第四章 一喜一憂な王子様

第一節 先生と同人誌即売会とTSと

第四十五話

 月半ばの平日は、それなりの客足があった。

 休憩を終えて店内に戻ると、遊井名田先生が来店しているのが目に入る。

 いつもの席に腰掛けて、ともみさんと話し込んでいる先生は、少し浮かない顔をしていた。そこへ僕はおもむく。

「お帰りなさいませ、先生」

 僕の姿を認めたともみさんが、先生に顔を向け直す。

「……この際、彼に頼んでみるのはどうでしょう?」

「そうだね。知らない仲でもないし、適任だと思う」

 何のことかわからないでいると、ともみさんがこんなことをたずねてくる。

「今月の最終日曜日、キミは予定とかある?」

「特にありませんが」

「そうか。ならその日、先生のお手伝いをしてくれないか?」

 ともみさんの説明によると、その日はいわゆるコミケとは別の、『ティア』という名称の同人誌即売会が開催される事になっており、先生も

遊井名田ゆいなだ本舗ほんぽ』というサークル名で、サークル参加を申し込んでいた。本来なら自分がその手伝いをするはずだったが、急用ができて参加できなくなってしまった。そこで僕に話を持ちかけてきたというわけだ。

「お話はわかりましたが、わたくしはそういったイベントのことはよく知りません。何を手伝えばよろしいのでしょう?」

「先生が販売する同人誌を会場に運び込んだり、会場内でポスターをセッティングしたりとか、いわゆる雑用をしてほしいってことさ」

 この時点で僕は、コミケを含めて同人誌即売会に参加したことは一度もない。ともみさんからは以前にも、そういったイベントの情報を断片的に聞かされてはいたが、わざわざ行ってみたくなるほどの興味もわかなかった。

 僕は先生に対し、念を押してみる。

「わたくしのような素人がお手伝いしても、本当によろしいのでしょうか?」

「初めは誰でも素人だし、君なら信頼できると思ってるから」

「そこまでおっしゃっていただけるのはありがたいことですが、わたくしは特に何もしておりません」

「君の仕事ぶりを見てるだけでも、そういったことはわかる。引き受けてくれるなら、恩に着るよ」

 先生からのたってのお願いでもあるのだし、あえて断る理由が見つからなかった。それにこういった機会がなければ、僕は今後も、同人誌即売会に足を運ぼうとは思わないかも知れない。

 何事も経験だと感じた僕は、依頼を引き受けることにした。意を伝えると、二人は安堵したように微笑んでくれる。

「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ってた」

「こちらこそ、何もわかりませんが、よろしくお願いします」

 その後、先生から当日のスケジュールなどについて説明を受けた。朝早くに先生と落ち合って、一緒に同人誌と荷物を会場に運び入れ、サークルのスペース設営を行う。販売時間は十一時から十六時までで、終了したら後片付けをして、残った同人誌と荷物を持って場内から撤収する。最後に打ち上げを行うという段取りだ。

 ちなみに『ティア』というイベントは、オリジナル作品限定の同人誌即売会であり、コスプレは禁止だとも聞かされた。

「今回はコスプレはないけど、次のコミケではキミにもなにかしてほしいな」

 いまだにともみさんは、僕をそっち方面へと引き入れたいようだ。一応、そういうつもりはまったくないとは言っておいたが、初対面の時から目を付けられていたこともあり、それで諦めてくれるとは到底思えなかった。

 最後に先生は、せっかく手伝ってくれるのだから、報酬は弾むと言ってくれた。実にありがたいことである。


『ティア』が開催されるまで一週間を切った頃、仕事帰りのコンビニ前で、倉石君にその話をしてみた。

 彼は同人誌を買うためにコミケへ行ったことはあるが、ティアには足を運んだことはないと言う。

「オリジナルには興味ないのかい?」

「そうだね。俺が欲しいのは◇◇の二次創作だから」

 僕達がハマっているソシャゲの名前を、倉石君は上げた。彼はそれに登場する▽▽というキャラのファンなので、コミケではそのキャラをメインに扱っている同人誌ばかりを買ったそうだ。

 そういった話を聞いていると、倉石君はゲームをプレイするだけでなく、関連グッズも買ったり、同人誌まで集めているのだから、僕以上に◇◇というコンテンツを満喫しているのがわかる。

「でも君が先生の手伝いをするなら、俺もその同人誌を買いに行く」

「そうしてくれたら、先生も喜ぶよ」

 倉石君がそこまで言ってくれたので、なんだか我が事のように嬉しくなった。

「それで先生の同人誌って、なんていう題名?」

 僕はすぐに答えられなかった。実は同じ質問を先生にした時、一度聞いただけでは覚えられず、何度も聞き返してしまったからだ。

 正確に伝わるよう、なるべくゆっくりとタイトルを口に出す。


『泣き虫だった私が乱世の悪役令嬢に転生して、これから二十年間の戦争に勝ち抜かなくてはならなくなりました~誰か私に転生リバースしてよ!』


「……は?」

 やはりというか、倉石君も一回では覚えきれないようだ。再度答えると、相手はなんとも言えないような表情をする。

「そういう長い題名は、流行りなのかも知れないけど……すごいあざとく聞こえるよね」

「先生も自分で認めてたし、僕も同意する。でも、インパクトは大事だとも言ってたから……」

 オリジナルには興味のない倉石君が、こんなに長いタイトルだけで購入意欲が失せたりしないよう、僕は祈るしかなかった。

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