第八話
勝手に送りつけられたラブレターだから、返信の義務はない……そう思っていたから、僕は一切返事も書かなかったし、何のリアクションも起こさなかった。
だが、面と向かって訴えられたら、何らかの反応をしなくてはならないわけで、この時の僕は対応に苦慮した。
放課後、掃除当番を終えた僕が一人で廊下を歩いていると、女子から遠慮がちに声を開けられた。
『初めまして』とあいさつされたが、彼女の顔には見覚えがあった。それは一年前のこと、同様に廊下を歩いてたら、前を歩く女子のバッグからハンカチのような物が落ちた。それを拾った僕が声をかけると、振り返った彼女は今にも泣きそうな顔でひったくり、まるで逃げ出すように走り去った。離れた所にいた友達と合流すると、そいつらと一緒になって、こっちに睨みつけるように『何あれ……キモ』とかささやきあっているのも聞こえていた。
こっちは単なる親切だったのに、そんな扱いをされて理不尽を覚えたものだ。だが向こうはそのことを忘れているらしく、頬を赤らめてしおらしい態度である。話があるというので、今は使われていない教室の中へと招き入れられる。
女子からのラブレターの件もあり、相手の言いたいことは大方予想できた。その女は何度かためらいながらも、僕が女の体であっても、彼女として付き合いたいと告白してきた。これも人生初めてのことだったが、嬉しいという気持ちが少しも湧いてこない。
その女とは以前の理不尽な記憶があったし、それを忘れてシレッと告白してくるのも不信感があった。ここは断るべきだと判断したが、問題はやり方だ。むげに拒絶すれば、今度こそ泣き出すかもしれないし、友達と一緒になって悪口を言いふらしたりしかねない。
僕は脳内にある国語の知識を総動員して、なるべく彼女を刺激しない言葉を選び抜き、しかも丁寧な口調に徹しつつ、断りの返事を伝える。初めは相手も聞き入れようとはしなかったが、それでも粘り強く巧言令色していくうちに、諦め気味になっていく。
「……僕は、自分のことは自分でやろうって思ってる。君の気持ちは嬉しいけど」
「私じゃ、あなたの力になれませんか?」
「そうは言ってない。けど今の僕には、他人を思いやるだけの余裕もなくて……それで君を傷つけたくないんだ」
「やさしいんですね……わかりました。今回はあきらめます」
「ごめん」
「あなたのことは、これからも遠くから見守らせてください。失礼します」
そそくさと教室を出ていった女子を見送ると、精神的な疲れが、どっと押し寄せてくる。深く息を吐き出すと、廊下へと歩きだす。
昇降口までたどり着くと、クラスメイトの男子が二人いた。何があったかわかっているらしく、同時にニヤついている。ムカつく顔だ。
「徳田、ついに告白されたんか?」
「いいなぁ、俺もそんな経験してみたいぜ」
「だったらお前らも、女になればいいだろ」
それ以上相手をする気にもなれず、僕は靴を履き替えて校舎を後にした。
帰宅途中の電車内で、ラブレターとか告白されたことについて、あれこれ考えてみる。
先程の、女子からの告白を断った事自体は、ちっとも後悔していない。やはりネガティブな思い出のある相手とは、その気になれないのも仕方ないはずだ。だが、もしそういう印象のない相手からの申し出だったら、受け入れていただろうか。
いや、送られてきた数々のラブレターの文面から察する限り、僕に好意を寄せる女子に対しては、ドン引きとまでは行かないけれど、数歩下がりたくなるようなイメージがある。だから同様に断りを入れたと思う。
これが男子だったらどうだったか? この場合は、僕に対する下心が問題だ。僕が自分をエロいと思っているの同様、男子もそう思うのは仕方ないとしても、それを目当てにされたらやっぱり困る。というか、エロ以外の理由で僕に告白しようというヤツはいないはずだから、やはり断るしかないだろう。
いずれにせよ、僕は朝おんしたから、男と付き合えば精神的に、女と付き合ったら肉体的に、それぞれ同性愛だと言われてしまうに違いない。色々面倒なことだ……段々と心がモヤモヤしてきた頃、電車が最寄り駅に着く。
ホームに降りてから改札を抜けて、自宅までの道を歩き出した僕を、夕日が照らしている。
この頃になると、スカートで歩き回ることには大分慣れてきたし、強い風が吹き付けたら、とっさに押さえつける仕草も身につけた。大学病院の産婦人科の医師が言った、『あなたは否応なく、女としての生活態度というか習慣を身に着けざるを得ない』というのは、こういうことも含んでいるのだろうと思う。
それにしても、だ。今の僕は男子からは距離を置かれつつエロい目で見られて、女子からは無関心、または勝手な思い入れを寄せられたりしてる。好きで朝おんしたわけじゃないのに、こんな理不尽な目に合わなければならないなんて、本当に面白くない。
ふと脳裏に、今度は大学病院のカウンセラーの顔が浮かび上がる。
『矛盾を直視することは、全く面白いことではないからね』
自分の意志とは無関係なのに、周りが理解してくれないのも、一種の矛盾なんだ。あの先生が言ってたのって、この事だったのか……穏やかな声を思い出しつつも、苦々しい気分がこみ上げてくる。
もういいや、家に帰ったら今夜もオナニーだ。いくら僕の体がエロくても、こういうことにしか役に立たないし、それ以外に使い道なんてあるもんか。
やけっぱちな気分になったまま、僕は足早に道路を通り抜けていく。
他にも僕には、直視しなくてはならない、もう一つの矛盾というか問題があった。それを解決しようとした時、僕は新たな矛盾を突きつけられることになる。
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