Episode005:久しぶりの外出
初夏の爽やかな風が森の香りを運ぶ。
久方ぶりの外だ。
いつぶりだろうか。
記憶が曖昧になるほど外に出ていなかった。
こちらの世界の夏は、地球の夏よりも遥かに涼しい。
暑くても30度を超えることはない。
今日は体感22度前後といった所だろうか。
もっともそれは、ここが森の中だというのも影響しているのだろうけれど。
外に出たは良いが、別段目的があるわけじゃない。
ただ、外に出れば何かが変わるかも知れない。
漠然とそう思った。
行くアテもなく森の中をぶらつく。
こっちに来てから3年。
もう森は庭のようなものだ。
手ぶらでも迷うことはない。
ぼーっとしたまましばらく歩いていると、いつの間にか俺は森を抜けていた。
かなりの時間を歩いていたらしい。
散歩というには些か歩き過ぎてしまった。
少し休憩をしようと近くの岩場に腰を落ち着かせる。
目の前に広がるのは広大な草原だった。
大海原のような草原。
──そう、ここは始まりの場所だ。
ここから俺の異世界生活が始まった。
俺なりに努力はしてきたつもりだ。
しかし、結果はこのザマ。
大事なのは結果だ。
その過程がどれだけ素晴らしかろうと、結果が伴わなければ意味はない。
俺の3年間は無意味だ。
──果たして、本当にそうだろうか。
確かに俺は帰ることが出来なくなった。
それは揺るぎない事実だ。
けれど、俺はこの3年の間に異世界で生きていく術を学んだ。
力を得た。
ならば、意味はあったんじゃないだろうか。
それに、いつの日か地球へ帰る術を見付けられるかも知れない。
まだ3年。
たったの3年なのだ。
諦めるにはまだ早い。
落ち込むだなんて随分らしくないことをした。
さて、そろそろ帰ろう。
帰って、まずはこれまでのことをハイロさんに謝ろう。
落ち込むのはもうやめだ。
引きこもりは卒業する。
そうして立ち上がったその時──。
「……なんだ?」
妙に森がざわついているのを感じた。
嫌な雰囲気だ。
そして強い気配が1つ。
これは、この気配は──。
「──来る」
俺は咄嗟にその場から跳び退く。
跳びながら、俺が先程まで座っていた岩が縦に真っ二つにされるのを視界に捉えた。
その断面は、鋭利な刃物で斬られたように濡れたように輝いている。
この森であんな芸当が出来るのは、奴等しかいない。
そいつは、森の中からゆっくりと姿を現した。
「【
死神の異名を持つ蟷螂の魔物だ。
体長は成人男性ほど。
甲殻は黒く、両腕の鎌だけが鈍く輝いている。
あれに斬られたら一溜りもない。
ギョロリと、黄色の複眼が俺を睨んだ。
どうやら獲物だと思われているらしい。
魔物である時点で強力なのだが、黒大蟷螂はその中でも危険度は高い。
かつての俺であったならば、まず間違いなく死んでいた。
逃げることすら叶わずに。
しかし、研鑽を積んだ今なら臆することはない。
魔物にも後れを取ることがないくらいには強くなったつもりだ。
とは言え、怠惰な生活を続けていた今の俺には少し荷が重い相手かも知れないが。
気合いを入れ直す相手としては申し分ない。
「〈中級風魔法:鎌鼬〉!!」
小手調べに魔法を放つ。
高速で飛翔する風の刃は、果たして巨大な鎌に弾かれた。
少しは競り合うと思っていたんだが……。
これは想定よりも苦戦するかも知れない。
「〈中級風属性魔法:鎌鼬〉!! 〈中級雷属性魔法:落雷〉!!」
風の刃と上空から降り注ぐ雷。
今度は立て続けに2発の魔法を放つ。
しかも、加減した先程の魔法とは威力がまるで違う。
これなら多少なりともダメージを受けるはずだ。
しかし黒大蟷螂はこれを受けるのは危険と判断したのか素早い動きで躱し、更に鎌を振るって攻撃を仕掛けてきた。
俺と黒大蟷螂の間にはまだ距離がある。
本来ならばその鎌はただ空を切るだけのはずだった。
だが──。
「──チッ」
俺は舌を打ってその場から跳び退く。
すると、俺がいた場所の地面が深く抉られた。
これは、奴の飛ばした斬撃の跡だ。
〈スキル:飛翔斬〉
それが、黒大蟷螂の持つスキルの名だった。
岩を切断したのもこのスキルによるもの。
鎌と同等の斬れ味を持つ、厄介極まりない技だ。
あれを喰らうのはまずい。
しかし、目に見えない斬撃を躱し続けるのは至難の業。
ならば、攻めあるのみ。
「〈上級混合属性魔法:乱気龍〉!!」
翳した掌から、龍を象った巨大な渦が周囲の大気を蹂躙しながら雷を迸らせて飛んでいく。
ごそっと魔力を持っていかれる感覚がした。
広範囲殲滅魔法。
どれだけ俊敏に動こうとも、これなら避ける隙間もない。
「──キイィイイイイッッッ!!」
甲高い金切り声が響く。
直撃だ。
にも関わらず、黒大蟷螂は大したダメージを受けていなかった。
精々、鎌の一部が欠けたくらいだろう。
流石に硬い。
しかし、そんなことは折り込み済みである。
黒大蟷螂は命の危機を感じたのか強く地を蹴って突貫してくる。
近接戦闘ならどうにかなると思ったのだろう。
実際その判断は正しい。
接近戦が苦手な訳じゃないが、アレが相手では分が悪い。
だから常に距離を取って戦っていたのだ。
だが、もう遅かった。
「〈聖天級雷属性魔法:
俺が使える中で最も強力な魔法だ。
強力な為に構築に少々時間がかかる。
故に、戦闘が始まった直後からこの魔法の構築を行っていた。
これまでの魔法は、この魔法を発動する為の時間稼ぎに過ぎない。
──刹那、遥か上空から炎を纏わせた雷が降り注いだ。
その威力は、〈中級魔法:落雷〉とは比べるべくもない。
けたたましく轟く雷鳴。
爆風が巻き起こり、その余波で周囲の木々が吹き飛ばされる。
これは少々やり過ぎたか……?
いや、魔物はやり過ぎくらいでちょうど良いのだ。
奴等の生命力は侮れない。
やがて土煙が晴れると、そこには大きなクレーターが出来ていた。
黒大蟷螂の姿は跡形もなく消失している。
──完全にオーバーキルだった。
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