第四節 姉貴とお坊ちゃま

第五十四話

 テーブルの周りに並べた椅子を一脚づつ、消毒用スプレーを吹き付け、丁寧に拭いていく。

 梅雨の季節でもあり、店内の湿度も高くなっている。フェアリーパラダイスも喫茶店なのだから、開店前の清掃において、清潔さを保つための作業にも力を入れざるを得ない。

 掃除が終わりかけた頃、出入り口のドアがノックされた。まだ『OPEN』のパネルを出してもいないのに入ってきたのは、二人組の男性警察官だった。

「失礼します。駅前交番の者ですが、お聞きしたいことがあってうかがいました」

 夏用の青い半袖シャツの上に防刃ベストを羽織り、腰のベルトに拳銃や手錠に警棒を装備した警官達に、店長の嶋村さんが応対に出る。

 清掃用具を片付けつつ聞き耳を立てていると、『女装』とか『少年』という単語が届いてきた。前者ならともみさんと絵舞さんが、後者なら僕のこととなるが、一体何を聞き込みに来たのかは、よくわからない。

 やがて嶋村さんが僕達三人を呼び寄せると、こんな質問をする。

「最近、この町内でセーラー服姿の女装した少年が出没している、という情報があるそうだけど、あなた達は何か心当たりとかある?」

 初耳だった。ともみさんと絵舞さんも同様らしく、顔を見合わせている。

 警官の説明によると、その女装少年は夕方から夜間にかけて出没し、主に中年男性に対して女のふりをして接触しているという。

「まさか、その彼は男でありながら『援助交際』とか『パパ活』のような、いわゆる『売春』みたいなことをしているのですか?」

 怪訝そうな嶋村さんの質問に、警官は首を横に振る。

「相手の男はそういう目的のようですが、少年は向こうが誘いに乗ってきたら、自分から『男』であることをバラして、驚いたところをあざ笑ったりしているようです」

「なんと言いましょうか……まるで、一人で美人局つつもたせをしているみたいですね」

 嶋村さんが言った『美人局』というのは、男女が共謀して、女が他の男と関係を持ったところで、男が相手を脅迫して金を奪うという犯罪のことだ。これは後で、ともみさんが僕に教えてくれた。

「そこで相手から現金をせびれば、そういうことになるんでしょうが、少年はただ逃げ去るだけみたいです。まあ、女みたいな外見を利用して相手を誘い、いざとなったら正体を現すという部分は確かに似てますが、脅迫せず馬鹿にするだけというのは『愉快犯』に近いものがあるでしょうな」

「どちらにしても子供の悪戯にしては、大胆というか悪質です」

 警官の話に、嶋村さんは眉をひそめていた。

 今日、ここに警官達が来たのは、その女装少年についての情報を集めるためだけではなかった。『女装』ということで、『男の娘メイド喫茶』であるフェアリーパラダイスと、何らかの関係があるのでは……という疑いがかけられていたのである。

 目撃者達の証言によると、そのセーラー服の女装少年は年齢的には十代半ばで、身長は160cm~170cmでやせた体格、ウィッグなどは被らず一見してショートヘアな少女のような顔立ちをしているらしい。

 店内にいるメイドの中で、そのイメージに一番似ているのは、この僕ということになってしまった。疑いの目を向けてくる警官に、嶋村さんが擁護に入る。

「彼は男の娘や女装ではなく、TSです。その少年みたいな事をできるはずがありません」

「ああ、朝おんですか」

 噂には聞いていても、会うのは初めてだったであろう警官は、今度は珍しそうに僕を見る。更衣室から生徒手帳を持ち出して、身分証明してみせると、やっと相手も納得していた。また、少年が出没していた時間は店の営業中で、僕は他の二人と一緒に勤務していたから、これでアリバイは成立した。

 ともみさんと絵舞さんはすでに成人だから、疑いはかからなかったが、今度は店全体に容疑が向けられる。曰く、その少年に女装用のセーラー服を貸したりしていないかということだった。

 対して嶋村さんは、当店において女装するのは店員であるメイド達だけであり、他の客等に女装させたり衣装を貸し出すことはないと言明した。さらに店内にあるのはメイド用のコスチュームだけであり、セーラー服はないとも説明する。

 ここまで話を聞いた警官達は、この店と女装少年の件は無関係であると判断してくれた。その上で、何か情報があったら連絡してほしいと言い残し、ようやく店から引き上げていく。

 続いて開店前のミーティングに入ったが、疑いは晴れたものの、僕達の間で重苦しい空気は残ってしまった。

「今までのことは、お客様とは関係ないのだから、表には出さないこと。いいわね?」

 締めの嶋村さんの言葉には、半ば自分自身へと向けられている感があった。僕も、そしてともみさんと絵舞さんも、深くうなずく。

 そしてドアの表側にあったパネルを、僕は『OPEN』へと切り替える。


 閉店後の更衣室で、僕達が話題にしたのは、例の女装少年の件だ。

 その少年に似ているということで疑いをかけられてしまった僕としては、まず不快感があった。さらに、そいつが金目的の売春や脅迫なら、犯罪ではあるけど動機としてはわからなくもない。けどそいつは、ただ相手を騙しているだけというのが理解を超えている。

「もし相手が逆ギレして殴りかかってきたら、どうするつもりなんだか……危険にも程があると思います」

 学校の制服に着替えた僕が吐き捨てると、絵舞さんも同意してくれる。

「命にも関わることですし、愉快犯であっても危なっかしい行いですね」

「それだけじゃなく、相手が両刀遣いだったら、別方向でも危険だよ。そういう可能性も思いつかないのは、すごく浅はかすぎるな」

 ともみさんも、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 ブラシでロングヘアを整えていた絵舞さんが、ふと手を止めて僕に顔を向ける。

「その方は、女装をすれば他人には女にしか見えないことを自覚しているはずですが、それを愉快犯のようなことに利用しているところが……私、気になるんです」

「もっと有意義なことに使うべきだと?」

「それもありますけど、私も男の娘として自分なりに調べてきた中で、その方がそういう行いをするのは、自分の容姿が嫌いだからではないかと思ったのです」

 かつて、男の娘というものを知りたいがために、無給でいいからフェアリーパラダイスに雇ってほしいとまで願い出た絵舞さんの言葉だけに、僕もさらに耳を傾けざるを得ない。

「そんなに自分がいやだからって、そういう行為に走るのはどうかしてます」

「『騙される方が悪い』などと思い込み、自暴自棄になっているという面もあるでしょう。逆に、もし自分の容姿を肯定的に捉えているなら、他人を騙すより、認めてもらう方向に進むはずです」

「自分を『カワイイ』と思っているなら、周りからもそう言われたいということでしょうか?」

「ええ。反対に、そんな自分が嫌ならば、『可愛い』と言われるのは苦痛でしょう……これは私個人の感想ですから、実際のところはわかりません」

 絵舞さんの言うことだから、確かに説得力は感じられた。でも、どこまでが事実かと言われたら、半信半疑ではある。

 今まで黙っていたともみさんが、パーカーのフードを直しつつ、こんなことを言う。

「ボクとしては絵舞ちゃんの言ってることは理解できるけど、彼のやってることはやっぱり許せないな」

「ともみさんなら、そう言うと思ってました」

 僕はうなずいた。エンターテイナーであるともみさんだから、男の娘であることを悪事に使うのは認め難いのだろう。

「そりゃボクだって男の娘に目覚めるまでは、女みたいな自分に悩んでた。でもそれを悪用したいなんて、考えたこともなかったよ」

「普通はそうですよね」

「彼のやってることは、ボクがこの店でしていることと、根本的には同じかもしれない。それでも彼の行為は自分で自分を貶めているだけだ。そんなの、男の娘の風上にも置けないね」

 ともみさんは語気を強めた。その『男の娘』であることへのプライドの高さに、改めて感心してしまう。

 ふと時計を確認すると、いつもの退店時刻よりも、大分時間が過ぎていた。例の女装少年の話題で、つい話し込んでしまったようだ。

 急いで荷物をまとめて更衣室から出ていこうとした僕に、ともみさんと絵舞さんが揃って意味ありげな笑顔になる。

「倉石君が待っているんだろう。早く行ってやりなよ」

「少しでも長くお話したいでしょうに、引き止めたみたいでごめんなさい」

「別にそういうつもりじゃ……お先に失礼します」

 ニヤニヤしている二人に見送られて、口ごもりつつ部屋から出た。今度は、レジ周りを片付けていた嶋村さんが暖かな眼差しを送ってくる。

「いつもはもっと早く退店するのに、向こうも待ちくたびれてるわよ」

「……お、お疲れさまでした」

 それだけ言うのが精一杯な僕は、やっと店の外へ出る。

 あの『王子様ゲーム』以来、店の人達からは倉石君とのことで気を使われたり、逆にいじられたりするようになってしまった。

 やっぱり僕は『やらかしてしまった』のだ。いまさらながら取り返しのつかないことをしてしまったと、激しい後悔の念に襲われつつ、僕は倉石君の待つコンビニ前へと向かっていた。

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