第四十話
金曜日の夜、仕事帰りに倉石君とコンビニ前で落ち合う。
倉石君は僕の帰る時間に合わせて、いつでも待っていてくれた。時にはフェアリーパラダイスに来てくれることもあるけれど、僕としてはここで二人きりの立ち話をする方が、やっぱり気楽だ。
いつもなら僕達はゲームの話で盛り上がるのが常だったが、その夜は『王子様』の話題になった。
「こないだ店に行った時、君の学校の女子みたいなのが大勢来て盛り上がってたけど、ホント君は『王子様』みたいに人気があるんだな」
倉石君が言及したのは、親衛隊及び突撃隊の女子六人が再度来店した時のことだ。その時は彼も居合わせて、僕が彼女らをもてなす場面を目撃していたのだ。
「そのことなんだけど……彼女達が校内で噂しまくったおかげで、今じゃ他の奴らからも『王子様』って、からかわれたりしてる」
「マジかよ……」
学校での出来事に関する愚痴を初めてこぼした僕に対し、倉石君は戸惑い気味な表情を浮かべている。
「元々バイトしてることは隠してたんだ。バレたら、そうなってしまうことは火を見るより明らかだったからね」
「どうしてバレたわけ?」
「実はあの子達、元々二つの派閥に分かれて、僕を巡って争ってた上に、それぞれが店までストーカーしてきたんだ。で、開き直って全員を招待して、おかげで派閥争いはなくなったんだけど」
「それで噂されるようになった、と?」
「ああ、いつかはこうなるんじゃないかって、覚悟はしてたけどね」
店内で買ったアイスティーを、僕は口に含んだ。僅かな渋みを感じる。
「ただでさえ君は、その……TSっていうだけで大変そうなのに、そんなことにまでなってるとは」
「しかも放課後になってバイト行く時、あの子達が校門で『いってらっしゃいませ』って見送りまでするんだ。恥ずかしいったらありゃしないよ」
「そんな漫画みたいなことまでやってるのかい?」
「悪意がない分、やめろって言いにくいから、ホント始末に負えなくて……けど、それはまだマシな方かな」
「まだ何かあるの?」
信じられないといった顔を、倉石君はしている。
「僕は男からエロい目で見られてて、しかも陰で僕の体について噂してるのを何度も聞いたことがある」
「……セクハラまで、されてるんだ」
「面と向かって口にはしないけどね。代わりに、こっちを無遠慮に眺めてくるから、流石にそれは面白くなくて」
僕自身、他校の生徒である倉石君に対し、こういうネガティブな話をするのは本意ではなかった。いきなりこっちの身の上話を聞かされて、彼が戸惑っているのもわかったけど、何故かこの時だけは、僕は感情を抑えられずにいた。
しばらく倉石君は黙ったままだったけど、やがて手にしていたペットボトル入りの紅茶を一気に飲んでから、こう言った。
「なんていうか……君は、強いよ」
「強い? 僕が?」
予想もしなかったことを言われて、目を瞬かせてしまう。
「俺はTSじゃないけど、もし君と同じような目にあったら、何もかもが嫌になって逃げ出して、引きこもりになってたかもしれない」
「そ、そうか……?」
何らかの理由があって、家の外に出られない人がいるとは聞いたことがある。TSそのものが原因で、そうなる人だっているのかもしれない。
「でも君は、そうならずに学校に通って、しかもバイトして『王子様』にもなりきって、セクハラまでされてるのに、女達のご機嫌まで伺うなんて……俺には何一つ、できないことだ」
「なんだか、そんなに持ち上げられると……むず痒いな」
「君はそういう面倒事から逃げずに、なんとか立ち向かおうとしてる。それが君の強さなんだと、俺は思ってる」
倉石君が、これほど励ましてくれるとは思わなかった。どこまで本気かは知らないけど、彼としてはこうでも言わないと、僕を勇気づけられないと考えてのことだろう。
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」
自然と笑顔がこぼれてきた。倉石君も安堵したように息を吐き出す。
「俺、これからも君を応援する。それくらいしか、できないけど」
「こっちこそ、愚痴聞かせてごめん。でも、だいぶ楽になった」
「それと……君のことは、男友達だって思ってるから」
そう倉石君が付け加えてくれたのは、僕の体をエロい目で眺めたりしないという気遣いから来た言葉だとわかった。
残りのアイスティーを飲み干す。心地よい冷たさが喉の奥まで流れていく。
思えば倉石君と友達になるまでには、色々なことがあった。でも、やっぱり彼と出会えてよかった……それが今の僕の、偽らざる心境だ。
そんな感慨に浸っていた時、倉石君の肩越しに、離れた場所から妙な視線が届いていることに気づく。
僕を見つめていたのは、明るいブラウンに染め上げられた長い髪と、唇が鮮やかなルージュに彩られた女性……のような姿をした人だ。
先日の記憶が蘇ると同時に、嶋村さんから言われたことを、不意に思い出す。
『後でわかったんだけど、そのお客様って『ゲイバー』に勤めてた人で、うちにいた男の娘メイドに、『ニューハーフ』候補として目をつけてたみたいなの』
なんであの人がこんな所に……まさか、本当に僕をスカウトしに来たのか?
言葉に詰まっている僕を、倉石君が不思議そうに見ていた。内心の動揺を隠しつつ、彼とのさり気ない会話を続けていく。
倉石君と別れてから、最寄り駅にたどり着くまでに、何度も後ろを振り返ってしまった。あの人の姿は見えなかったが、夜の闇に紛れつつ、僕を尾行してるんじゃないかという疑念は消えない。
電車に乗り込んでからも、スマホを眺めるふりをして、車内を観察してみた。それらしい人影は見当たらず、少しだけホッとする。
自宅近くの駅で電車を降りて、駅前から続く道を歩きだす。夜も更けて、人影のない路地を歩いていた僕の耳に、明らかに自分以外の靴音が聞こえてくる。
コツコツとした硬い音だから、多分ヒールのある靴を履いているのだろう。それが僕を追いかけてくるように、背後から響いていた。振り返るのが不安だったし、あえて気づかないふりをして、家がある団地の近くまで歩く。
手前にあった小さな公園に入ると、素早く木陰に身を隠した。直後、園内に入ってきたのはやはりというか、コンビニ付近で僕を見つめていたのと同じ人だった。あそこからどうやって尾行してきたのかは知らないが、僕を見失った相手は、暗い園内で四方を何度も見渡している。
「……誰をお探しですか?」
物陰から姿を現した僕を見て、相手は一瞬驚いたようだが、すぐに余裕ある笑顔になる。
「あら……そっちから姿を見せてくれるなんて、手間が省けたわ」
「何の用ですか? ストーカーは困ります」
僕からの警戒心むき出しな視線にも、相手は動じる様子を見せない。
「話がしたいの。なるべく手間は取らせないわ……あそこなんて、どう?」
そう言って相手が視線を向けたのは、近所にあった二十四時間営業のファミレスだった。
深夜も近い店内は、店員以外に客が三人くらいしかいなかった。でも他に誰もいない場所で、よく知らない相手と二人きりになるよりは、まだ安全かもしれない。
壁際の二人用の席で、僕達は向かい合って座る。今夜も、あの香水の匂いが鼻につく。
注文を取りに来た店員に、相手は二人分のコーヒーを注文した後で、口元を歪めて笑う。
「私を疑ってるみたいだから、証拠のために、スマホで録音しとくといいわ」
言われた通りにスマホを録音モードにしてから、テーブルの中央に置く。相手は上着の内ポケットから名刺を取り出し、僕へと差し出す。
「これ、私の名前」
受け取った僕は、文面を覗き込む。
BAR マ・ドール
ホステス
名刺のどこにも、『ゲイバー』とか『ニューハーフ』などと書かれてはいないが、そこがそういう店であることは、容易に想像がつく。
「……それで、僕に何の用が?」
「あなたとお話がしたい……それだけよ」
低めのハスキーな声で、相手は微笑んでいた。その真意がつかめないので、今のうちから言うべきことは言っておくことにする。
「僕をゲイバーのホステスとしてスカウトするつもりなら、お断りします」
「うちの店がそういう場所だって、よくわかったわね。あの店長から言われたのかしら?」
嶋村さんが不審を抱いていたことを、相手はとっくに見抜いていたようだ。それに僕自身も、ストーカーみたいなことまでするような人を、簡単に信用できない。
「やっぱりそうだったんですね」
「確かに、うちの店で働いてくれそうな人を探しているのは事実だけど、あなたに関してはそんなつもりはないわ」
「まだ僕は未成年です。そういう店で働くことはできません」
「でもあなただって、いつかは大人になる。そんないい歳になってまで、あの店でバイトするつもり?」
「だからって、そんな店で働かなくてはならないっていう理由はありません」
「どうして、そこまでゲイバーを否定するの? まさか、お酒を扱ってるから汚らわしいとか、思ってるわけ?」
「そういうつもりじゃないです」
「なら、ゲイバーと男の娘メイド喫茶と、どれほどの差があるって言うのかしら? どちらも、女装した男が客をもてなすために働く店でしょう?」
執拗な問いかけに、僕は辟易していた。そこへ店員がコーヒーを運んでくる。
すぐに相手は砂糖を半分だけ入れて、落ち着いた仕草でカップへと口付けた。
「僕がフェアリーパラダイスで働いてるのは、あの店だけが採用してくれたからです。それ以外の所は、面接だけで落とされたんですから」
段々といら立ってきていた僕は、コーヒーに手を付けないままで言い切った。
「なるほど……やっぱり、そういう理由だったわけね」
コーヒーの湯気を顎に当てつつ、相手は深くうなずいている。
「あなたが門前払いされた理由はわかるわ。あなたの外見と、履歴書の性別欄が矛盾してたから、嘘をついていると疑われたのでしょう?」
「え!?」
驚いている僕に、相手は更に畳み掛けてくる。
「他にも、あなたがTSだから、『TSウィルスが感染するから雇えない』などと言われたりもした……そうよね?」
なんでそんなことまで……言葉を失っていると、相手は再度コーヒーをすすってから、カップをテーブルに置く。
「私もかつては、何度も同じことを言われたものよ。面接どころか、せっかく働き出したのに、そんな噂立てられて、辞めるしかなかったことだってあるし」
僕を見る相手の目に、初めて哀れみの色が浮かんでいる。
「けど、未だにそんな偏見があるなんて……あなたも苦労してたのね」
「どういうこと……ですか?」
恐る恐る確認してみると、ため息を付いた相手が静かに微笑む。
「……だって私も、TSだから」
この時、初めて僕は、自分以外のTSの存在を知った。
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