Episode039:そして少女は弓を引いた



 ──降りしきる雨の中。



 大和は1人呆然と立ち尽くしていた。

 全身が血に塗れ、しかし身に纏うものに傷はない。

 塗れたその血は、恐らく大和のものではないのだろう。

 だとするならば返り血だろうか、という程度の察しはつく。


 しかし、この異質な雰囲気は何なのだろう。

 どうにも様子がおかしい。

 そもそも、【ヴァルハラ】に向かったはずの大和がどうしてここにいるのか分からなかった。

 そして、大和の父は、玉響一刻はどうなったのか。



「大……和……?」



 掠れた声で呼び掛ける詩音に、大和はただ一言。



「逃げろ……」



 逃げる? 一体何から? あるいは、敵がそこまで迫っているのだろうか。

 大和でさえ手に負えないような怪物が。

 真っ先に思い浮かぶのは玉響一刻だった。

 大和の力を以てしても敵わない相手だったということか。

 可能性としては想定していたが、最悪の展開であった。

 ならば、恐らく大和の父は──。



「それなら、アンタも一緒に逃げるわよ」

「……俺はダメだ。ダメなんだ」



 詩音はムッと顔を顰める。

 また1人で無茶をするつもりなのだろうか。

 冗談ではない。

 こちらは、大和を見送る度に胸が締め付けられそうな想いをしているのだ。

 そう何度も看過出来ることではなかった。



「アンタね! いい加減に──」



 不意に、詩音はそこで言葉を止める。

 大和に異変が起きたからだ。

 突如として、大和の身体から溢れる白と黒の霧。

 それはまるで炎のように揺らめく。



「なに……あれ……」



 大和が纏う異質な霧。

 何かしらのスキルであることは間違いなかった。

 詩音にはそれを感知する力がある。

 ただ、何なのかは分からない。

 未知のスキルだった。


 ともあれ、使っているのは大和だ。

 それならば警戒する必要はないだろう。

 ないはずなのだ。


 しかし、何故か鳥肌が止まらなかった。

 怖いのだ。

 大和が。

 大和の使うあのスキルが。

【甲殻蜥蜴】と対峙したあの時も。

 ゲンサイと対峙したあの時でさえ感じなかった恐怖に、詩音の身が竦んだ。


 そして、それはどうやら自分だけではないらしい。

 周囲を見渡すと、奏多、青藍を含めた多くの隊士が畏怖を抱いている様子で顔を青くしている。



「──詩音!! 避けろオオオッッッ!!」



 不意に声が響いた。

 奏多の声だ。

 逼迫したその声に詩音が咄嗟にその場から飛び退くと、それと同時にこれまで立っていた地面が爆ぜた。

 焦げ付いた地面から煙が昇る。


 今のはスキルではなかったと詩音は即座に気付く。

 スキルであったならば感知出来るはずだからだ。

 スキルでないということはつまり、魔法であるということ。


 そして、この場において魔法を使えるのは大和をおいて他に居ない。


 ゆっくりと大和の方へ目を向けると、やはり大和の翳した掌には円環の幾何学模様があった。

 予想通りだ。


 しかし分からない。

 何故大和が、自分に魔法を放つのか。



「どうして……?」



 震える詩音の問い掛けに、しかし大和は何も答えない。

 口を閉ざしたまま、酷く冷えきった眼差しを詩音へと向けていた。

 どう考えてもおかしい。

 いつもの大和ではない。



(そうか……)



 そして詩音は悟った。

 大和はスキルに呑まれてしまったのだと。


 思い出されるのは、一昨日の夜。

 詩音が大和に呼び出されたあの日のことだ。


 あの日に呼び出されていたのは、実の所詩音だけではなかった。

 奏多、青藍の両名も大和に呼びされていたのだ。


 馴染みの3人を呼び出したその場で大和が語ったのは、自身のスキルについて。

 つまりは〈ユニークスキル:傲慢〉についてだ。

 スキルの効果と、そしてスキルが孕む危険性についての説明を受けた。


 使わずに済めばそれでいい。

 しかしもしも必要であった場合、躊躇うことなくスキルを使うと大和は言った。


 止めることも出来ただろう。

 あるいはそれが正解だったかも知れない。

〈ユニークスキル:傲慢〉は強力であるが為に、その危険性も計り知れない。


 だが、もしも止めたことが原因となり大和に死なれてしまっては悔やんでも悔やみ切れない。

 それ故に、3人は誰も大和を止めることは出来なかった。


 しかし、大和ならどうにかしてくれるだろう期待していた。

 大和自身もどうにかすると言っていた。

 その為、大和の暴走は可能性の1つとして頭の隅にはあったが、甘く考えていたのだ。

 きっとそんなことにはならないだろう、と。


 故に詩音は、大和の異変に気付きながらもそれがスキルの影響によるものだと理解するまで時間が掛かってしまった。


 誰が悪かったのだろう。

 何を間違えたのだろう。

 多分、誰も悪くないし、誰も間違えていない。


 強いて言えば玉響一刻こそが悪だろうか。

 奴さえいなければ、こんな結果にはならなかったかも知れない。


 しかし、今更そんなことを言っても詮無きことである。

 賽は投げられてしまったのだから。


 もっときちんと考えていれば良かった。

 そうすれば、少なくとも覚悟が出来ていたはずなのだ。

 大和と戦うという覚悟が。


 何故、大和と戦わなければならないのだろう。

 戦うということは即ち傷つけ合うということ。

 命を削り合うということ。

 想い慕う相手と命の削り合いなんて冗談ではない。


 ただ、詩音に俯いている暇はなかった。

 戦わなければ、仲間が、自分が殺されてしまうのだから。

 そんなこと、大和にはさせられない。



「──〈スキル:絶矢〉」



 そして少女は弓を引いた。



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