Episode008:ここから始まる物語



 10日後、早朝。

 俺はハイロさんと出会ったあの草原へと足を運んでいた。

 周囲はまだほんのり暗い。

 朝星も暁光に霞む頃合だ。



「行くのか?」



 一緒に来ていたアルさんが言った。



「そうですね。それが目標だったので」

「そう、だよな……」



 アルさんはどこか寂しげに笑う。



「しかし、寂しくなるなあ……」

「そうですね」



 一緒に来ていたジレンさん、サーシャさんも同じような様子だ。

 皆、俺との別れを惜しんでくれている。

 正直、俺も思う所がないわけじゃない。

 ここは、この世界は俺にとって第2の故郷だ。

 思い出も沢山ある。

 離れるのが寂しくないわけがない。

 ただ、それでも帰りたいという気持ちの方が強かったのだ。

 俺はおもむろに身を翻す。



「お世話になりました。3人には、どれだけ感謝してもし足りません」

「いいってことよ」

「気にしなさんな」

「そうですよ」

「それじゃあ、お元気で」



 にっこりと笑う3人に見送られ、踵を返して歩き出す。


 あの【無限水晶】には、容量いっぱいに魔力が注がれていた。

 2000億の魔力。

 1億人分の魔力。

 不可能だと思っていた魔力がここにある。

 つまり、使うことの出来なかったあの魔法陣がようやく日の目を見る日がやって来たのだ。


 ジレンさん、サーシャさんが作ってくれた魔法陣と【無限水晶】があれば、理論上、俺は地球に帰ることが出来る。

 アルさん曰く、ハイロさんは大量の魔力が必要だと分かるよりも以前からずっと【無限水晶】の製作をしてくれていたらしい。


 毎日コツコツと魔力を溜めていてくれたそうだ。

 大量の魔力が必要になるだろうことは、初めから何となく分かっていたらしい。


 アルさんが魔力の注入を手伝おうとしたこともあったようなのだが、魔力の注入が出来るのは初めにそれを行った者だけ──つまりハイロさんだけだからと断られたようだ。


 それと、少し前にもうじき完成しそうだとも言っていたらしい。

 箱に入っていなかったことから察するに、恐らく完成したのは亡くなった前夜だろう。

 アルさんはそう言っていた。

 本当に、ハイロさんには一生頭が上がらない。


【無限水晶】と、魔法陣が描かれた紙を指環から取り出す。

 指環から物を取り出す時は、欲しい物を念じればいいだけ。


 黄ばんで、随分と傷んでしまったそれを地面に広げる。

 改めて見てもやはり壮観だ。


 手に持った【無限水晶】から、蓄えられた魔力が俺の身体を経由して魔法陣へと流れていく。

 2000億もの魔力ともなると、一気には流し込めない。

 少しずつ、とは言え一般に見れば異常な量の魔力が魔法陣へと伝い、淡い光を放ち始めた。


 もうじきこの世界ともお別れだ。

 2度と来ることはないだろう。

 例え来たいと願っても。


 淡い光はやがて眩い光へと変わり、俺は思わず目を閉じた。

 手を振る3人の姿を瞼の裏に焼き付けて。



 ──ありがとう。そして、さようなら。

 あなた達は紛れもなく俺の家族でした。

 一生忘れません。






 ♦






 目を開けると、俺はあの日の場所にいた。

 車も通れないような獣道。

 どうやら、無事に帰って来れたらしい。


 しかしあまり実感はない。

 感動も思ったよりなかった。

 未だ夢の中にいるような気分なのだ。


 それよりも、ひとまず身体に影響はないようで安堵した。

 未知の魔法陣だったのだ。

 何かしらの不具合があってもおかしくはなかった。


 最悪、身体のどこかしらが欠損している可能性も考慮していたのだが、杞憂だったらしい。

 それにしても、あれから6年も経ったのにこの場所は何も変わらないな。


 ひょっとしたら開発が進んでいて、ここはもう獣道じゃなくなっているかも知れないと思っていたんだが……。

 ここまで変わっていないと正直拍子抜けだった。

 まあしかし、街並みはかなり変化しているだろう。

 気分は浦島太郎だ。



「とりあえず家に帰るか……」



 家に帰れば、きっと嫌でも実感するはず。

 地球に帰ってきたのだ、と。

 そう思いながら家の方へ向かう。

 6年経っても帰り道を間違えたりはしない。

 もっとも、この獣道に限っては一本道なのだけれど。


 周囲はやけに静かだった。

 鳥の囀りや、虫の声すら聴こえない。

 まるで生物の気配を感じない。

 この獣道において、それは異常なことだ。

 何となく嫌な予感がした。

 そうして獣道を抜けた先で、俺は自分の目を疑った。



「──なんだよ、これ……」



 街は荒廃していた。

 まるで大きな竜巻が街ごと飲み込んだ様な凄惨な姿に変わり果てている。

 見渡す限り、視界に収まる全てが瓦礫の山。

 風化の具合からして、随分前からこの有様のようだ。


 それは俺の家も同じだった。

 家があったはずの場所には、廃材の山が築かれている。


 愕然とした。

 いったい何が起こればこんなことになるというのか。



「誰か、誰かいないのかッッッ!?」



 声を荒らげながら街を駆けた。

 砕けたアスファルトの上を。

 瓦解した建物の上を。

 隆起した歩道を。


 されど、人の気配は見付からない。

 悪い夢を見せられていると思いたい。

 だが、夢と呼ぶにはあまりに鮮明過ぎた。

 徐々に速度を緩め、俺は遂に足を止めて座り込んだ。



「なにが……なにが起きているんだ……」



 皆、死んでしまったのだろうか。


 激しい動悸と目眩。

 上手く力が入らない。

 酷く冷静さを欠いていた。

 だからだろうか。



 ──俺は、忍び寄る影に気がついていなかった。



「グルルルッ」



 低く畝ねる声。

 咄嗟に目を向けて、再び絶句した。

 何故なら──。



「……なんで」



 どうして、異世界の生物がここにいるんだ……?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る