Episode045:消えたもの
優先的に青藍に治療してもらった詩音は、人手不足となっている医療部隊の手伝いに奔走していた。
回復系のスキルは持っていないが、小間使い程度には出来ることがある。
「詩音」
ちょうどひと段落した所で青藍に声を掛けられ、詩音はやおらに振り返る。
「ん……?」
「空いてきたし、そろそろ詩音は休憩して?」
気が付けば、時刻は既にお昼を回っていた。
どうりでお腹が空くわけだ。
青藍の言うように、怪我人は徐々に減り始めている。
専門ではない自分が少し抜けても支障はないだろうと詩音は頷く。
「なら、そうさせてもらうわ」
処置室を後にした詩音は病棟の中を歩いていた。
エレベーターはこの先だ。
大和はそろそろ目を覚ました頃だろうか。
忙しくしていても、脳裏に浮かぶのは想い人ばかり。
昨日、目を覚ました大和は両親の無事を聞くと心底ほっとした様子で胸を撫で下ろして「悪いが、今日は帰らせてくれ」と、疲れきった顔で帰っていった。
やることは山積みだったが、最功労者である大和を誰が引き止めることが出来ようか。
大和の両親をこの街の病院に移すことも、正午を過ぎれば面会が可能になることも伝えてある。
もし目を覚ましていれば、そろそろここに着ていてもおかしくはない。
そんなことを思いながら歩いていると、ふと通りがかった病室の前から聞き覚えのある声がした。
詩音にとって、誰よりも心地の良い声。
大和の声だ。
患者の名前を確認すると、そこには大和の両親の名前が。
(病室、ここだったのね……)
同じ階数と聞いて気には掛けていたのだが気付かなかった。
何度も前を通りがかっているのに。
もっとも、忙しくしていたのが原因だろうが。
病室の中からは、談笑している声が聞こえてくる。
どうやら、再会は無事に果たせたらしい。
詩音はトンッと壁にもたれ掛かった。
「良かったわね、大和……」
小さな呟きは、しかし扉の向こうの大和へ届くことはない。
「キミは行かないの?」
不意に声が響いて、詩音はそちらへと目を向けた。
「亜空……」
そこにいたのは、【天使の讃美歌】ユニオン長である九条亜空であった。
「アンタ、まだいたの?」
「まだいたのとは随分な言い草だね。ボクがいたらいけないのかい?」
「そういうわけじゃないけど……」
元々【天使の讃美歌】とは良好な関係を築いていたが、先日正式に同盟となり、今回の戦いでは大いに助けられた。
彼女達の加勢がなくとも負けていたとは思わない。
しかし、その被害はより大きくなっていただろう。
彼女達には大きな借りが出来てしまった。
だからというわけではないが、今や仲間と言っても過言ではない亜空がここにいるのは別に問題はない。
だが、彼女の仲間達は既に帰還しているはずだ。
何故彼女だけが未だここにいるのか。
「まっ、アレだよ。ボクも帰りたいのは山々なんだけれど、まだ仕事が残っているからね」
「仕事ねえ……」
亜空の仕事は人員の転移だ。
怪我人は既に移動が済んでおり、その他の面々は状況が落ち着き次第、各街に自力で帰ることになっている。
それでいて自身の仲間は帰還済みとなれば、役目は既に終えているはずだ。
気にはなったが、詮索するのは止めた。
面倒に巻き込まれたくない。
やぶ蛇はごめんだ。
「それで、キミは行かないの? 詩音ちゃんも彼の両親とは旧知なんでしょ?」
「そりゃあまあね……」
大和とは幼馴染みである詩音は、幼い頃に何度も竜胆家を訪れている。
当然、両親とも知り合いだ。
特に加奈子とは仲が良く、大和がいなくなってからも数回会っていた。
混ざりたい気持ちはある。
しかし。
「行かないわよ。家族団欒に水を差すような真似はしたくないもの」
「そっか。それなら一緒に昼食でもどうかな?」
柔和な笑みを浮かべる亜空に、詩音はこくりと頷いた。
2人が入ったのは、病院のすぐ向かいにある洋食レストラン。
昼食時なので混みあっているが、どうにか並ばずに入ることが出来た。
この辺には、飲食店が乱立している為だろう。
亜空はナポリタンを、詩音はハンバーグを注文する。
おもむろに口を開いたのは亜空であった。
「──しかし、彼も勿体ないことをしたねえ……」
「何がよ」
「大和ちゃんのことだよ。何も覚えていないんでしょう? 彼」
「まあ、ね……」
詩音は苦笑いを浮かべる。
亜空の言うように、大和は暴走している間の出来事を覚えていない。
どうやら、記憶が抜け落ちてしまったらしい。
つまり、詩音の愛の告白も覚えていないのだ。
「あんなに必死で可愛い詩音ちゃんを忘れちゃうなんて、本当に勿体ない」
「うっさい」
「渾身の告白だったのに……」
「うっさい」
「涙まで流して……」
「だから、うっさいっての!!」
ダンッ、と詩音は立ち上がる。
賑やかだった店内は静まり返り、一斉に詩音へと注がれる視線。
「あ……ご、ごめんなさい……」
詩音は腰を落として小さくなる。
その顔は真っ赤に染まっていた。
「ダメだよ、店内で大きな声出しちゃ」
「アンタのせいでしょうが……!」
大声で怒鳴りつけたい気持ちを抑えながら、詩音は小声で亜空を睨み付けた。
彼女のこういう所が本当に嫌いだ。
いけ好かない。
「悪かったって、そんなに怒らないでよ」
「フンッ……」
「今度うちの果物持ってくるからさ」
「むっ……」
【天使の讃美歌】の果物といえば、有名な特産品だ。
特定の果物ではなく、果物全てが特産品なのだ。
しかし流通する数が非常に少なく、詩音でさえも1度しか口にしたことがない。
だが、1度口にしたが故に忘れることが出来なかった。
「……しょ、しょうがないわね。許してあげるわよ」
「そう言ってくれると思ったよ」
「仕方ないものね」
仕方ないから許しただけだ。
果物につられたわけではない。
ないったらないのだ。
「だけど、詩音ちゃんはいいの? 忘れられたままで」
「いいわけないでしょー」
こちらは意を決した一世一代の告白だったのだ。
忘れられていいはずがない。
だが、だからといってあの状況を説明するのは恥ずかし過ぎて無理だ。
もう1度告白するだなんて以ての外。
想像しただけで脳が沸き上がりそうだった。
「つまりキミは、肩透かしをくらって怖気付いてしまったわけだ」
「怖気付いてなんて……」
──いや。
「そうね。怖気付いたんだわ」
もう1度告白出来ないのは、恥ずかしさのせいだけではない。
もしかしたら、今の関係が壊れてしまうかも知れないという恐怖が確かにある。
告白をする前は、後のことなんて考えていなかった。
しかし、告白した今となってはどうしても先のことが頭を過ぎってしまう。
大和の返事がどうであっても、今までの関係ではいられないと思うと怖かった。
正直、忘れてくれてほっとしている自分も否定出来ない。
「やけに素直だね」
「アタシはいつだって素直よ」
「そう?」
「そうよ」
しかし一方で、やはり思い出して欲しいという気持ちもあった。
乙女心は複雑である。
「まっ、キミがいいと言うなら、ボクはそれでいいんだけれどね」
それはそうと、と継いで。
「──玉響一刻の件は聞いたかい?」
和やかな空気が一転する。
「ええ」
詩音は頷いた。
亜空の言う、玉響一刻の件とはつまり遺体が消えたという話だろう。
大和が意識を失った後、奏多達がヴァルハラへと向かったのだが、その時点で既に遺体はなくなっていた。
ランキングから名前が消えているので、死亡は確定している。
であれば、誰かが持ち去った以外はありえない。
犯人の目星は付いている。
暁斗を病院まで運んだという男だ。
大和の証言が正しければ、その男が犯人である可能性は高い。
そして何より怪しいのが、男の身元が不明であること。
【烏合隊】の誰1人として、男の素性を知らなかったのだ。
寄せ集めの部隊とはいえ、誰も名前さえ知らないというのは流石におかしい。
実際、名前を知る者が1人もいなかったのはその男だけであった。
だが、既に男は姿を消している。
いったいどこに消えたのか分からない。
遺体を連れ去った目的も不明なままだ。
仲間達が痕跡を探っているが、防犯カメラのないヴァルハラでは困難だろう。
何よりもあの雨が全てを洗い流してしまった。
「何もなければいいけどね」
眉間に皺を寄せる亜空に詩音は頷く。
玉響一刻は死んだ。
きっと、何もない。
戦争は終わったのだから。
だが、どうにも拭いきれない一抹の不安が、詩音の胸にこびりついて離れないのであった。
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