第五十話

 初夏に入った朝の日差しは、すでに照りつけるような眩しさががあった。

 衣替えの時期を迎えて、他の女子と同様に僕もブラウス姿で登校した。蒸し暑さも感じられることだし、胸元のネクタイはかなり緩めてある。

 女になって初めての衣替えということで、取り巻きの子達が前もってアドバイスをくれた。ブラウスから透けて見えないように、ブラジャーはベージュやグレーなどのくすんだ色を選ぶようにとか、キャミソールも着て目立たせなくさせるべきとか、色々とためになった。

 だがそれでも、Eカップもあるバストはブラウスの生地を丸く盛り上げてしまい、カーディガンを着ていた時よりも目立つような感があった。廊下を歩いていると、すれ違う男子の視線が、一瞬でも僕の胸に注がれていくのがわかる。

 元々女としては超大柄な僕だから、注目を浴びやすいことはとっくに承知しているので、いちいち気にはしていられない。けれど、こんな僕の体を男子達が夜のオカズにしているのかも……そう考えると、やはりムカつくものがある。こっちだって、そいつらのためにTSになったわけじゃないのだ。

 本気で胸を隠したいのなら、それこそサラシでも巻いて押さえつけるしかないだろう。とはいえオカズにされたくないと言うだけで、そんな苦しい思いまでしなくてはならないのかと思うと、僕は理不尽な気分になるのだった。

 教室に入って自分の席に着くと、夏服の社交的女子達がニヤつきながら寄ってくる。

「今日も店に行くから、サービスよろしくね。王子様」

 悪意のない取り巻き達と違い、彼女らが僕をそう呼ぶ時は揶揄の成分が濃厚なので、嫌でもムッとする。

「それはいいが、先生が来るとは限らないぞ」

「先生のこととは別に、私達だってあの店が気に入ってるんだよ。売上にも貢献してるんだから、感謝してよね」

 恩着せがましい言い方だが、彼女達が取り巻き達よりも頻繁に来店しているのは事実だ。超が付くほどの常連であるよっしーさんとオカチャンさんほどではないにしても、着実に来店ポイントをゲットしている。

 常連が増えたのは、フェアリーパラダイスにとって良いことではある。が、仕事とはいえ彼女を『お嬢様』と呼ぶのだけは、今でも少なからぬ心理的抵抗はあった。


 夕方直前の繁華街は、むせるような熱気が漂っていた。歩道を歩いていたら、交差点で赤信号に止められる。

 歩道に面したビルに大きな窓ガラスがあり、街の風景が鏡のように映し出されていた。その中に、女子の制服を着た僕の姿もある。ネクタイを直すふりをしつつ、自分の全身に目線を走らせてみた。

 今朝も実感したことだが、ブラウスの胸元を押し上げているEカップのバストが、僕の体では際立っていた。これだけでも十分エロいのに、さらに175cmもある身長がそれに拍車をかけている。

 ここまでエロさが強調された女の体になってしまったから、特に男からの視線が集中してしまうことを、散々思い知らされてきた。けれど僕は、女としての自分の体を嫌いになることができない……だって僕自身が一番、自分に対してエロさを感じているからだ。

 ナルシストと言われるかもしれない。けど、かつては男であり、女の裸を見たことのなかった僕が、いきなりこんなエロい体になってしまったのだから、興味を持つなというのは難しいことだ。それに、まだ僕の中には男の心が残っているつもりだから、そういう目で自分の体を見てしまうのも当然だとも思えてしまう。ついでに言えば、毎晩のオナニーがやめられないのも、それが理由だと言える。

 さらに目線を上げて、今度は自分の顔に注目してみた。

 首から下は、別人と言えるほどに変わり果ててしまったが、顔に関しては男だった時とあまり変化がないように感じられる。店で働くために、眉を整えたり肌の清潔感に気をつけるようにはなったけど、王子様役を演じるのだから髪型はショートのままで、フェミニンな要素は薄いはずだ。

 可愛らしさという点ならTSの僕よりも、童顔と言うか表情豊かなショタ顔のともみさんや、本当の女以上の女らしさにあふれた美貌を持つ絵舞さんといった、同僚の男の娘達の方が遥かに上回っている。そんな二人と比べたら、僕の顔に女らしい可愛らしさがあるとは到底思えない。事実、以前に電車内で痴漢にあった時、相手は僕の顔を見て『男』と言ってたから、一目見て『女ではない』とわかるくらいの男っぽさはあるのだろう。

 こんな『男そのものの顔』と、『エロいバストを持つ体』という、相反する要素を併せ持っているのが、今の僕というわけだ。内面だけでなく見た目においても、僕は矛盾からは逃れられないらしい。

 信号が青に変わり、横断歩道の白線を進んでいく。太ももの上でプリーツスカートの裾がひらひらと揺れる。

 こうやって制服のスカートをはいて歩き回ることには、大分慣れてきた。最初から着心地は悪くないと思っていたし、似合っているかは別としても、今では結構気に入ってさえいる。かといって、私服でもスカートをはきたいとまでは、思いきれていなかった。

 渡り終えたところで正面の方から、私服の女子が歩いてきた。裾周りにフリルがあしらわれた、ゴスロリっぽい黒のミニスカをはいた彼女は、軽やかな足取りで脇を通り過ぎていく。どこか楽しげな雰囲気もあったし、きっとデートに向かう途中なのだろう。

 ああいう女子を見かけると、チャンスがあれば僕もミニスカに挑戦してみようかと、思わないでもない。とはいえ、男そのものの顔をした僕がミニスカをはいたらどうなることやら……少なくとも自分には、ゴスロリは似合いそうもないことだけはわかる。逆に、セクシーなタイトミニならどうなのかと言われれば、もっと大人にならないと無理かもと考えてしまう。


 フェアリーパラダイスの更衣室で着替えている時、ふと気がつく。王子様役のコスとして身につけているキュロットも、スカートの一種ではあった。

 制服のスカートと比べても、丈はかなり短く、太ももはかなり露わだった。でもキュロットは裾の前後が繋がっていて、ショートパンツみたいな感覚がある。そういったこともあって、こっちの方が僕の好みに合っていた。


「ただいま~、王子様!」

「おかえりなさいませ、お嬢様方」

 社交的女子が友人AとBを連れて来店すると、僕は不本意ながらもうやうやしく出迎えた。彼女達は、だいたい七時ごろに姿を現す。

 友人Aはともみさんとソシャゲの攻略話へのめり込み、友人Bは絵舞さんとオシャレ談義に花を咲かせる。社交的女子のお相手を務めるのは、これも不本意ながら僕である。

「このカードが満点になったら、あんたが壁ドンをサービスしてくれるって話だけど、今まで何人にしてきたの?」

 ポイントカードを取り出した社交的女子がたずねてきたので、事実だけを答える。

「まだ先生だけです」

「へえ、遊井名田先生にそんなことしたんだ?」

「いろいろと経緯があって、リクエストにお応えしました」

 先生の話題となると、大ファンでもある彼女としては興味を惹かれるようだ。

「あの先生が体験したんだから、私だって挑戦してみたいよね。その時はよろしく」

「かしこまりました。いざとなってから、ビビらないでくださいませ」

「バカにしないでくれる? あんたのことなんか、なんとも思っちゃいないんだから」

 この女は、まだ『ツンデレ』と『悪役令嬢』の区別がついてないようだ。

「……まさかあの子も、王子様の壁ドンを狙ってる?」

「オレ達だってしてほしいのに……」

 背後から常連の二人組が恨めしそうにつぶやくのが聞こえたが、あえて無視する。

 それはさておき、いくらファンだからって、同じことを希望しなくたっていいだろうに……面倒くさくなりつつも社交的女子の相手を務めていると、ゆっくりと店のドアが開いて、先生が入ってきた。

 噂をすれば影というわけでもないだろうが、妙にタイミングが合ってしまった。ともみさんが出迎えに回る。

「おかえりなさい、先生」

「きたわよ」

 自ら予約席に着いた先生と、ともみさんが何か話していた。それを見た社交的女子が、早速浮足立つ。

「先生だ。今夜は会えるんじゃないかって思ってた!」

 彼女の目線は先生へと釘付けだ。そんな彼女に僕は釘を刺す。

「お待ち下さい。あくまで先生は、お客様として来店しております」

「わかってるって。こっちだって、邪魔して嫌われたくないし……でも」

 見るからに未練がましい表情を、社交的女子はしていた。同じ店内にいるのに、話しかけられない状況は、お預けをくらった犬みたいな気持ちなのだろうが、しつけは大事だ。

 シナモンミルクティーを、先生は至福の表情で、時間をかけて嗜んでいた。そんな一時を提供することも、僕達店員の勤めでもある。

 やがて先生はカップを置いて、僕達に軽く手招きした。それを合図と受け取り、社交的女子をそばへ連れて行く。

「先生、お久しぶりです! この前の同人誌、とても面白かったです!!」

 毎度のことながら、先生を前にした時の社交的女子の変貌ぶりは、豹変と呼ぶにふさわしいものがある。そんな彼女が喋りまくる小説の感想に、先生は何度も相槌を打つ。

「ヒロインが壁ドンされるシーンが、そんなに良かったの?」

「はい! まるで自分が壁ドンされてるみたいで、すっごくドキドキしました」

「あそこは特に力を入れたからね。そう言われたら嬉しいよ」

 先生が意味ありげに僕を見た。確かに、僕が先生に壁ドンをしたからこそ、あのシーンが書き上げられたのだから、そのイメージも含まれていると言える。

 そんなことを知らない社交的女子は、ひたすらそこを褒めていた。もし、この女が事実を知ったらどんな顔をするのだろう……意地の悪い興味が、僕の心に芽生えていた。

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