいていて、確かに女の股間とは違う盛り上がり方をしていた。

 現場を目の当たりにして、流石に僕も度肝を抜かれた。倉石君も同様らしく、『……マジかよ』と小声でつぶやいている。

 騙されたと知った男の方は、激しくたじろいでいた。だが相手のあざ笑う姿に、恨みのこもった唸り声を上げる。

「……ま、またしても『男』だとぉ!? 二度も騙しやがってぇっ!!」

「ひいっ!?」

 ズン、と足を踏み出した相手を見て、初めて女装少年の顔に狼狽の色が表れた。奇妙なことだが相手が逆ギレすることなど、一切考えてもいなかったようだ。後退りしようとして足を踏み外し、派手に尻餅をついてしまう。

 そこへ男が殴りかかろうとした。とっさに僕は声の限りに叫び上げる。

「お巡りさーん! こっちでーす!!」

 ハッとした男が、慌てふためきなから逃げ出していく。

 取り残された女装少年はというと、完全に腰が抜けてしまったらしい。暗がりから出てきた僕達を見ても、地面にへたり込んだままだ。

「大丈夫かい?」

「……だ、誰だ、お前ら!」

 そいつはまともに立ち上がることもできないくせに、僕を見上げつつ、まだ虚勢を張ろうとしている。

「君が例の女装少年だったとは……話には聞いてたけど、まったく危ない奴だ」

「な、なんで知ってる?」

「警察から聞いた。そういう奴がいるって」

「警察!? なんでそんなことに……」

 しでかしてきた事の重大さに気づいていなかったのか、そいつが目を丸くする。

「今みたいなことを何度もしてれば、警察だって動くさ。大体、なんでそんなことをする?」

「……な、なんだっていいだろ!」

「お金が欲しくて体を売ったり、相手を脅迫するならともかく、騙してあざ笑うというのは悪質だ」

「へっ、騙される方が悪いんだよ!」

「相手だって、騙されたと知ったら逆ギレするのは当然だ。そんなことも想像できないのか?」

「偉そうに説教するな! お前に何がわかる!?」

「わからないから聞いている」

「ウゼぇんだよ! お前には関係ねぇだろ!」

 この期に及んでも、そいつは白を切ろうとしていた。そんな態度に苛立ちが募ってくる。

「関係なくない。君のせいで、この僕が警察から疑われたんだからな」

「知るかよ! そっちが男みたいな顔して、『僕』だなんて言ってるからだろ。この男女おとこおんな!」

男女おとこおんなじゃない! 僕はTSだ!」

 つい怒鳴り返してしまった。隣の倉石君がギョッとしている

 どうやらこいつは、本気で僕を怒らせたいようだ。殴ったり取っ組み合いするのは本意じゃないが、場合によっては覚悟しなければならないかもしれない。

「TSだって? ウィルスが感染うつって女になった奴だろ! オカマみてぇなもんじゃねーか」

 そいつは偏見をあらわにして、かさにかかって罵ってきた。かつて『TSが感染するから』という理由で、バイトの採用を断られた過去を思い出してしまい、嫌でも頭に血が上っていくのがわかる。

 こんな奴に何がわかる……僕だって、好きでTSになったわけじゃないんだ。

「こっち来んなよ! 感染うつっちまうだろ、早くどっか行けよっ!」

 尻餅をついたままで、口汚い言葉を吐き出している相手を前にして、僕の脳裏で何かがブチ切れる音がした。

 僕はそいつのそばにしゃがむと、両手で顔を押さえつけた。そのまま相手の唇に、自分の唇を強引に重ねる。

「……んぐぐっ! んぐぅんっぐ!」

 声にならないうめき声を上げて、相手はもがいていた。

 唇を離して立ち上がった僕は、わけがわからないでいる相手を冷たく見下ろすと、感情を廃した声で宣告する。

「今、TSウィルスを口移して感染うつしてやった。明日の朝、目が覚めた時、君の体は女になっている」

「……お、女に? 俺が!?」

 両目を大きく見開いているそいつに、さらに残酷な事実を告知した。

「TSになると、十年間は女のままだ。しかも男に戻る可能性は50%で、一生戻れない場合もある」

「男に戻れないだって!?」

「それすらも、二十年以上経たないとわからない。そんな不確実で矛盾に満ちた人生を、君も送ることになるのさ」

「い、嫌だ……そんなの、嫌だぁ! お、俺は女になりたくない……女になんか、なりたくねぇよぉ!! うわぁ~~~ん!!」

 そいつは涙をあふれ出させつつ、悲鳴みたいな泣き声を上げた。さっきまでの威勢もどこへやら、完全に表情がくしゃくしゃになっている。

 あれ? こんなに狼狽えるほどショックを与えてしまったのか……怒りに身を任せて行ったこととはいえ、相手の反応を見て、ようやく僕も冷静になってくる。

「うっうっ……お、女なんて、嫌だ……お、俺は男だ……男なんだぁ! うあぁ……うぁあああぁ~!!」

 しゃくり上げて泣き続けている様子を眺めていると、流石に可哀想な気がしてきた。僕は舌打ちしてから、そいつに言ってやる。

「嘘だよ」

「……へ?」

 涙で呆けていた顔を向けてくる相手に、ため息まじりに諭す。

「君の言った『男だよ、バーカ』と同じだ。元々TSウィルスなんて存在しないんだから、他人に感染うつるわけがない」

「マジ……マジだよな?」

「本当にTSウィルスが存在するなら、今頃僕はどこかに隔離されて、外を出歩くことなんかできないはずだ」

「そっか……そうなんだぁ、はぁ~~~……」

 震えるように長い息を吐き出すと、そいつはすっかりしおれてしまった。

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