Episode006:別れ



 別れ、というものは唐突に訪れる。

 いつだって突然だ。

 突然で、必然だ──。



 異世界に来てから6年の歳月が流れた。

 もう人生の3分の1をこの世界で生きている。

 随分と長居してしまっている。


 未だ地球へ帰る目処は立っていない。

 まあ、そんなに甘くないという話だ。

 しかし、諦める気はさらさらない。

 諦める程、俺はこの世界を理解していないのだから。


 そして今日も今日とて朝がくる。

 天気は曇り。

 雨が降りそうな空模様だ。


 朝食は何を作ろうか。

 そんなことを思いながら部屋を出て、ふと違和感を覚えた。


 ──おかしい。いつもならハイロさんの方が早く起きているはずなのに……。


 コーヒーを片手に本を読むハイロさんの姿がそこにはなかった。

 俺達は基本的にのんびりスローライフを送っている。

 だから寝坊なんて概念は特にないのだけれど。


 それにしたって俺より起きるのが遅いのは珍しい。

 というか初めてだった。


 たまにはそんなこともあるのだろう。

 きっと疲れているのだ。

 寝かせておこう。

 そうして朝食を作り終えるも、ハイロさんは起きてこなかった。


 流石に遅過ぎる。

 ……何かあったのだろうか。


 体調が悪くて寝てる……とか。

 不安を覚えた俺は、ハイロさんの寝室へと向かった。



 コンコン



 扉をノックするが、中からの反応はない。

 お互いの私室には許可なしに立ち入らないというのが暗黙のルールのようになっているが、今は緊急事態だ。

 申し訳なく思いつつも扉を開けると、ベットの上で眠るハイロさんの姿があった。


 なんだ。

 やっぱり寝ているだけだったか。

 どうやら杞憂であったようだ。


 一応声だけかけておこうかと歩み寄り、違和感を抱いた。

 気配に敏感なハイロさんがここまで近付いて反応しないなんてことがあるだろうか。

 それに、先程から微動だにしない。

 呼吸音すら聴こえない。


 血の気が引いていくのを感じた。

 どうか勘違いであって欲しい。



 ──頼む。



 そう願いを込めて、俺はおもむろにハイロさんの手首に触れた。



「──……ハイロさん」



 脈がない。

 ハイロさんはもう、冷たくなっていた。



 それからのことはよく覚えていない。

 覚えているのは、びしょ濡れになったアルさん一行が血相を変えてやって来たことくらいだ。


 アルさんは既にハイロさんが亡くなったことを知っていた。

 どういう経緯で知ったのかは分からない。


 分からないというか、正確には説明されたが内容が全く入っていないと言った方が正しいだろう。

 ともかくアルさんはハイロさんの訃報を知り、慌てて飛び出して来たのだと言った。


 老衰だったようだ。

 信じられないだろう?


 だって、ハイロさんは出会った頃と変わらず40代くらいの見た目をしているのだ。

 とても老衰するような年齢には思えない。


 しかし違った。

 違ったのだ。

 ハイロさんの年齢は優に300歳を超えていた。


 とても信じられない。

 が、ここは異世界であって、地球ではないのだ。


 俺の物差しでは到底推し量れない。

 それに、それならば老衰なのにも得心が行く。


 弔いは粛々と行われた。

 俺の知らない沢山の人がハイロさんに会いに来た。

 皆、ハイロさんとは古い付き合いらしい。


 この世界の弔いは、日本とあまり変わらなかった。

 神官と共に祈りを捧げ、最期は火葬する。

 違いがあるとすれば、火葬の際に使われる炎が魔法によるものだということだ。



〈最上級混合属性魔法:女神の迎え火〉



 火属性と光属性の混合魔法だ。


 白色の炎が棺ごと包み込む。

 本来は神官が行うものなのだが、今回は俺にやらせてもらった。


 せめてもの手向けになればいいと。

 立ち昇る煙と共に、ハイロさんは呆気なく空へと消えていった。




 葬儀が終わり、残ったのは俺とアルさんだけになった。

 他の皆はもういない。

 多分、アルさんは俺を心配して残ってくれたのだろう。


 申し訳なく思いつつも、今は甘えさせてもらう。

 何もする気にならないのだ。


 アルさんが作ってくれた夕食を食べて、俺は自室のベットに横になった。

 ハイロさんがいなくなってから3日目の夜だ。


 未だに実感は湧かない。

 現実味がない。

 現実を受け入れられない。

 もしかしたら、この扉の向こうにはハイロさんがいるのではないかと思ってしまう。

 いつもの優しい笑みを浮かべて。


 けれど、ハイロさんはそこにはいない。

 そんなことは分かっている。

 分かっているつもりだ。


 でも、心が追い付かない。



「俺は……まだ何も返せていないのに……」



 ハイロさんには多くのことを教わった。

 魔法を教わった。

 スキルを教わった。

 狩りの仕方を教わった。

 この世界の読み書きを教わった。

 生きる術を教わった。


 それだけじゃない。

 ハイロさんは俺の孤独を埋めてくれた。

 心の拠り所になってくれた。

 ハイロさんがいなければ、俺はとうの昔に死んでいただろう。


 ハイロさんは俺の師であり命の恩人だ。

 そして、家族でもあった。


 だから俺は、ハイロさんに恩返しがしたかった。

 これから、という時だったのに。

 ポロポロと涙が零れてくる。



「くそっ、止まれよ」



 泣かないと決めていた。

 泣いてしまえば、ハイロさんがいない世界を認めてしまう気がして。

 しかし堰を切った感情は滂沱して止まらない。

 制御出来ない。

 俺は涙が枯れるまで、しばらくの間声を押し殺して泣き続けた。


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