Episode021:敗走



──ズブリ、と。

一刻の華奢な細腕が、二郎の胸を貫く。



「──グハッ……」



一拍遅れて、二郎の口から溢れ出る真っ赤な血液。



「じろーッッッ!?」



迫る敵を押し退けて咄嗟に駆け出す花子。

その青褪めた顔には、焦燥が滲んでいた。



「マズイ……」



二郎の〈ユニークスキル:鬼童丸〉が解けかけている。


花子は見ていた。

一刻の貫手が、二郎の胸を貫く様を。

ただ、何が起きたのかは分からない。

優勢であったのは明らかに二郎であった。

落ちていた刀を拾い上げ、渾身の一撃を放った。

しかし、刃が一刻に触れる寸前で、二郎は不自然にピタリと止まったのである。

そして、何の抵抗もないままに胸を貫かれてしまった。

明らかに不自然だ。

一刻が何かしらの力を使ったに違いない。

もっとも、それがどんな力なのかは分からないが。



「面白かったけど、そろそろ終わりだね。じゃあ──ばいばい」



突き刺さった腕を抜き、倒れ込む二郎の心臓へ目掛けてもう1度貫手を放つ一刻。

その表情は、恍惚と歪んでいた。

二郎の意識は既にない。

絶対絶命であった。

だが──。



「〈スキル:反射〉」



間一髪。

花子が助太刀に割って入る。

貫手は花子のスキルによって、衝撃ごと跳ね返された。



「おっと……」



たたらを踏む一刻。

大きな隙だ。

しかし花子は不用意に踏み込むことなく、二郎を抱えたまま後方へと跳ぶ。

スキルの正体が判明しない以上、深追いは危険だ。


そしてその判断は正しかった。

もしも追撃を試みていれば、十中八九、二郎諸共串刺しにされていただろう。

相手の力を跳ね返す〈スキル:反射〉は強力だが、クールタイムは5分と長い。

これが他の相手であれば、時間を稼ぎつつもう1度〈スキル:反射〉を使うことも出来ただろう。

だが、一刻を相手にそれは不可能であった。

一刻の強烈な一撃を耐える力は、花子にはないのだ。


果たして二郎は無事であった。

気は失っているものの、目立った外傷はない。

スキルの効果がギリギリ間に合ったようだ。



「ふう……」



花子は安堵の溜め息を漏らす。

危なかった。

もう少し遅ければ、今頃二郎は帰らぬ人となっていただろう。

だが、未だ危機を脱したとは言い難い。



(どうする……?)



花子は思考を巡らせた。

二郎が負けた今、一刻を抑えておける人間はいない。

撤退するのが妥当だろう。

二郎だけは死なせるわけにはいかない。

彼は、人々の希望なのだ。

だが、ただ逃げるばかりでは背中を斬られてしまう。

逃げる時間を稼ぐ必要があった。

勝てずとも、それくらいならば、自分にも出来るはずだ。



(じろーは誰かに託そう……)



大丈夫。

二郎さえ生きていれば、立て直しは図れる。


意を決した花子であったが、しかし数名の人間が花子の前に立った。



「おまえら……」



自衛隊の頃から二郎の部下である精鋭部隊だ。



「花ちゃん! 時間稼ぎは俺らに任せてよ」



確かに、彼等ならば時間を稼ぐことは出来るだろう。

ランキングは花子の方が上だが、対人戦においては彼等の方が優れていた。

場数が違う。

だが、彼等は二郎にとっても、自分にとってもかけがえのない仲間である。

死にゆくと分かっていながら行かせるわけにはいかなかった。



「ダメ……。残るのは私でいい」

「駄目だよ。隊長には花ちゃんが必要だ」

「でも……お前らを死なせるわけには……」

「──花ちゃんッッッ!!」



ビクリッと、花子の肩が震える。



「君をここで1人にしたら隊長にドヤされちまうよ」



肩越しに振り返った彼等は朗らかに笑っていた。

これ以上は、何を言っても無駄だろうと花子は悟る。



「──分かった……」



でも、と継いで。



「死なないで」

「勿論だとも」



花子は踵を返し、ギリッと歯噛みする。

何が勿論なのか。

生きて戻るつもりなんてないクセに。



「──ッッッ!! 総員撤退!!」



花子の声を皮切りに、次々と隊士が撤退を始める。

当然敵は後を追うが、花子の元へは行かせまいとする隊士が立ちはだかって壁となる。



「みんなッッッ!?」

「行ってくれ、花ちゃん。どの道全員が逃げ切るのは無理だからよ」

「……ごめん」



視界が滲む。

されど、花子は前へと進んだ。

進むしかなかった。

この世は、どうしてこうも理不尽なのだろう。



「ほんとーに、ままならない世の中だね」



こうして、花子は数々の犠牲を払いながらも街へと帰還したのだった。



一方、残された精鋭部隊は。



「行っちまったな、花ちゃん……」

「ああ、でもこれでいい」

「だな。もしもあの娘を見殺しになんてしようものなら、隊長に殺されちまうよ」

「それより良かったのかよ? 生きて戻るなんて言っちまって」

「……良くはないだろうけどさ。あの場面じゃああ言うしかなかったんだよ」

「カッコつけてんじゃねえよ」

「うっせ」



──ハッハッハ。


笑い声が響く。



「あーあ、死ぬ前に童貞卒業したかったぜ」

「俺も」

「お前ら童貞かよ。通りでくせーわけだ」

「「いや、お前も童貞だろ」」

「……そういや、そうだったな」

「馬鹿かよお前」



いつも通りの会話。

その姿はとても死地へ赴く者の姿ではない。

だが、全員分かっている。

これが最期の会話になるだろうことは。

だからこそ、いつも通りを装った。



「まあ、最後まで精一杯足掻かせてもらおうや」



おう、と全員が呼応する。



──10人の首が【空の街】へと届けられたのは、翌日の早朝のことであった。



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