第六十六話

 ホールから外へ出ると、強烈な日差しが照りつけてきた。遠くに見える建物が、眩しくきらめいているように見える。あと一時間もすれば太陽は今日の頂点に達するだろう。気温も最高潮へと上昇し続けるに違いない。

 屋外のコスプレエリアでも、様々なコスプレイヤー達と、その撮影者達がひしめきあっている。その一角を陣取ると、二人組による撮影が開始される。

 しばらく撮影した後、脇で控えていた倉石君によっしーさんが呼びかける。

「君も王子様の隣に並ぶんだ。一緒に撮影してあげよう」

「さっき記念撮影したし、俺はコスプレしてないですけど」

「これはヴァンタンさんに報告するためだ。君のことは、彼のキャラ作りに協力してくれたパートナーだと伝えてある」

「そうそう、店長さんと絵舞さんからも、『君達二人が一緒にいるところもちゃんと撮影してほしい』ってお願いされてるんだから、遠慮しないで」

 ビデオカメラを構えたままのオカチャンさんが頷いていた。

 嶋村さんと絵舞さんが二人組にそんなことまで頼んでいたということは、今夜のフェアリーパラダイスで行われる打ち上げの席で、ニヤニヤしつつその画像を眺めたいからだと想像できた。ホントにいい趣味しているとしか思えない。

 恐縮したようなふりをしつつ、倉石君が隣に立った。二人組が向けてくるカメラに向けて、ぎこちない笑顔を作っている。

「そのコスは◇◇に出てくる、▽▽ですよね。撮ってもいいですか?」

 撮り終えたところへ、今度は別の一般参加者が声をかけてきた。僕が了承すると、倉石君は素早く離れていく。

 続けて何人かの参加者達が、デジカメやスマホで僕を撮影してきた。この日のために今まで練習してきたのだし、張り切ってポーズを取ってみせる。

 店で『王子様』として働いてきたから、『他人に見られる』ことに関しては慣れていたはずだった。でも、こうして大勢の人からカメラを向けられるのは、それ以上の高揚感がある。ヴァンタンさんの作ってくれたコスが良くできているから注目されるのだと理解はしているが、『もっと見て欲しい』とか『見られているのが嬉しい』といった感情も湧き上がってくる。

 ともみさんもこういう気持ちを感じているからこそ、コスプレにハマっているんだろうな……そんなことまで思ってしまう。

 礼を述べて撮影者達が去っていく。それほど長い時間ではないけれど、強い太陽の光を浴びていると、肌がジワリと汗ばんでいくのがわかった。そばに戻ってきた倉石君がポータブル扇風機を差し出す。受け取ってスイッチをオンにすると、熱さを帯びた風が吹き付けてくる。

「熱いな……全然涼しくないよ」

「ともみさんに言われて用意したんだけど……」

 二人で首を傾げていたら、他のコスプレイヤーを撮影していたオカチャンさんが通りかかった。

「そういうのは日陰とか、日差しのない屋内で使う物だよ。日が当たってる場所だと、そのまま熱風しか出ないからね」

 理由もわかったことで、建物の陰になって日の当たらない場所に移動してみた。確かにそこだと、扇風機からの風はいくらか涼しく感じられる。

 その後も撮影者達のリクエストに答えて、僕は相手の被写体となった。正午を過ぎた頃、ともみさんと売り子の交代をするために戻ろうとして、その前によっしーさんとオカチャンさんに声をかけておく。

 様々なコスプレイヤーを撮影できて、二人はすっかりご満悦だ。

「王子様と倉石君、ともみちゃんの撮影もできたことだし、オレ達も本来の目的である同人誌購入に戻るよ」

「午後はもっと暑くなるから気をつけて。今夜の打ち上げでまた会おうね~」

 僕達と同じくらいに熱い日差しの下で活動していたはずなのに、微塵も疲労を感じさせることなく、二人は去っていった。その後姿を見送りつつ、倉石君がつぶやく。

「二日目なのに、あの気力を維持できるなんて、マジで二人はタフだよ」

「同人誌を買うって言ってたけど、今日は何を売ってるんだっけ?」

「主に成人向けっていうか18禁だな。まあ、あの人達は大人だから」

「それが本来の目的か……もしかして、君も欲しいんじゃないのかい?」

 冗談交じりに言うと、倉石君は焦り気味に顔を横に振る。

「俺はそこまで変態じゃない! そんなに信用できないのかよぉ~?」

「悪かった。君はそんな奴じゃない」

 いつかの夜を思い出して、ウザい気持ちが胸に沸き上がってしまった。


 サークルスペースに戻って一休みしていたら、通りすがりの女性参加者がともみさんに気づいて声をかけてくる。

「あっ、ともみさんだ。撮影していいですか?」

「どうぞ。カワイく撮ってね」

 ともみさんは先生を手伝っている時も、参加者達からの撮影にも気軽に応じていた。コミケにおける男の娘コスプレイヤーの常連であり、それなりに有名だということがよくわかる。

 僕達が売り子を交代すると、ともみさんは塩タブレットを口に含んでから大きく背伸びする。

「さ~て、もうひと踏ん張り行ってみるか!」

 そのままともみさんは軽やかな足取りで場内を進んでいった。その歩き方すらも、元ネタの男の娘キャラをトレースしているようだ。

「同級生の『あの子』は、午後入場で来るのかな?」

 扇子で顔を扇いだ先生が尋ねてきたのは社交的女子のことだ。詳細な時間までは聞かなかったが、コミケ初参加である取り巻き達を引き連れてくるのだから、それ以後のはずである。

「そうだと思いますが、彼女へのオマケには、何を用意したんですか?」

「ちょっとした粗品だよ。喜んでくれるといいけど」

 あの女のことだからどんな物でも、下手すると先生の足跡ですら、歓喜して受け取るに違いない。倉石君のことを口封じするためとはいえ、先生に負担をかけるのは忍びないけど、先生自身が相手を好ましく思っているのだし、こっちとしてもその配慮はありがたかった。

 やがて午後入場が開始された。アーリー入場の頃と比べて、より一層混雑がひどくなっていく。そんな人混みをすり抜けて、弾丸みたいな勢いでこちらに向かってくる人影がある。

「姉貴ーっ! やっと来ましたぁ~!!」

 新島は文字通り汗だくで現れた。このクソ熱い中、何も走ってくることもないだろうに、見てるだけでも不快指数が急上昇しそうで、『寄るな、暑苦しい!』とまで吐き捨てたくなってしまう。

「よくここがわかったね」

「会場に入ったらともみさんと偶然出会って、ここを教えてもらいました。そこから急いで来たんです」

「ともみさんのコスプレはどうだった?」

「確かにかわいかったですけど、俺は早く姉貴が見たかったです。ああ、マジカッコいいっすね!」

 額から汗をにじませつつ、新島は瞳をきらめかせて僕の全身に視線を巡らせた。素で女装が似合うくらいに女顔であっても、行動そのものが暑苦しいのだから、全く可愛げを感じない。

 見かねた先生が汗ふきシートを差し出すと、新島は顔をペタペタと拭っていく。僕は呆れた気分で軽く息を吐きだす。

「まあいい。せっかく来たんだから、スマホで撮影したらどうだい?」

「いいんですか? じゃ早速!」

 尻ポケットから取り出したスマホで、新島は僕のコスプレ姿を何度も撮影した。ふと背後を見ると、倉石君が何かを堪えている表情で立ち尽くしている。

 敵意とまではいかないが、やはり倉石君は新島に対して含むところがあるようだ。逆に新島は倉石君のことなど眼中にもないらしく、僕との関係についてもよくわかってないらしい。

「撮影も済んだし、俺も姉貴を手伝います。何すればいいですか?」

 さっさと帰ればいいのに、余計なお世話だ。フェアリーパラダイスに押しかけてきた時から、こいつには塩対応しているつもりだが、全くめげる様子も見せない。ここまで来ると、ほとんど腐れ縁と言ってもいいだろう。

「君は一般参加だから、そんなことしなくていい。それより他のコスプレを見たり、どんな同人誌売ってるのかを見てきたらどうだ?」

「俺は姉貴以外に興味ないですから」

 新島はキッパリと言い切りやがった。すぐ目の前で先生が同人誌を売っているというのに、まったく失礼な奴だ。とはいえ先生の方は、相手を子供と思っているのか、余裕の笑顔を作っている。

 事実、こいつはまだ中学生だから、そういったオタク的なものがよく理解できてないのだろう。理解する気があるのかすらも不明だが。


 社交的女子が取り巻きの六人を引率して現れたのは、ともみさんが場内の周回から戻ってきて、スポーツドリンクを一息に飲んでいた時のことだ。

「約束どおり、皆を連れてきたよ。王子様」

 ドヤ顔な彼女の周りにいた取り巻き達が、コスプレしている僕を目の当たりにして、一斉に歓声を上げる。

「徳田さん、その衣装ホント似合ってる!」

「スッゴクかわいいです、先輩!」

「ありがとう。暑い中、皆が来てくれて嬉しいよ」

 僕は『王子様』としての笑顔を作って、取り巻き達をねぎらった。さらに彼女らはともみさんにも目を向ける。

「ともみさんのコスプレ、マジカワイイ!」

「男の娘のキャラですよね? お似合いですぅ!」

「そう言ってくれると、ボクも嬉しいな」

 ともみさんと僕を取り囲んで、取り巻き達は浮かれまくっていた。その間、先生に慇懃なあいさつをした社交的女子は、お褒めの言葉をいただいている。

「暑い時に、王子様やともみちゃんのために大勢連れてきてくれて、ご苦労さまだったね」

「いえ、当然のことをしたまでですから」

 神妙な態度を装っている社交的女子だが、内面ではトロトロにとろけきっているであろうことが、僕には手に取るようにわかった。

 続いて彼女の『本来の目的』である、『先生から直接手渡しで同人誌を買う』段となった。先生がキャリーケースからを取り出し、同人誌の上に置く。

「ささやかだけど、私からの感謝の気持ちだから、受け取ってほしい」

 それは、先生の同人誌の表紙であるイラストが印刷された、ポストカードだ。しかもティアで発行した前作の同人誌の分も合わせて、二枚用意されていた。社交的女子は目を丸くする。

「先生が、私のために……ありがとうございます!」

 感極まって頭を下げた後、社交的女子の表情は完全にのぼせ上がっていた。彼女のそばに寄ると、皮肉混じりに耳打ちする。

がもらえてよかったな」

「ああ……こんな物までいただけるなんて」

 社交的女子が手に取ったポストカードの裏側には、先生の直筆サインまである。それらをうっとりと眺めている彼女には、最早こっちの言葉が全然通じていなかった。

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