Episode035:悪魔は地獄より這い出る



 嘘だ。

 嘘だろ?

 誰か冗談だと言ってくれ。

 俺は……俺は間に合わなかったのか……?



「おや? キミは……」



 学ランを着た少年は、緩慢と振り返った。

 そして、笑うのだ。



「やあ、待っていたよ」

「待っていた、だと……?」

「そう、待っていたんだ。メインディッシュに相応しいキミをね」



 メインディッシュ?

 こいつは、何を言ってるんだ?



「しかしまさか、君達が親子だったとは……。いやあ、実に劇的じゃあないか。素晴らしいね、最高だよ」



 ぬるりと、父さんの身体から腕がぬかれる。

 ゆっくりと倒れていく身体。

 溢れ出る真っ赤な血。



「父さんッッッ!!」



 瞬間、俺は駆け出していた。

 父さんが地面に衝突するよりも先に身体を受け止め、声を掛ける。



「父さんッ!! しっかりしてくれ!!」

「うっ……」



 良かった。

 生きてる。

 しかし既に意識がないのか呻くばかりで、目を開ける様子はない。

 長くは持ちそうになかった。

 早く治療を施さなければ命が危ない。



「そこの人!!」

「お、俺か?」



 俺は近くにいた男に声を掛けた。



「そう、あなたです。あなたは父さんの……この人の仲間ですか?」

「そ、そうだが……」

「なら悪いんですけど、この人を治療出来る人の所に運んでくれませんか? 病院くらいこの街にもありますよね?」

「わ、分かった!! 任せろ!! おい、お前らも手伝え!!」



 快く引き受けてくれた男は父さんを背負い、数人の仲間と共にこの場を後にしようとする。

 彼等を信用していいのかは分からない。

 しかし、今は信じて託すしかなかった。


 俺は、邪魔者の相手をしなきゃならないから。



「行かせると思うのかい?」



 ──玉響一刻だ。


 これまでの流れを静観していた玉響であったが、流石に見逃してはくれないらしい。

 気付けば移動して、出入口を塞いでいる。



「うっ……」



 身じろぐ男。

 玉響一刻に立ちはだかられては、狼狽えるのも無理はない。

 だが、足踏みしている場合ではないのだ。



「──どけよ、お前」



 刹那。

 玉響までの距離を瞬く間に踏み潰して、蹴りを放つ。



「おっと……」



 この一撃で決まっていてもおかしくない。

 凡庸な者ならば何が起きたのかさえ分からない内に沈むだろう。

 しかし流石は国内ランキング1位。

 反応こそ遅れたもののしっかりと腕で受け止め、流れに逆らうことなく自ら跳んだ。



「恐ろしく速いね。それに重い。僕じゃなきゃ殺られてたぜ」



 そう言う割には、玉響はまだ余裕の表情を浮かべている。

 事実、手応えはなかった。

 だが、別にそれでいい。

 目的はそこにはないのだから。



「今です!! 他の人達も一緒に逃げて!!」



 俺の叫びに、玉響を除いた人間が呼応する。

 目的は父さん、及び他の人間を退避させること。

 ここは今から荒れることになるから。



「あーあ、逃げられちゃったじゃないか」

「安心しろよ。お前の相手は俺がしてやるから」



 それより、と継いで。



「覚悟は出来てるんだろうな?」

「覚悟?」

「そう、覚悟だ。死ぬ覚悟。殺される覚悟は出来ているかと訊いているんだよ」

「何を言い出すかと思えば……」



 と、玉響は嘲り笑う。



「つまり君は、王である僕が負けると、そう言いたいのかい?」

「そうだ。お前は俺に勝てない」

「ありえない。ありえないんだよ。僕は王なんだ。王たる僕に負けはない。君も直に分かるさ。僕に勝つことなんて出来やしないってね」



 傲慢だ。

 あまりに傲慢。

 しかし、玉響にはそう思わせてしまうだけの力がある。


〈ユニークスキル:怠惰〉


 デドゥリィシン・シリーズの1つにして最強の一角。

 勝てる者はそういないだろう。

 事実、玉響一刻はその力を以て、日本──いや、世界にその名を轟かせたのだ。


 だが、玉響は力の使い方を間違えた。

 朝陽のように使うべきだったのだ。

 力なき者を虐げるのではなく、手を差し伸べて救済する。

 そんな使い方だって出来たはずだ。


 もしくは何もしないか。

 力の名の如く、怠け、惰る。

 そうすれば、少なくとも誰かを傷付けることにはならなかっただろう。

 こうして対峙することもなかっただろう。


 あるいはそれも、〈ユニークスキル:怠惰〉が齎すデメリットなのだろうか。

 スキルに呑まれてしまった者の成れの果て。

 持て余す力が奴を歪ませた。

 ひねくれさせた。

 半ば異世界と化した地球は、人間さえもモンスターへと変えたのだ。


 だとするならば、玉響一刻もある種の被害者なのかも知れない。

 ただ、だからといって許すことは出来なかった。


【太陽の盾】に属する全ての人々。

 死んでいった仲間達。

 ベットに横たわる二郎さん。

 泣き崩れる花子さん。

 今も懸命に戦っているだろう仲間達。

【ヴァルハラ】に住まう感情を失った人々。

 今もどこかに監禁されているだろう母さん。

 そして、身体を貫かれた父さん。


 1人1人の姿が走馬灯のように脳内を駆け巡る。


 沸々と湧き上がるこの黒い感情は、多分怒りだ。

 曖昧なのは、こんなにも黒い感情を未だかつて感じたことがないから。


 そして、その感情は俺の中の悪魔を呼び覚ました。

 地獄から這い出るように、じわじわと腹の底から力が溢れ出すのを感じる。


 全てを守る為ならば、奴を殺す為ならば、俺は悪魔に魂を売っても構わない。

 傲慢にだってなってやろう。

 罪は背負って生きていく。

 覚悟は出来た。



「〈ユニークスキル:傲慢〉」



 かつて、危険であると封じられた力が開放された。

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